<rss version="2.0" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>全能神教会―御国の救い</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com</link><description>全能神教会の信徒たちすべては全能神が主イエスの再来、終わりの日のキリスト、神のお現れだと確信しています。</description><atom:link href="https://almightygodsalvation.amebaownd.com/rss.xml" rel="self" type="application/rss+xml"></atom:link><atom:link href="http://pubsubhubbub.appspot.com/" rel="hub"></atom:link><item><title>贖いの時代における働きの内幕</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12626026</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; わたしの全経営（&lt;b&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;救い&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;の）計画、六千年にわたる経営計画は三段階、あるいは三時代から成る。それは始まりの律法の時代、次に恵みの時代（贖いの時代でもある）、そして終わりの日の神の国の時代である。これら三時代におけるわたしの働きは、各時代の性質によって異なるが、それぞれの段階においてこの働きは人間の必要性に対応している。正確には、わたしがサタンに対して行なう戦いでサタンが用いる策略に応じて働きは行われる。わたしの働きの目的は、サタンを打ち負かし、わたしの知恵と全能を明らかにし、サタンの策略をすべてあばくことであり、それによりサタンの支配下に生きる人類全体を救うことである。それはわたしの知恵と全能を示し、サタンの耐え難いおぞましさを明らかにするものである。それに加えて、被造物が善悪を区別し、わたしこそが万物を治める者であることを認識し、サタンが人類の敵であり、下の下、悪い者であることをはっきりと見極められるようにし、善と悪、真理と偽り、聖さと汚れ、偉大さと卑劣の違いを絶対的な明白さをもって区別できるようにすることである。それにより無知な人類は、人類を堕落させるのはわたしではなく、創造主であるわたしだけが人類を&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/the-work-of-spreading-the-gospel-is-also-the-work-of-saving-man.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救う&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;ことができ、人々が享受できるものを彼らに授けることができることをわたしに証しし、わたしこそがすべてを治める者であり、サタンは後にわたしに背いたわたしの被造物の一つにすぎないと人類は知ることができる。わたしの六千年の経営計画は三段階に分けられており、わたしがそのように働くのは被造物がわたしの証人となり、わたしの心を知り、わたしこそが真理であることを知らしめるという成果を達成するためである。したがって、わたしの六千年にわたる経営計画における最初の働きのあいだ、わたしは人々を導いたヤーウェの働きである律法の働きを行なった。第二段階では、ユダヤの村々において恵みの時代の働きが始まった。イエスは恵みの時代におけるすべての働きを表した。イエスは&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/gods-incarnation-2.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;受肉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;し、十字架につけられ、恵みの時代を開始した。イエスは贖いの働きを完成させ、律法の時代を終了させ、恵みの時代を開始するために十字架にかけられ、そのため「最高司令官」「罪のいけにえ」「贖い主」と呼ばれた。したがって、イエスの働きはヤーウェの働きと中身は異なっていたけれども、原則においては同じである。ヤーウェは律法の時代を開始し、地上における神の働きの拠点、発祥地を定め、律法と戒めを発した。これらがヤーウェが行なった二つの働きであり、それは律法の時代を代表する。イエスが恵みの時代に行なった働きは律法を発することではなく、それらを成就し、それによって恵みの時代が到来したことを告げ、二千年続いた律法の時代を終結させることであった。イエスは恵みの時代をもたらすために来た先駆者であったが、その働きの中心は贖いであった。よってイエスの働きもまた二つの部分から成る。それらは新しい時代を切り開くこと、そして十字架刑を通して贖いの働きを完成させることである。その後、イエスは去った。これで律法の時代は終わり、恵みの時代が始まった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; イエスの働きは、その時代における人の必要性に応じて行われた。その務めは人間を贖い、その罪を赦すことであるがゆえに、イエスの性質は全体が謙遜、忍耐、愛、敬虔、寛容、憐れみ、慈しみであった。イエスは人間に豊かな祝福と恵みをもたらし、平和、喜び、イエスの寛容と愛、その憐れみと慈しみといった人々が享受することのできるあらゆるものをもたらした。その当時、人が受け取ったあふれんばかりの楽しむことがら、すなわち心の平安と安心、霊の慰め、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/the-savior-has-already-returned-upon-a-white-cloud.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34; style=&#34;font-weight: bold;&#34;&gt;救い&lt;/a&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/thesecondcomingofjesus.html&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34; style=&#34;&#34;&gt;主&lt;/a&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/thesecondcomingofjesus.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;イエス&lt;/a&gt;による支え、これらのものは、人の生きた時代ゆえにもたらされたのである。恵みの時代、人はすでにサタンにより堕落させられていたので、すべての人を贖う働きを完遂するためには、満ちあふれる恵み、限りない寛容と忍耐、そしてさらに、効果を及ぼすためには、人間の罪を贖うのに十分な捧げ物が必要であった。恵みの時代に人々が見たのは、人間の罪のためのわたしの捧げ物であるイエスに過ぎなかった。人々は神は憐れみ深く寛容であり得ることだけしか知らず、イエスの慈しみと憐れみしか見なかった。それは彼らが恵みの時代に生きていたからである。そのようなわけで、贖われる前に人々はイエスが彼らに授けるさまざまな恵みを楽しみ、その恩恵を受けなければならなかった。それにより、彼らは恵みを享受することでその罪を赦されることができ、イエスの寛容と忍耐を享受することで贖われる機会を得ることができた。イエスの寛容と忍耐を通してのみ、人々は赦しを受け、イエスが授けるあふれる恵みを楽しむ権利を手にすることができた。それはイエスが、「わたしは義人ではなく罪人を贖い、罪人がその罪を赦されるようにするためにきたのである」と言ったとおりであった。もしイエスが裁きと呪い、人間の過ちに対する不寛容の性質を持って受肉していたなら、人には決して贖われる機会はなく、永遠に罪深いままでいたことであろう。もしそうなっていたなら、六千年の経営計画は律法の時代で止まり、律法の時代は六千年間続いていたであろう。人の罪は数が増し、よりひどいものとなり、人間の創造は無価値なものとなっていたであろう。人は律法のもとでのみヤーウェに仕えることができたではあろうが、彼らの罪は最初に創造された人間の罪をも上回るものとなっていたであろう。イエスが人類を愛し、その罪を赦し、十分な慈しみと憐れみを与えれば与えるほど、人類はイエスにより救われ、イエスが大きな代価で買い戻した迷える子羊と呼ばれる資格があった。イエスは自分の追随者をあたかも母親が我が子を腕のなかであやすように取り扱ったので、サタンはこの働きに干渉することができなかった。イエスは人々に対して腹を立てたり嫌ったりせず、慰めに満ちていた。人々とともにいても激怒するようなことは決してなく、「七の七十倍までも相手を赦しなさい」と言うほどまでに罪に寛容で、人々の愚かさと無知を見逃した。そのようにしてイエスの心は他者の心を変容させ、それゆえに人々はイエスの寛容を通して赦しを受けた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 受肉したイエスには全く感情がなかったが、常にその弟子たちを慰め、施し、助け、支えた。どれほどの働きをしても、どれほどの苦しみを耐えても、決して人々に過大な要求を課すことなく、常に忍耐強く、彼らの罪を耐え忍んだ。そのため恵みの時代の人々はイエスを「愛すべき救い主イエス」と愛情をを込めて呼んだ。当時の人々、すべての人々にとって、イエスが持っているものとイエスであるものは、慈しみと憐れみであった。イエスは決して人々の過ちを心に留めず、人々への接し方がその過ちをもとにするようなことは決してなかった。それは異なる時代だったため、イエスはよく食べ物をたっぷり人々に与え、彼らが十分食べられるようにした。イエスは追随者すべてに優しく接し、病人をいやし、悪霊を追い出し、死人をよみがえらせた。人々がイエスを信じ、その行いすべてが真剣かつ真心からのものであることが分かるように、腐った死体をよみがえらせることさえして、その手の中では死人さえも生き返ることを彼らに示した。このようにしてイエスは人々のあいだで静かに耐え忍び、その贖いの働きを行なった。十字架につけられる前でさえ、イエスはすでに人間の罪を負い、人類のための罪の捧げ物となっていた。十字架につけられる前から、イエスは人類を贖うために十字架への道をすでに開いていた。ついに十字架で釘づけにされ、十字架のために自分自身を犠牲として捧げ、そのすべての慈しみ、憐れみ、そして聖さを人類に授けた。人々にはイエスは常に寛容であり、決して復讐を求めず、人々の罪を赦し、人々に悔い改めるよう勧め、忍耐、寛容、愛を持ち、自らの足跡に従い、十字架のゆえに自分自身を捧げるよう教えた。イエスの兄弟姉妹への愛は、マリアへの愛に勝るものだった。イエスの働きの原則は、病人をいやし、悪霊を追い出すことであり、それらはすべてその贖いのためであった。どこへ行っても、イエスは従ってくる人すべてに思いやりを持って接した。貧しい者を豊かにし、足の不自由な人を歩けるようにし、目の見えない人を見えるようにし、耳の聞こえない人を聞こえるようにした。身分が一番低かった人々や乏しい人々、罪人さえ招いて共に食卓につき、彼らを遠ざけることなく常に忍耐強く、「羊飼いが羊を百匹持っていて、その一匹が迷ったとすれば、九十九匹を残しておいて、迷った一匹を捜しに行く。そしてそれを見つけたら、大いに喜ぶだろう」とさえ言った。イエスは雌羊がその子羊を愛するように、その追随者を愛した。彼らは愚かしく無知で、イエスの目には罪人であり、さらには社会において最も身分の低い者であったにもかかわらず、イエスは他の人々からさげすまれていたこれらの罪人を自分のひとみのように大切なものとして見た。彼らへの好意ゆえに、イエスは祭壇に捧げられる子羊のように、彼らのためにその命を捨てた。彼らのもとではしもべのようにふるまい、利用され、なぶり殺されるままにし、無条件に彼らに服従した。追随者にとってはイエスは愛すべき救い主であったが、上座から人々に説教したパリサイ人に対しては、イエスは慈しみや憐れみではなく、嫌悪と怒りを示した。イエスはパリサイ人のあいだではあまり働くことはなく、ごくまれに彼らに教えを説き叱責したが、彼らのもとで贖いの働きを行なうことはなく、しるしや奇跡を行うこともなかった。イエスはその慈しみと憐れみを追随者に与え、これら罪人たちのために十字架に釘づけられた最後の最後まで耐え忍び、ありとあらゆる屈辱に耐え、ついにすべての人間を完全に贖った。これがイエスの働きの全体である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; イエスの贖いがなければ、人類は永遠に罪の中に生き、罪の子、悪魔の子孫となっていたはずである。この状態が続けば、地上全体がサタンの住む地、その住まいとなっていたであろう。しかしこの贖いの働きは人類への慈しみと憐れみを示すことを必要とした。そのような手段によってのみ、人類は赦しを受け、ついに全き者とされ、神に完全に得られる資格を得ることができた。この働きの段階がなければ、六千年の経営計画は前に進むことはできなかっただろう。もしイエスが十字架にかけられることなく、ただ病人をいやし、悪霊を追い出しただけだったなら、人々はその罪を完全に赦されることはなかったであろう。イエスが地上で働きをなした三年半のあいだ、イエスはその贖いの働きを半分完成させただけであり、十字架に釘づけにされ、罪深い肉の姿となり、悪しき者に引き渡されることによってのみ、イエスは十字架での働きを完成させ、人間の運命を掌握した。サタンの手に引き渡されて初めて、イエスは人類を贖った。三十三年半のあいだイエスは地上で苦しみ、あざけられ、中傷され、見捨てられ、まくらする場所や休む場所さえないほどにまで放置され、その後十字架につけられ、聖なる罪のない体であるイエスの存在全体が十字架で釘づけにされた。イエスはあらゆる苦しみに耐えた。権力者たちはイエスをあざ笑い、むち打ち、兵士たちはその顔に唾を吐きさえした。それでもイエスは黙ったまま最後まで耐え忍び、死にいたるまで無条件に従い、そこですべての人間を贖った。そのとき初めてイエスは安息することができた。イエスが行なった働きは、恵みの時代のみを表すものであり、律法の時代を表すものではなく、また終わりの日々の働きに代わるものでもない。これが人類にとっての第二の時代である贖いの時代という、恵みの時代におけるイエスの働きの本質である。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 01 Jan 2021 02:14:04 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12626026</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>救う</category><category>受肉</category><category>主イエス</category><category>救い主</category><category>救い</category></item><item><title>クリスチャンの証し 2020「誠実さのみが人間らしさをもたらす」</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12591844</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/hcnaGejCAPY&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/hcnaGejCAPY/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34; style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/videos/branded-trailer.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;クリスチャンの証し&lt;/a&gt; 2020「誠実さのみが人間らしさをもたらす」&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 主人公はオフィス家具販売業を営んでいます。商売を始めた頃は、&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/tag/%E8%AA%A0%E5%AE%9F%E3%81%AA%E4%BA%BA&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;誠実&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;な取引を心掛け、顧客の注文通りの品物を発注していました。しかしある時、同業者である隣の店のオーナーが、自分よりはるかに大きな利益を得ていることを知り、そのやり方を真似て顧客を欺きはじめたことで、次第に最も基本的な良心さえも失っていきます。終わりの日の&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の働きを受け入れた彼女は、御言葉の暴露と裁きにより、神は誠実さを愛され、不実を憎まれることを理解します。さらに、うそをつき、人を欺き、不実であることの本質と末路をはっきりと理解します。その後、神に&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/tag/ways-to-pray&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;祈り&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;、御言葉に従って誠実な人間になるよう心掛けることを決意した主人公は、次第に人間らしい生き方ができるようになります。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 30 Dec 2020 23:44:59 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12591844</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>全能神</category><category>クリスチャンの証し 2020「束縛からの解放」日本語吹き替</category><category>祈り</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/hcnaGejCAPY/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>「因果応報」と人はよく口にするが、神がいま悪人を残らず滅ぼさないのはなぜか</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12552712</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;b&gt;参考聖書箇所&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」（伝道の書 3:1）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう」（ルカによる&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;福音&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;書 17:26-30）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう」(マタイによる福音書 16:27)&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう」(ヨハネの黙示録 22:12)&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「万軍のヤーウェは言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。……また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになると、万軍の主は言われる」(マラキ書 4:1-3)&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;神の言葉&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神のすることはすべて緻密に計画されています。神が物事や状況を見るとき、神の目にはそれを測る基準があり、その基準によって神は、その物事や状況に対応するための計画を開始するか、またはどのようなやり方でそれを扱うかを決定します。神はあらゆる物事に対して、無関心だったり無感情だったりすることはなく、実際まったくその逆です。この聖書のくだりでは、神はノアにこう言っています。「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」。ここで神は、人間だけを滅ぼすと言っているでしょうか。そうは言っていません。神は肉なるものをすべて滅ぼすと言っているのです。なぜ神は滅ぼそうとしたのでしょうか。ここに、神の性質の現れをもう1つ見て取ることができます。神にとっては、人間の堕落とすべての肉なるものの汚れ、暴力、不従順に対して、忍耐できる限界があります。その限界とは何でしょうか。神はこう言っています。「神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである」。この「すべての人が地の上でその道を乱したからである」という部分は何を意味するのでしょうか。それは、神に従った者、神の名を呼んだ者、かつて神に全焼のいけにえを捧げた者、言葉で神の存在を認め賛美さえした者も含め、生きとし生けるすべての者は、その態度が堕落に満ちそれが神の目に触れれば、神によって滅ぼされずにいられないということです。それが神の忍耐の限界でした。ではどの程度まで神は人間に耐え、すべての肉なるものの堕落に耐えたのでしょうか。それは神に従った者もそうでない者も、すべての者が正しい道を歩まなくなるまでです。人間が単に道徳的に堕落し悪に満ちるだけでなく、誰一人として神の存在を信じなくなり、ましてや神が世界を支配していることや人々に光を与え正しい道へと導けることを、信じるものが一切いなくなるまでです。そして人間が神の存在を憎み、神の存在を認めなくなるまでです。人間の堕落がここまで来ると、神はもう忍耐できませんでした。ではその状態は何に取って代わられたのでしょうか。それは神の怒りと懲罰の到来です。それもまた、神の性質の部分的な現れではなかったでしょうか。現在この時代に、神の目から見て正しい者はいないのでしょうか。神の目から見て完全な者はいないのでしょうか。今の時代は、地上の肉なる者すべての振る舞いが、神の目に堕落と映る時代なのでしょうか。現代では、神が完全にしたいと望む者、神に従い神の&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を受け入れられる者を除けば、すべての肉なる人々が神の忍耐の限界に達しているのではないでしょうか。あなたがたの身の回りで起こること、目で見て耳で聞くこと、この世で日々体験することは、すべて暴虐に満ちてはいないでしょうか。神の目には、このような世界、このような時代は、もう滅ぼされるべきものなのではないでしょうか。今の時代背景はノアの時代背景とまったく違いますが、人間の堕落に対する神の感情と怒りはまったく同じです。神はその働きのために忍耐を持つことができますが、状況や条件を鑑みれば、神の目にはこの世界はとうの昔に滅ぼされているべきものなのです。今の世界の状況は、洪水で滅ぼされる前の世界よりもはるかにひどいものです。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 １」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; ノアの時代、人々は神が見るに堪えないほど飲んだり、食べたり、勝手気ままに結婚したり結婚させたりしていたので、神は大洪水を引き起こして人類を滅ぼし、ただノアの家族八人とあらゆる種類の鳥と獣だけを残した。しかしながら、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/only-christ-of-the-last-days-can-give-man-the-way-of-eternal-life-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;終わりの日&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;に神に守られるのは、最後まで神に忠誠を尽くしたすべての人々である。どちらも神が見るに耐えないほどのひどい堕落の時代であり、どちらの時代の人類も主である神を否定するほどひどく堕落していたが、ノアの時代の人はすべて神に滅ぼされた。どちらの時代の人類も神をひどく悲しませたが、神は終わりの日の人々には今日に至るまで忍耐深い。それは何故なのか。あなたがたはこのことを一度も考えたことがなかったのか。本当にそれを知らないなら、わたしがあなたがたに話そう。終わりの日に神が人々を恵み深く取り扱うことができる理由は、彼らがノアの時代の人々ほど堕落していないからでも、彼らが神に悔い改めを示したからでもない。まして、テクノロジーが進歩した終わりの日に人間を滅ぼすことに神が耐えられないからでもない。むしろ、神には終わりの日に一群の人々に対して行う働きがあり、これは受肉の神自身によってなされるからである。その上、神はこの一群の一部を救いの対象、神の経営（救いの）計画の実として選び、そのような人々をともなって次の時代へと連れてゆくのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「あなたは知っていたか。神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 今日、そうした者の行動を問わず、そうした者は、神の経営を阻害せず、神の新たな働きと無関係である限り、相応の罰の対象とはならない。なぜなら、怒りの日はまだ到来していないからである。神が既に取り扱うべきであると人々が思っている事はたくさんあり、人々はそれらの悪を行う者は、できるだけ早く罰を受けるべきだと考えている。しかし、神の経営の働きはまだ終結しておらず、また怒りの日がまだ到来していないので、不義な者は不義な行動を行い続ける。……現在は、人間の罰の時ではなく、征服の働きを行う時であるが、神の経営を阻害する者が居る時はこの限りでなく、その場合、そうした人々は、行動のひどさにより罰を受けるであろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人間の実践」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神が人に働きかける目的は、人が神の心を満足させることができるようにするためであり、それは人に救いをもたらすために行われる。従って、神による人の救いの期間においては、神は人を罰する働きはしない。人に救いをもたらしつつ、神は悪を罰したり、善人に報いたりせず、さまざまな種類の人の終着点を明らかにすることもない。その代わり、神の働きの最終段階が完了して初めて、神は悪を罰し、善に報いる業を行い、そこで初めてさまざまな種類の人々の最後を明らかにする。罰せられるのは実際に救いようのない人である。一方、救われる人は神が人を救う間に神の救いを獲得した人である。神による救いの働きが行われている間、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/salvation-and-full-salvation.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救われる&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;ことが出来る人はすべて、最大限まで救われ、誰ひとりとして見捨てられることはない。神の働きの目的は人を救うことだからである。神による人の救いの期間に、自分たちの性質の変化を達成できない者、また、完全に神に従うことのできない者はみな懲罰の対象となる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「地位の祝福は脇に置き、人に救いをもたらす神の心意を理解するべきである」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; ひとたび、善と悪によって分離されたら、人々は直ちに罰を受けたり報いを与えられたりするのではない。むしろ神は、終わりの日における征服の働きを遂行した後はじめて、悪を行う者を罰し、善を行う者に報いる働きを行う。実は、神が人類に対して働きをはじめた時からずっと、神は人類を分けるために善と悪を用いている。神は自身の働きを終えて初めて、義なる人を報い、悪である者を罰するのである。最後に働きを終えて悪者と義人を分けて、それからすぐ悪を罰し、善に報いる働きに着手するのではない。悪を罰し、善に報いるという神の最終的な働きは、全て全人類を完全に清めるために行われる。そうすることによって、完全に清くなった人類を永遠の安息に導き入れることができる。神のこの段階の働きは最も重要な働きであり、神の経営の働き全体の最後の段階である。もし神が悪者たちを全て滅ぼさないで、彼らを残しておけば、全人類はやはり安息の中に入ることができず、神も全人類をよりよい領域に導き入れることができない。このような働きでは完了することはできない。神が自身の働きを終える時、全人類は完全に聖いものとなる。このようになってはじめて、神は安らかに安息の中で生活することができる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 29 Dec 2020 22:13:02 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12552712</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><category>救われる</category><category>福音</category><category>救い</category><category>終わりの日</category></item><item><title>嫉妬を捨てて寛大に</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12517022</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 数年前、指導者だった私をサポートするため、小潔（シャオチエ）姉妹が私の教会に移ってきました。しばらく経つと、若いのに素質が優れ、能力も高いとわかったんです。問題が起こると&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を実践し、懸命に真理&lt;u&gt;の&lt;/u&gt;原則を求めてました。素質も能力も、彼女にはとてもかなわなかった。才能ある彼女を私は尊敬しました。ある時、同労者の集会の後で指導者に聞かれたの。この教会に、真理を求め、優れた素質をもつ者はいないかって。ためらうことなく、小潔姉妹の長所を伝えました。間もなく、指導者が同労者の集会に小潔姉妹を招いて、その後も続けて集会に出席させたんです。だんだん居心地の悪さを感じるようになった。「集会に出て、教会の働きについて指導者と話し合うのは私の役目だったのに、小潔姉妹を集会に参加させるなんて。本当に彼女を育てる気なんだわ。こうなると分かってたら長所なんて伝えなかったのに」彼女のせいで自分が忘れられ、置き去りにされた気がした。ますます辛くなって、密かにある考えを抱くようになったの。彼女が異動になればいいのにって。一緒でなければ、私が見劣りすることはないし、指導者も私と話し合う。でもこんなに早く、小潔姉妹が異動になるとは思えない。そのうち、胸に重石が乗っているような息苦しさを感じ始めた。それだけじゃなく、負けを認めたくなくて、こっそり神の御言葉を読み漁ったり、暗記したり、深く考えたりしたわ。彼女より優れた交わりをして、能力を証明するために。でも私の動機は間違っていた。地位をめぐって争っていただけ。だから本分で&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/what-is-the-work-of-the-holy-spirit.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;聖霊&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の働きを得られず、問題の理解も解決も無理だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 一度、2人の姉妹が教会執事に選ばれたけれど、自分は真理を十分理解していないから、いのちの入りに悩む人を助けられないと言って、その役目に乗り気じゃなかった。それを聞いて、こう思いました。「どんな御言葉を交われば、2人の状態を解決できて、私が小潔姉妹に劣らないことを示せるかしら」と。2人の姉妹が話し終わるとすぐ、御言葉を何節か読んで、交わりをはじめた。でもそれは能力をみせつけ、みんなに尊敬されるためで、神の御前で心を静め、真理を求めて問題の根源を知るためじゃなかった。交わりは失敗でした。無反応で座っている2人をみて、とても気まずく、何を言えばいいかわからなかった。すると小潔姉妹が、自分の経験と理解に触れながら、本分を尽くす意味、そして神の御旨について交わりを始めたの。姉妹たちは感動の涙を流し、その本分を受け入れた。小潔姉妹を羨望の眼差しでみつめる2人をみて、苦々しさが残った。小潔姉妹が来る前は、みんな私を認めていたのに、教会に来たばかりの彼女が、すべてにおいて私を追い越し、指導者に一目置かれ、兄弟姉妹からも尊敬されている。私は指導者になって長いのに、とても彼女に敵わない。みんな私をどう思っているだろう。私には真理の現実がなく、彼女の引き立て役だと思ってないかしら。しばらく、この考えが頭から離れず、小潔姉妹に主役をとられたような気がして、嫉妬を感じ始めた。時には、双方の得になる形で、彼女を教会から追い出せないかと考えた。でもどれだけ考えても、そんな方法は思いつかなかったわ。次第に神から遠ざかり、自分の霊が闇に落ちてゆくように感じた。御言葉の交わりをしても光がなく、兄弟姉妹の問題も解決できない。毎日本分に取り組むけど、心は苦しみでいっぱいだった。神の御前で祈り、自分の状態を告げた。御旨と自分の堕落を理解できるよう、お導き下さいと。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; その後、次の御言葉を読んだの。「あなたがたは教会指導者として、人材を見つけ出し育成する方法を知るべきであり、才能ある人たちに嫉妬すべきではありません。そうすれば、あなたがたの本分は十分に尽くされ、責任は果たされたことになります。そしてあなたがたは全力を尽くして忠実であろうとしたことになるでしょう。他人が自分に代わって脚光を浴び、自分を超え、自分が無視されている一方で評価を得ることをつねに恐れている人がいます。そのような人はそれで他人を攻撃して排除します。それは自分よりも有能な人への嫉妬ではありませんか。そのような振る舞いは利己的で下劣ではありませんか。それはどのような性質ですか。悪意に満ちた性質です。自分のことしか考えず、自分の欲望しか満足させず、他人の本分に配慮を示さず、自分の益だけを考えて神の家の益を考えないような人は悪しき性質をしており、神はそのような人を愛しません」（『&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/video-category/readings-of-Almighty-God-s-words.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;キリストの言葉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の記録』より引用）。この御言葉に心がえぐられたわ。まさに私の状態を暴いてたから。優れた素質をもち、実践的な交わりをする姉妹が、指導者に一目置かれ、兄弟姉妹から尊敬されているのを見て、私は嫉妬した。疎ましく思って、教会から去ってもらいたかった。教会の働きや神の家の利益に及ぼす影響なんて考えもせず。悪意だらけで、ひときわ自分勝手で卑しく、正常な人間性は皆無。そんなふうに本分を尽くしても、神に嫌悪されるだけ。本分の中で聖霊の導きを失い、闇に落ちていった。それが神の義なる性質。だから私は、神に祈った。地位を手放し、正常な人間性を生き、姉妹と協力できるようお導き下さいと。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; そしてこの御言葉を読んだ。「神の旨を真に考慮できれば、人を公平に扱うことができるようになります。あなたが誰かを推薦し、その人が才能ある人に育ち、その結果神の家に有能な人材をもう一人もたらすことになれば、あなたは自分の働きをよく行なったことになりませんか。本分を尽くすことに忠実であったことになりませんか。これは神の前での善行であり、人間が有するべき良心と理知です」（『キリストの言葉の記録』より引用）。後悔と自責の念がさらに深くなったわ。神が望むのは、より多くの人が真理を求めて立ち上がり、神に協力すること。私は教会指導者なのに、神のお求めが心になかった。教会で働いているそうした人を見て、不満に思っただけじゃなく、嫉妬にかられて地位を守ろうとした。人として最も基本的な良心も理知もない私は、指導者にふさわしくなかった。利己的な自分を嫌悪したわ。小潔姉妹の素質が優れ、交わりで問題を解決できるのは、教会の働き、そして兄弟姉妹にとって有益なこと。私は彼女を支え、長所から学ぶべきだった。彼女と協力して本分を尽くすことが、神の御旨を想う唯一の道だったの。神の御旨を理解しても、他の人が小潔姉妹をほめるのをみると、少し嫉妬を覚えたけど、神に祈って自分を捨てた。神の御前で生き、本分を尽くし、誰が尊敬されてるかを気にしないようにしたら、嫉妬心がかなり消えたわ。問題があれば姉妹に相談して話し合い、一緒に真理の原則を求めることで、私の短所を彼女の長所で補ったの。そしたら、心がずっと自由に、穏やかになったわ。ある程度の変化を経て、自分の嫉妬深い本性は改善されたと思った。でも、また別の事態が起きた時、自分のサタン的な本性がいかに根深いかを知って驚いたの。清められるには、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/appendix-iii-beholding-the-appearance-of-god-in-his-judgment-and-chastisement.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の裁き&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;と刑罰がもっと必要だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 小潔と一緒に同労者の集会に出席した時、指導者は私に軽く挨拶すると、教会の働きについて小潔と話し始めたの。私は、役立たずのようにそこに座っていただけ。一気に気分が落ち込んだわ。小潔を不満げににらんで、こんな気持ちを抱かずにはいられなかった。「指導者は私よりあなたの方が大事なのね。教会と指導者にとってあなたは期待の星で、私はただの引き立て役」。その後、指導者の指示で、小潔が他の地区の集会に出て、研修を受けると聞いたの。それを聞いて腹が立った。「どうして私じゃなく小潔なの？　私はそんなに無能？　研修を受ける価値もないの？」恥ずかしくて、冷や水を浴びせられたような気持ちになった。彼女と同じくらい努力したのに、そんなの受け入れられない。でも彼女は説教を聞きに行き、私は取り残された。みんなに軽く扱われ、何をしても彼女にはかなわないと感じた。彼女と比較すればするほど、どんどん辛くなって、また嫉妬と怒りの中で生き始めたの。指導者が小潔と私を引き離せばいいと思った。そうすれば自分の能力を示せる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; その後すぐ、小潔の御主人が病気になったんです。辛そうな彼女を見て慰め、この試練を乗り越えられるよう神に祈り、御旨を求めるよう励ましたわ。でも、こう思わずにいられなかった。「彼女は今がピークだわ。小潔が精錬を受けて辛い状態にいる今なら、私の実力を示せる。状態が改善してしまったら、二度とこんなチャンスはやってこない。この精錬が長く続けばいいのに。小潔の交わりが素晴らしいのは平穏な時だけで、実は御言葉の現実を生きていないってわかるわ。みんなも彼女を尊敬しないし、指導者も、真理の現実がないことを知れば、これ以上育てようなんて思わないはず。そしたら自然と私の株があがる」私は自分の心の状態をよく考えず、この気持ちを正そうとしなかった。ある日、2人の姉妹が小潔の様子を心配そうに尋ねてきたの。私は、彼女は大変な状態にいて、いつもなら素晴らしい交わりができるけど、今は試練のせいで消極的になり、実際の霊的背丈がないと答えた。そうは言ったものの、心が落ち着かなかった。彼女を批判して貶めるために、大げさな話をしたから。でも姉妹が私の言葉をそのまま受け取ったのを見て、密かに喜んだ。小潔への尊敬が薄れるだろうと思ったわ。でもその後、小潔に会ってわかったの。深く苦しみ、祈る度に涙を流しているにも関わらず、本分は何の影響も受けてない。思わず罪悪感を覚えた。試練に直面しても苦しみに耐え、弱さを見せないのは並大抵のことじゃない。私に人間性があれば、彼女のために祈り、支えるためならなんでもしたはず。でも、そうはしなかった。本当に申し訳なかった。だから神の御前でこう祈ったの。「神よ！　私の嫉妬は度を超えています。姉妹を出し抜けるよう、批判して貶めたのです。その不幸を喜び、消極的になって躓くことさえ望みました。人間性のかけらもありません。神よ！　自分の堕落を理解してサタンの性質から抜け出せるよう、導きと啓きをお与え下さい」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; その後、この御言葉を読みました。「そのような人は自分より優れた人を見ると、他の人々がその人を高く評価しないよう、また誰一人傑出した人がいなくなるよう、その人を押さえつけたり、その人に関する噂を流したり、何らかの卑劣な手段を用いたりします。それは傲慢さと独善性、また邪悪さ、不正直さ、狡猾さからなる堕落した性質であり、そのような人は自分の目標を達成するためには手段を選びません。このように生きながら、自分のことを偉大で善人だと考えています。しかし、このような人に神を畏れる心はありますか。まず何より、これらの事柄の特質という観点から言えば、このように行動する人はただ自分の好きなようにしているのではありませんか。神の家の益を考えていますか。神の家の働きが被る損害に関係なく、自分の感情しか考えず、自分の目標だけを達成したいのです。このような人は傲慢で独善的なだけでなく、利己的で卑劣でもあります。神の意図をまったく配慮しませんし、神を畏れる心がないことに疑いの余地はありません。自責の念も、恐怖、不安や心配も一切なく、結果を考えることもなく自分の望むことを何でもして、勝手気ままに振る舞うのはそのためです。神を畏れず、自分が極めて重要な人物だと信じ、自分のことをあらゆる点で神より高く、真理よりも高いと見なしています。その心の中では、神はその名に言及する価値さえなく、何の意義もなく、このような人の心の中では何の地位もありません。……この種の人は恐ろしいとあなたがたは言うでしょうか、それとも言わないでしょうか。どのような人間が神を畏れない人でしょうか。その人たちは傲慢ではありませんか。サタンではないのですか。神を畏れないのはどのようなものでしょうか。動物を別にすれば、悪魔、サタン、大天使、そして神と争うものはみな神を畏れません」（『キリストの言葉の記録』より引用）。この御言葉に、心がえぐられる思いでした。私はまさにこんな人間。小潔姉妹には素質があり、真理を求めてるし、育成されるべきだと知りながら、指導者に重宝され、集会に派遣されたのを見て、心を乱した。不公平だと思って受け入れられなかった。彼女への嫉妬と怒りに燃え、異動になれと強く願った。試練に遭い、弱気になって苦しむ姿をみて、助けるふりをしながら、その苦しみを喜んだ。彼女が消極的になれば、自分が目立てると思った。そして自分の評価を上げるため、皆の前で彼女を批判し、貶めた。優位に立ちたい一心で。長年神を信じていながら、神に対する畏敬の念もなく、嫉妬にかられ、自分の地位を守るために、良心のない行動をとった。卑しく、邪悪そのもの。心が狭く、見栄っ張りで悪意に満ち、卑劣でつまらない人間だった。サタンとどこが違うでしょう？　物事がうまくいっているのが許せず、人が消極的になり、神から離れ、神を裏切るのを望むのはサタンだけ。私は明らかにサタンの手先として振る舞い、教会の働きを乱した。神の家に害を与え、悪を行い、サタンとともに神に歯向かったの。それでもなお、自分を高く評価した。真理の現実もなく、素質も小潔姉妹に敵わないのに、地位を求め、彼女を超えようと夢中だった。傲慢で自分のことがわかってなかった。この時、私は自分を心から嫌悪して、サタンの性質から自由になりたかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; その後、この御言葉を読んだの。「人が神に反対し、反抗する根源はサタンによる堕落である。サタンによって堕落させられたので、人の良心は麻痺してしまい、不道徳になり、考え方は低下し、逆行する精神状態を持ってしまった。サタンによって堕落させられる前は、人はもちろん神に従い、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を聞いた後それらに従っていた。人は健全な理知と良心を生来持っており、人間性も正常であった。サタンによって堕落させられた後、人が本来持っていた理知、良心、人間性は鈍くなり、サタンによって損なわれ、したがって人は神に対する服従や愛を失った。人の理知は異常になり、性質は動物の性質と同じになり、神に対する反抗はますます頻繁になり、深刻になっている。しかし、人はまだこのことに気づかず、認識せず、単に盲目的に反対し、反抗している。人の性質の暴露は人の理知、見識、良心の表出であり、人の理知や見識は不健全で、良心は極めて鈍くなっているので、したがって人の性質は神に対して反抗的である。人の理知と見識に変化がなければ、その性質を変えることも、神の心にかなうことも不可能である。理知が不健全だと、人は神に仕えることができず、神に使われるには適さない」（『言葉は肉において現れる』より引用）。この御言葉を読んでわかったわ。私が神に反抗し、逆らい、堕落を生きていたのは、サタンによる堕落のせい。サタンの原則や論理の中で生きてきたの。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」「天上天下唯我独尊」「両雄並び立たず」「ガンは声を残し、人は名を残す」こんなサタンの格言を受け入れたせいで、ものの見方も、生存法則も、理知も歪んでしまった。ごう慢で邪悪になり、人間性を失った。サタンの毒に支配され、名声と地位を追い、尊敬されることだけを望んだ。その他大勢になりたくなくて、人に抜かれるのが許せなかった。だから自分を超える人を見ると、どうしても対抗心を燃やした。かなわないと分かると、嫉妬と怒りに駆られ、卑怯な手で目的を果たそうとさえした。ごう慢、不実、邪悪。そんなサタンの性質しか示さなかった。本分を尽くしていると言いながら、実は自分のために働き、悪を行い神に逆らってた。追放された反キリストのことを思いだしたわ。彼らは、真理を求め、神の御旨を想う人に嫉妬し、辛くあたり、自分の地位を脅かす人は、目の上のたんこぶのように扱った。威圧的で、意地悪で、自分の天下が続くよう、他人を追い出そうとすらした。でも結局、数々の悪行をとがめられ、みんな教会を追われた。私は反キリストほど意地悪でも悪人でもなかったけど、嫉妬に駆られ、ごう慢で邪悪な本性に支配されていた。自分の地位を守るために人を押しのけ、批判した。神に逆らう反キリストの道を歩んでたの。神の義なる性質はいかなる背きも許さない。悔い改めなければ、神に拒まれ淘汰される。心から怖くなった。神は厳しい裁きで私を守られてたと知ったの。それがなければ私は反省せず、本当の悪事を犯して後悔してたはず。神の御旨を考えていると感極まり、悔い改めて自分を変えようと、神に祈りました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; そしてある日、デボーションで次の御言葉を読んだんです。「本分を尽くしている一人ひとりにとって、真理の理解の深さがどれほどであろうと、真理の現実に入ることを望むなら、自分が行なうすべてのことにおいて神の家の益を考え、自分の利己的な欲求、個人的な意図、動機、面子、地位を捨てるのが最も簡単な実践の方法です。神の家の益を第一にしなさい。これが行なうべき最低限のことです。本分を尽くしている人がこの程度のことさえできないのであれば、どうして本分を尽くしていると言えますか。それは本分を尽くしているのではありません。まずは神の家の益を考え、神自身の益を考え、神の働きを考え、それらを第一に、最優先に考えなければなりません。その後で初めて、自分の地位の安定や、他人が自分をどう見るかを考えることができます。……加えて、自分の責任と義務を果たし、本分を尽くし、自分の利己的な欲求や意図や動機を捨て去り、神の旨を考慮し、神と神の家の益を第一にすることができるなら、それをしばらく経験した後、それがよい生き方だと感じるようになります。それは卑劣で役立たずな人間になることなく、正直かつ誠実に生きること、心が狭かったり卑しかったりするよりむしろ、公正かつ高潔に生きることです。人はそのように生きて振る舞うべきだと感じるようになります。自分の益を満足させようとする心の欲求も徐々に小さくなります」（『キリストの言葉の記録』より引用）。「役割が違うのだ。からだは一つであり、それぞれが自分の本分を尽くし、それぞれの持ち場で最善を尽くし（幾分熱があれば、その分光を発する）、いのちの成長を求める。そうすればわたしは満足するだろう」（『言葉は肉において現れる』より引用）。御言葉から理解したのは、各人の素質と果たすべき役割は、神に予定されてるということ。それを巡って争ったり、苦しんだりすべきじゃない。自分より素質の優れた人がいて、私は木より草になるべきと神が予定されたなら、私はただ草になり、喜んでその役目を果たすべきだわ。もう地位をめぐって人を争うのはやめ、自分勝手な欲を手放し、サタンの性質で生きず、神の家の利益を第一にしよう、そして着実に本分を尽くそうと思った。それが光の中で生きる道だから。姉妹たちに自分の堕落を打ち明け、小潔姉妹に謝ったわ。私の悪意と行いを知っても、小潔姉妹は私を責めることなく、私のために真理を交わってくれた。本当に感動したわ。人間性をなくし、姉妹を傷つけたことを後悔した。その後、神に祈ったの。地位のために企むのをやめ、本分を尽くしますと。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; ひと月後、小潔姉妹が戻ってきて、集会で学んだことを分かち合ってくれました。その交わりはとてもためになって有益でした。でもみんなが熱心に耳を傾けてるのを見て、再び居心地の悪さを感じた。また地位にとらわれ、嫉妬してると気づいたから、神に祈り、自分を脇にのけたわ。説教の中でこう聞いたのを思いだした。神に仕える理知ある人は嫉妬せず、むしろ人が自分より優れていることを望むと。そうすれば、神の重荷をともに背負う人が増えるから。そういう人は、誰かが神に得られたら、それを喜べる。説教を聞きに行ったことで、小潔姉妹が多くを学び、成長したことがわかった。みんなを潤し助けられる。みんなが真理を理解するのに役立つし、神に安らぎをもたらす。姉妹から学んで、その長所を私の本分に活かすこと。それが重要だったの。こんなふうに祈って自分を捨てると、心がずっと安らかになった。兄弟姉妹にどう思われようと、教会での地位が何であろうと、もう気にならなくなった。心を落ち着かせて彼女の交わりを聞き、啓きを得たわ。そして姉妹と協力して真理の原則を求めた。その後は一緒に仕事をしている時に、指導者と小潔姉妹が話し合っているのを見ても、心が乱れず、嫉妬も感じなかった。本当に安心したわ。嫉妬心を手放せば、心が穏やかになって誠実になれることを自ら経験し、やがて人間らしく生きられるようになった。私が少し変われたのは、神の御言葉の裁きと刑罰があればこそ。神の救いに感謝します！&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Mon, 28 Dec 2020 22:38:58 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12517022</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>キリストの言葉</category><category>神の裁き</category><category>神の言葉</category><category>真理</category><category>聖霊</category></item><item><title>嫉妬を治す方法</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12478488</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;&amp;nbsp; 全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;は言われます。「人の肉はサタンに属しており、反抗的な性質に満ちており、嘆かわしいほど汚れて不純である。人は肉の喜びを過度に切望し、肉の現れは過多にある。そのため神は肉をある程度嫌っている。汚れて、堕落したサタンのものを人が捨て去れば、神の救いを得る。しかし、汚れや堕落から抜け出さないままでいるなら、相変わらずサタンの支配下に生きることになる。人の狡猾さ、不正直さ、ねじれた心はすべてサタンに属するものである。神があなたを救うのは、こうしたサタンのものからあなたを解放するためである。神の働きが間違っていることはなく、すべては人を闇から救うために行われる。ある程度まで信じ、肉体の堕落を脱ぎ捨てることができ、もはやこの堕落の束縛を受けないならば、&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救われる&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;のではないのか。サタンの支配下で生きるなら、神を現わすことはできず、あなたは汚れており、神の嗣業を受け取ることはできない。いったん清められ完全にされると、あなたは聖くなり、正常な人になり、神の祝福を受け、神に喜ばれる」（「実践（２）」『言葉は肉において現れる』）。御言葉を通して、人が嫉妬に苦しみ、互いに争うのは、サタンに堕落させられ、不実で邪悪なサタンの性質によって生き、とても利己的だからだとわかった。かつて私も、嫉妬にかられ、人を出し抜き、名声と利益を求めた。そんな辛い生き方に縛られていたけど、神の裁きと刑罰のおかげで多少変化し、苦しみから逃れられた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 2017年6月、教会の班長という本分を任され、いくつかの集会場で教会生活を担当したの。その本分を尽くせることがうれしく、神の引き上げなのだから、きちんとこなして&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/tag/God-s-love&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の愛&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;に報いなきゃと思った。そして集会での交わりに積極的に取り組み、兄弟姉妹が困っていたり、悪い状態にいる時は、御言葉を見つけて交わり、問題を解決した。やがて周りから高く評価されはじめたわ。交わりを通して実際の問題を解決し、本分に責任をもち、周囲への思いやりもあると。それを聞いてとてもうれしかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 間もなく、教会指導者の選挙があると聞いて、思った「みんな高く評価してくれているし、もしかしたら選ばれるかも。そしたら兄弟姉妹からますます尊敬されるわ」と。投票で楊（ヤン）姉妹と私が候補に選ばれましたが、楊姉妹の票の方が少し多く、危機感を覚えた。「本分に責任をもち、実践的な働きもできる私が、なぜ彼女に負けたの？」でもすぐにこう思った。「これは予備選で最終投票じゃない。まだチャンスはあるわ。真理で身を固めて、いのちの入りに悩む人たちをもっと助けよう。みんな私のほうが上だと分かって、私がきっと当選よ」と。前回の集会で王（ワン）姉妹が提起した問題が未解決なのを思い出し、急いで関連する御言葉を探して、王姉妹と交わる準備をした。そして集会の日、集会場に着くやいなや、楊姉妹が王姉妹に交わっている姿が見えた。これにはむっとしたわ。「王姉妹と交わり問題を解決するために来たのに、出し抜くなんて！　問題が解決したら、私の力が示せないわ」と思った。楊姉妹の交わりのあと、王姉妹の顔に笑顔が浮かび、兄弟姉妹はみな満足げにうなずいた。それを見てとても不満で、手柄を横取りされたと思い、楊姉妹に嫉妬し、こう思った。「みんな、あなたが来る前は私の交わりを聞きたがったのに、今はあなたを見上げ、私なんて気にもかけない」と。全員楽しそうに交わりをしてたのに、私の耳には入らず、帰りたくてしかたなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 家に帰り、気落ちしてベッドに腰掛けた。そして、考えるほどに気分が悪くなった。「この調子だと指導者になれないかも。だめだわ、もっと積極的に交わりをしなきゃ。これ以上遅れを取るわけにはいかない」と思った。向（シャン）姉妹が共産党の厳しい迫害への不安から、本分をためらっていることに気づいた私は、急いで神の御言葉を探し、集会の前に彼女と交わろうとした。でも次の日、集会場に早く着くと、なんと楊姉妹がすでに向姉妹と交わっていたの。心が沈み、こう思った。「一度ならず二度までも！　楊姉妹の交わりにどんな光があるのか聞かなきゃ。すべて網羅するなんて無理よ」。そして隣に座り、何を話しているのか聞いた。すると楊姉妹は、御言葉に照らして実践の道を交わっていたけど、向姉妹の弱さや消極性については触れていなかった。「このチャンスを活かして、私の理解を伝えよう。楊姉妹の鼻を折ってやる」。そう思って、急いで交わりを始めたの。「実践の道だけでは消極的な状態は解決できません。選民を完全にすべく赤い大きな竜を引き立て役に使う、神の真理を理解しなきゃ。神の働き、全能、知恵を理解して初めて、消極的な状態から抜け出せるの。御言葉を一緒によみましょう」。向姉妹が頷くのを見ながら、ちらりと楊姉妹を見ると、気まずそうに横を向いていた。勝ったと思い、こう考えた。「誰の交わりが効果的か、比べれば一目瞭然だわ。面子を取り戻せたし、私も負けてないことが証明できる」。それから、さらに積極的に本分に取り組み、状態が良くない人や問題を抱えている人がいれば、すぐに御言葉を調べてメモを取り、交わりをもった。相手が頷くと心が高ぶり、反応がないと不安で仕方なかった。悩めば悩むほど、相手の状態を理解したり問題を解決したりすることができず、疲労感も増していった。「このままじゃ、真理の現実がないとみんなに言われ、指導者に選ばれない」。特に楊姉妹が真理について実践的な交わりをして、兄弟姉妹が頷くのを見ると、心がざわつきました。嫉妬と反感を隠せず、楊姉妹に対して腹が立ち、話もしたくなかった。名声と利益を求め続ける生き方は、とても辛かった。神の御言葉からも啓きを得られず、適当に祈りを捧げ、神からどんどん遠ざかるようだった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; その後、自分の堕落した性質を理解し、ひどい状態から抜け出せるよう、神に&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/tag/ways-to-pray&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;祈り&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;、啓きを求めたの。そして御言葉を読んで初めて、自分の堕落した状態を多少理解できた。御言葉にはこうありました。「他人が自分に代わって脚光を浴び、自分を超え、自分が無視されている一方で評価を得ることをつねに恐れている人がいます。そのような人はそれで他人を攻撃して排除します。それは自分よりも有能な人への嫉妬ではありませんか。そのような振る舞いは利己的で下劣ではありませんか。それはどのような性質ですか。悪意に満ちた性質です。自分のことしか考えず、自分の欲望しか満足させず、他人の本分に配慮を示さず、自分の益だけを考えて神の家の益を考えないような人は悪しき性質をしており、神はそのような人を愛しません。神の旨を真に考慮できれば、人を公平に扱うことができるようになります。あなたが誰かを推薦し、その人が才能ある人に育ち、その結果神の家に有能な人材をもう一人もたらすことになれば、あなたは自分の働きをよく行なったことになりませんか。本分を尽くすことに忠実であったことになりませんか。これは神の前での善行であり、人間が有するべき良心と理知です」（「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/books.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;キリストの言葉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の記録』）。これを読んで恥ずかしかった。これまでの嫉妬、そして名声と利益のために争ったことを考えた。教会指導者の選挙があると聞いてから、欲に身をやつし、楊姉妹の票が私より多かったのを見て、彼女を敵とみなし、争い、競い合った。真理を交わることで問題を解決している彼女に、嫉妬を覚えた。楊姉妹に出し抜かれ、指導者になるチャンスを脅かされると思い、密かに彼女と張り合い、交わりの粗をさがし、欠点をついた。裏で楊姉妹を貶めて自分の評価をあげ、本分へのやる気を削いだ。勝てないと知ると彼女に腹を立て、無視しようとした。本分で名声と利益を求め、嫉妬にかられ、彼女を叩いて排除した。まさにサタンの性質をもつ、自分勝手で卑しく、邪悪な人間でした！　こんなサタンの性質を人生の基盤とし、人を傷つけ、怒りと苦しみの中で生きていたの。「三国志」の周瑜は心が狭く、常に諸葛亮をねたみ、死の間際に「既に周瑜を生みながら、何故諸葛亮をも生んだのだ！」と言って憤死しました。自分も同じだと思った。地位を求めて人を妬み、自分のいのちの入りを阻み、人に害を与え、人間らしさもなく、神に嫌われ憎まれた。神は、私を優れた素質の人のそばに置き、彼女から学び、短所を改めるよう取り計らった。でも私は争い、張り合い、得たものといえばひどい苦しみだけ。ほんとうに愚かだった。神の家では真理が全てで、指導者の選出にも原則があり、真理を受け入れ実践する良き人間らしさをもつのが最低条件なのに、私は嫉妬にかられ、名声と利益を求め、人間らしさを失っていた。指導者の資格なんかない。争いをやめ、真理を実践し、御言葉に従うことだけが正しい道だった。このすべてに気づき、心が楽になったの。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 選挙の日、祈りを捧げたわ。「神よ、結果がどうであれ、私はあなたに従い、公正な一票を投じます」。でも投票する時になってやっぱり心が揺れた。「私が楊姉妹に投票して、向こうが当選したら、他の皆にどう思われる？　彼女に劣ると言われるわ」。その時、次の御言葉が心に浮かんだ。「あなたは、そうした物事を捨て去って脇にのけ、他人を推薦し、他人が傑出するのを認められるようにならなければなりません。傑出したり栄誉を得られたりする機会が到来した瞬間、それを利用しようと争ったり、焦ったりしてはいけません。引き下がることを覚えて、本分を尽くすことを遅らせてはなりません。人知れず静かに本分を尽くす人、忠実に本分を尽くしつつ他人に自己顕示しない人になりなさい。自分の体面と地位を捨てれば捨てるほど、また自分の利益を捨てれば捨てるほど、心は一層安らかになり、心の中にますます余裕ができて、自分の状態も改善されます」（「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』）。そして思った。「御言葉を実践して、名声や地位のために生きるのをやめなきゃ」と。楊姉妹の素質が素晴らしく、交わりが実践的なことを思うと、彼女が指導者になれば教会のため、そして、兄弟姉妹のいのちの入りのためになる。真理を実践し、教会の利益を守らなくては。それで彼女に投票したの。投票で楊姉妹が選ばれ、私はそれを冷静に、穏やかに受け止めたわ。ついに真理を実践できたのです。神に感謝！&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; そして2018年の4月、教会指導者に選ばれた私は、教会の働きの責任者たちと協力することになった。最初は教会の働きをすべて話し合い、円満に物事が進んだ。でもその後、執筆担当の李姉妹が、素質があり物覚えも早く、光があって役に立つ交わりをすると気づいた。尊敬するとともに、少し嫉妬を感じたの。李姉妹が担当する仕事に関わることで、その技術や原則を学び、遅れをとらないようにしたわ。そんなある日、指導者から手紙が来た。そこには、他の地域の教会で人を必要としているが、李姉妹は適任か。評価を集めてほしい、とあった。嫉妬心が一気に燃え上がり、「李姉妹を育てたいんだわ。素質は優れ物覚えも早い。でも信仰に入ったばかりで、いのちの入りも浅いわ。私のどこが彼女に劣るの？　なぜ私じゃだめなの？　李姉妹にその役が与えられたら、みんなどう思うかしら？　きっと彼女が格上だと言うわ」と思った。いたたまれない気持ちになり、それ以降は彼女を無視するようになった。そんな振る舞いに委縮した李姉妹は、以前のように私に相談しなくなったの。数日後、兄弟姉妹から受け取った李姉妹の評価が、すべていい評価だったことに深く嫉妬した。私への評価よりも高かった。指導者なのに同労者にかなわないなんて、とんだ赤っ恥だわ！　考えるほどいたたまれなくなり、姉妹のひとりに言ったの。「この評価は何？　ぜんぜんわかってないのね。李姉妹は成長したけど、いのちの入りは浅い。なのにこんな持ち上げて。彼女が他の教会に行っても、実践的な働きができずに教会の働きを遅らせたら、邪悪な行為になるわ！」私の剣幕に少しおびえた姉妹は、実際の状況を基にそう書いたけど、全体像は考えてなかったからもう一度見直すと言ったの。目的は果たしたはずなのに、私の気持ちは晴れなかった。特に李姉妹を見ると、良心が痛み、罪悪感を覚えた。悪い事、恥ずべき事をしたので、李姉妹の目も見られない。私の様子を見て、李姉妹がこう訊いた。「何か問題でも？」と。そう言われるとますます罪悪感が強くなり、「え、ええ」とだけ言って、他の部屋に駆け込み、跪いて神に祈った。「神よ、私は理知のない人間です。みんなの評価を見て李姉妹に嫉妬し、裏で評価を下げようとした。あなたに忌み嫌われるとわかっていても、堕落した性質に縛られ、自分を止められません。啓きを与えてください。真に自己を知り、堕落した性質で生きるのをやめられるように」。祈った後少し心が落ち着くと、コンピューターを立ち上げ、御言葉を読んだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神は言われます。「そのような人は自分より優れた人を見ると、他の人々がその人を高く評価しないよう、また誰一人傑出した人がいなくなるよう、その人を押さえつけたり、その人に関する噂を流したり、何らかの卑劣な手段を用いたりします。それは傲慢さと独善性、また邪悪さ、不正直さ、狡猾さからなる堕落した性質であり、そのような人は自分の目標を達成するためには手段を選びません。このように生きながら、自分のことを偉大で善人だと考えています。しかし、このような人に神を畏れる心はありますか。まず何より、これらの事柄の特質という観点から言えば、このように行動する人はただ自分の好きなようにしているのではありませんか。神の家の益を考えていますか。神の家の働きが被る損害に関係なく、自分の感情しか考えず、自分の目標だけを達成したいのです。このような人は傲慢で独善的なだけでなく、利己的で卑劣でもあります。神の意図をまったく配慮しませんし、神を畏れる心がないことに疑いの余地はありません。自責の念も、恐怖、不安や心配も一切なく、結果を考えることもなく自分の望むことを何でもして、勝手気ままに振る舞うのはそのためです。このような人は頻繁にそうしており、絶えずそのように振る舞ってきました。こうした人たちが直面する結末はどういったものですか。彼らは困難に見舞われる、そうではないですか。寛容な言い方をすれば、こうした人たちはあまりに嫉妬深く、個人的な名声や地位に対する欲求が強すぎ、過度に不実で信頼できません。より厳しく言えば、本質的な問題は、こうした人たちに神を畏れる心がほんの少しもないということです。神を畏れず、自分が極めて重要な人物だと信じ、自分のことをあらゆる点で神より高く、真理よりも高いと見なしています。その心の中では、神はその名に言及する価値さえなく、何の意義もなく、このような人の心の中では何の地位もありません。心に神の居場所がなく、神を畏れない人は、真理への入りを成し遂げましたか。（いいえ。）では、いつものように嬉々として動き回り、絶えず忙しくしながら極めて多くの活力を費やすとき、その人たちは何をしているのですか。このような人たちは、自分はすべてを捨てて神のために費やし、大きな苦しみを受けてきたとさえ言い張りますが、実を言うと、すべての行動の動機、原則、そして目的は自分に利益をもたらすことです。自分の利益を残らず守ろうとしているだけなのです。この種の人は恐ろしいとあなたは言うでしょうか、それとも言わないでしょうか。どのような人間が神を畏れない人でしょうか。その人たちは傲慢ではありませんか。サタンではないのですか。神を畏れないのはどのようなものでしょうか。動物を別にすれば、悪魔、サタン、大天使、そして神と争うものはみな神を畏れません」（「神を信じる正しい道へ入る前に人が置かれる五つの状態」『キリストの言葉の記録』）。「人の堕落した性質は、サタンによって毒を盛られ、踏みにじられていることと、サタンが人の考え方、倫理観、見識、理知に与えたひどい被害を根源としている。まさに人のこうした根本的事柄がサタンによって堕落させられ、神がもともと造ったものとは完全に違ってしまったため、人は神に反対し、真理を理解しないのである」（「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」『言葉は肉において現れる』）。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; この御言葉に心が乱れ、うろたえたわ。まさに私の状態を示してたから。指導者に目をかけられた李姉妹を妬み、反感を抱き、卑劣な手段で彼女の評価を下げ、批判し、その本分から遠ざけるため、あらゆる手を尽くした。教会の利益など考えず、目的を果たすためなら何でもする。ごう慢で、勝手で、神への畏れもなかった。神の望みは、より多くの人が御心に配慮し、自分の本分を尽くすこと。よくわかってた……李姉妹は素質もあり、真理を追求していたから、もっと訓練を積めば、いのちの入りと技能が向上し、教会の働きのためになる。でも私は自分の名声と地位のために彼女を押さえ、その本分につかせないよう裏で手を回した。知らぬ間にサタンの手下となり、教会の働きを乱していた。つくづく自分が嫌になった。嫉妬は神の御心に反することだとわかってはいたけど、まさか自分が、ここまで人間らしくない行動をとり、教会の働きを乱し、悪を働き、神に抵抗するなんて。この御言葉を思い出した。「人の堕落した性質は、サタンによって毒を盛られ、……を根源としている」。嫉妬深く、人が自分より優れていることが許せなかった。それはサタンの毒が私の考えや観点をゆがめていたから。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」や「天上天下唯我独尊」や「両雄並び立たず」といった毒で生き、いつも集団のトップに立とうとし、自分は人より優れていると思い、自分より能力が高い人を公平に扱えなかった。嫉妬深く差別的で、相手を疎んじ、真理を追求する人を妬み、排除し、攻撃し、裏で貶めた。人間らしさのかけらもなかった！　自分を持ち上げ、人を貶め、争い、打ち勝ち、誰にも従わず、人より目立ちたかった。まるで生きるサタンのよう。その時やっとわかった。サタンの毒や生存の法則が、自分の本性になっていたんだと。それを人生の核とし、利己的で傲慢で邪悪な人間になっていた。悔い改めなければ、神に憎まれ淘汰される。これに気づいた時、心からおそろしくなり、急いで神に祈り、悔い改め、真理を実践し、サタンの毒を捨てますと伝えた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 数日後、指導者から、総合的に見て、他の教会での働きに李姉妹が適任だという手紙が届いた。それを読んで心がざわついたけれど、嫉妬心が自分を操ろうとしていると気づき、すぐ神に祈り、自分に背くことができた。そして、さらに次の御言葉を読んだの。神は言われます。「自分の利己的で卑しい正体があわらになり、そのことを自覚したときは、真理を求める必要があります。神の旨に沿うにはどうすればいいのか。どう行動すれば皆のためになるのか。つまり、まず自分の利益を棚上げにすることから始め、その利益を自分の霊的背丈に合わせて少しずつ手放していかなければなりません。何度か経験していると、それを完全に棚上げできるようになり、そうするうちにますます安定を感じるようになります。自分の利益を棚上げすればするほど、あなたは人として良心と理知を備えるべきだと感じるようになります。そして利己的な動機を持たなければ、自分はまっすぐで公正な人間であり、ただ神を満足させるために行動しているのだということを実感するでしょう。そしてそのような行動を通じて、自分が『人間』と呼ばれるにふさわしいものになるのを感じ、地上でそのように生きていると、自分が公平かつ正直であり、純粋な人間であり、潔白な心を持っており、神に授けられたすべてのものに値すると感じるようになるでしょう。そのように生きれば生きるほど、揺るぎない明るい気持ちになれるのです。その結果、あなたは正しい道に足を踏み入れてはいないでしょうか」（「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』）。「神の旨を真に考慮できれば、人を公平に扱うことができるようになります。あなたが誰かを推薦し、その人が才能ある人に育ち、その結果神の家に有能な人材をもう一人もたらすことになれば、あなたは自分の働きをよく行なったことになりませんか。本分を尽くすことに忠実であったことになりませんか。これは神の前での善行であり、人間が有するべき良心と理知です」（「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』）。御言葉は、実践の道をはっきりと示した。自分の利益を捨て、神の家の利益を考えなければ。特定の分野で自分より優れた人物を推薦すれば、才能をもつ人がみな神の家でその長所を活かし、神の国の福音を広める役割を果たせる。そのような人だけが人間らしさをもち、神の御心に配慮し、神の家の利益を守り、神の承認を得て、善行をなせる。その夜李姉妹に会いに行き、この本分を尽くす意思があるか聞くと、やりたい気持ちはあるけど、信仰に入ったばかりで霊的背丈も小さく、うまく尽くせるか心配だと言います。その不安を聞いた私は、神の御心を交わり、神に身をゆだね、神を仰ぎ、真理の原則を追うことに集中するよう励ました。数日後、李姉妹は新たな本分のために旅立ったの。とても幸せで、真理を実践し、名声や地位を求めない生き方こそが、誠実さと尊厳をもって生きる道だと感じた。心は穏やかそのものでした。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 振り返ると、堕落した性質で生きていた時は、常に嫉妬し、名声と地位を求め、サタンに堕落させられ弄ばれた。辛い生き方でした。神は、私を暴いて救うために、人や物事、出来事や環境を取り計らい、御言葉を使って私を暴き、裁き、水と糧をくださった。そしてようやく、私は自分のサタン的本性に気づき、人を妬み、名声と利益を求めることの本質と末路を知った。そのとき初めて多少の真理を実践し、良心と理知を得たのです。神に感謝！&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 27 Dec 2020 23:30:39 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12478488</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>キリストの言葉</category><category>全能神</category><category>救われる</category><category>神の愛</category><category>祈り</category></item><item><title>主イエスはすでに来たとあなたたちは証しをしたが、私たちはそれを信じない。私たちは長年にわたって主を信じており、主のために常にたゆまず働いてきた。だから主が来るなら、まず私たちにそれを明かすはずだ。私た</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12464852</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;参考聖書箇所&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」（ヨハネによる&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/books.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;福音書&lt;/b&gt;&lt;/a&gt; 20:29）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。……だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」（マタイによる福音書 24:42-44）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない」（ヨハネの黙示録 3:3）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした」（マタイによる福音書 25:6）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」（ヨハネの黙示録 3:20）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」（ヨハネによる福音書 10:27）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」（ヨハネの黙示録 2:7）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神の働きは前進を続けており、その目的が変わることはないが、神の働きの実行手段はたえず変化しており、それによって神に従う人々も変化していく。神の働きが増えれば増えるほど、人はさらに徹底的に神を知るようになり、それに応じて人の性質も神の働きとともに変化する。しかし、神の働きがたえず変化しているため、聖霊の働きを知らない人々や真理を知らない愚かな人々は神の敵対者になる。神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事をたゆみなく行う。神はその働きを繰り返すことはなく、人は例外なく神の過去の働きに基づいて神の今日の働きを判断するので、神が新しい時代の働きの各段階を実行するのは困難を極める。人はあまりにも多くの妨げとなる物を突きつける。人の考えは偏狭すぎる。誰も神の働きを知らないのに、誰もがその働きを定義する。神から離れたら、人はいのちも&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;も神の祝福も失ってしまうのに、人はいのちも真理も受け入れず、ましてや神が人類に与えるさらに大きな祝福も受け入れない。すべての人は神を得たいと願っているのに、神の働きのいかなる変化も許容することができない。神の新しい働きを受け入れない人々は、神の働きは不変であり、永久に停滞したままであると信じている。彼らの信条によれば、神から永遠の救いを得るためには律法を守ってさえいれば十分であり、悔い改め、罪を告白しさえすれば、神の心は永遠に満たされる。彼らは、律法の下の神、人間のために十字架につけられた神だけが神のはずであると考えている。また、神は聖書を超えるべきではないし、超えることはできないとも考えている。まさにこうした考えが彼らを古い律法に堅く縛りつけ、厳しい規定に束縛し続けてきた。さらに多くの人々が、神の新しい働きがどのようなものでも、預言による裏付けがなければならず、その働きの各段階で、本心で神に従うすべての者には啓示が示されなければならない、そうでなければそれは神の働きではありえないと信じている。人が神を知るようになるのはただでさえ決して容易なことではない。さらに、人の愚かな心、ならびにうぬぼれという反抗的な本性を考慮すると、人が神の新しい働きを受け入れるのはなおさらむずかしい。人は神の新しい働きを入念に調べることも、謙遜して受け入れることもない。むしろ、軽蔑的な態度をとり、神の啓示と導きを待つ。これは神に反抗し、敵対する人の行動ではないだろうか。そのような人たちがどうして神の承認を得ることができようか。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「自己の観念で神を規定する人がどうして&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/how-can-man-who-has-defined-god-classic-words.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;神の啓示&lt;/a&gt;を受けられるのか」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 預言者イザヤの預言書には、イエスという名の子供が新約聖書の時代に生まれるという記述はまったくなく、インマヌエルという名の男の子が生まれるとしか書かれていない。なぜ「イエス」の名は言及されなかったのか。旧約聖書のどこにもこの名前は出てこないにもかかわらず、なぜあなたはいまだにイエスを信じるのか。まさかあなたはイエスをその目で見た後でイエスを信じ始めたのか。それとも啓示を受けて信じ始めたのか。神は本当にそのような恵みをあなたに示すだろうか。そしてあなたにそのような偉大な祝福を授けるだろうか。何を根拠にあなたはイエスを信じたのか。ではなぜあなたは神が今日肉となったことを信じないのか。神からあなたへの啓示がないのは神が肉となっていないことの証明だとなぜ言うのか。神は働きを始める前に人に告げなければならないのか。まず人の承認を受けなければならないのか。イザヤは飼い葉桶の中で男の子が生まれると宣言しただけで、マリアがイエスを産むとは預言しなかった。ではなぜあなたはマリアが産んだイエスを信じたのか。確かにあなたの信仰は不確実で混乱した信仰ではないか。……&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 当時のユダヤ人はみな旧約聖書を読んでいて、男の子が飼い葉桶の中で生まれるというイザヤの預言を知っていた。それではなぜ、これを知っていたにもかかわらず、彼らはイエスを迫害したのか。彼らの反抗的本性と聖霊の働きについての無知のためではないだろうか。当時、パリサイ人は、イエスの働きは預言された幼児について彼らが知っていることとは違っていると信じていた。今日の人が神を受け入れないのは、肉となった神の働きが聖書と一致しないからである。彼らの神に対する反抗の本質はまったく同じものではないだろうか。あなたは聖霊のすべての働きを疑いなく受け入れることができるか。もしそれが聖霊の働きなら、それは正しい流れである。あなたは何を受け入れるべきか選別するよりも、むしろそれをほんのわずかな疑念も抱かずに受け入れるべきである。神からさらなる洞察を得て、神に対してさらに用心するのであれば、それは無用な行為ではないだろうか。あなたがするべきなのは、聖書からさらに実証を求めたりせず、聖霊の働きである限り、いかなるものも受け入れることである。あなたが&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/only-loving-god-is-truly-believing-in-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神を信じる&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;のは神に従うためであり、神を調べるためではないからである。わたしがあなたの神であることを示すためにわたしに関するさらなる証を探し出すべきではなく、むしろわたしがあなたのためになるかどうかを見定めるべきである。それが鍵である。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受けられるのか」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神を信じているのであれば、人間は神の歩調に遅れることなく、一歩一歩ついて行かなければならない。人間は「子羊が行く所はどこへでもついて行く」べきである。彼らだけが真の道を求める人々であり、聖霊の働きを知っている者である。奴隷のように文字や教義に従う人々は聖霊の働きによって既に排除された者である。各期間において、神は新たな働きを開始し、各期間において、人間には新たな始まりがあるであろう。人間が「ヤーウェは神である」または「イエスはキリストである」というような一つの時代のみに該当する真理に従うだけであれば、人間は聖霊の働きに遅れずついて行くことは決してできず、聖霊の働きを得ることは永遠にできないであろう。神がどのように働くかに関わらず、人間はほんの僅かも疑うことなく、遅れずについて行く。このようにすれば、どうして人間が聖霊により排除されることなどあろうか。神が何を為すかに関わらず、それが聖霊の働きであることを人間が確信し、何も疑わずに聖霊の働きに協力し、神の要求を満たそうとする限り、どうして人間が罰されることなどあろうか。神の働きは一度も停止したことがなく、神の歩みは止まったことがない。また神の経営の働きが完成する前、神は常に忙しく、休んだことがない。しかし、人間は異なる。人間は、ほんの少し聖霊の働きを得ただけで、あたかもそれが決して変わらないかのように扱う。人間は、わずかに知識を得ただけで、より新しい神の働きの足取りに進んでついて行こうとしない。人間は、わずかに神の働きを見ただけで、すぐに神を一種の木の人形のように決めつけ、神は常に人間の見る形のままであり、過去も未来も常にそのような形であると信じる。人間は、表面的な知識だけを得て、誇らしくなって我を忘れ、全く存在しない神の性質や在り方をみだりに主張する。そして聖霊の働きの一つの段階について確信するあまり、神の新たな働きを宣べ伝えるのがどのような人であれ、人間はそれを受け入れない。彼らは聖霊の新たな働きを受け入れることができない人々である。彼らは保守的過ぎて、新しい事を受け入れられない。これらの人々は神を信じてはいるが、神を拒んでいる者たちである。人間は、イスラエルの民が「ヤーウェのみを信じてイエスを信じなかった」のは誤っていると信じるが、大多数の人々が「ヤーウェのみを信じてイエスを拒絶する」という役、そして「メシアの再来を切望するがイエスというメシアには反対する」という役を演じている。それならば、人間が、聖霊の働きの一つの段階を受け入れた後も、依然としてサタンの支配の下で生活し、依然として神の祝福を受けていないことに何の不思議も無い。これは、人間の反抗心の結果ではなかろうか。現在の新たな働きに追いつくことができない世界各地のクリスチャンたちは皆、自分達が幸運な者である、神は自分の一つひとつの願いをかなえるであろうという信仰にしがみ付いている。しかし、彼らは神がなぜ自分達を第三の天へと引き上げるのかを明確に述べることができず、イエスがどのようにして白い雲に乗って自分達を引き上げに来るかについても確信しておらず、ましてや自分達が想像している日に、本当にイエスが白い雲に乗って到来するかどうかを絶対の確信を持って言うことなどできない。彼らは皆不安であり、途方にくれている。彼らは、各教派から来る一握りの様々な人々を神が一人ひとり引き上げられるかどうかさえ知らない。神が現在行っている働き、今日人間が存在しているこの時代、神の旨―彼らはそれらを全く把握しておらず、その日を指折り数える事しかできない。最後まで子羊の足跡を追う者のみが、最終的な祝福を得ることができるのだが、最後までついて行けないにもかかわらず、自分が全てを得たと信じている「賢い人々」は神の出現を証しすることができない。彼らはみな自分が地上で最も賢い人間だと信じており、何の理由もなく神の働きの継続的な発展を中断させ、「神に至高の忠誠を示し、神に従い、神の言葉を守る」自分たちこそを神は天に引き上ると、絶対の確信を持っているようである。彼らは、神が語った言葉に対して「至高の忠誠」があるにもかかわらず、彼らの言動は極めて忌まわしい。なぜなら、彼らは聖霊の働きに逆らい、欺瞞や悪を犯すからである。最後まで従わない者、聖霊の働きに追いつけない者、旧来の働きにしがみ付く者は、神への忠誠を果たせなかったどころか神に逆らう者となり、新たな時代から拒否され、罰を受ける者となっている。これ以上哀れなことがあるだろうか。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人間の実践」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 主イエスは言いました。「トマス、あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。この言葉は、彼がすでに&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/thesecondcomingofjesus.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;主イエス&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;によって断罪されていたことを暗示しています。これは祝福されるか、祝福されないかという問題ではありません。あなたが信じないなら何も受け取れないということです。信じることでのみ、あなたは受け取れるのです。神があなたのもとに直々に現れ、あなたにその姿を見せ、あなたを納得させなければ、あなたは何も信じられないのですか。人として、あなたは何の資格があって、神に直々に現れてくれと要求できるのですか。何の資格があって、あなた自身のような堕落した人が、神に直々に語らせることができるのですか。さらに言えば、あなたは何の資格があって、神がすべてをはっきり説明してくれるまで信じないのですか。あなたが理性的であれば、神が発したこの言葉を読むだけで信じるでしょう。あなたが真に信仰を持っているなら、神が何をなすか、神が何を言うかは問題ではありません。むしろ、この言葉が真理であると知れば、それが神によって言われたこと、あるいは神によってなされたことだと完全に確信し、神に最後までつき従う覚悟がすでにできているでしょう。これを疑う必要はありません。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『キリストの言葉の記録』の「自分の誤った考えを認識することでのみ自己認識ができる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神の足跡を探し求めている私たちは、神の心意、神の言葉、神の発する声を探り求めなければならない。神が語る新しい言葉があるところには神の声があり、神の足跡があるところには神の業があるからである。神による表現があるところに神が現れ、神が現れるところには真理、道、いのちがある。神の足跡を探し求める中で、あなたがたは「神は真理であり、道であり、いのちである」という言葉を無視していた。そのため、真理を受け取っても神の足跡を見出したとは思わない人が多いのである。ましてや、神の現れを認めることなどない。なんと大きな過ちであることか。神の現れは人の観念と一致することはない。ましてや神は人の言うままに現れない。神は自らの判断で、自らの計画に従って働く。さらに、神にはその目的と方法がある。神がどのような働きをしようと、人と話し合ったり人の助言を求める必要はない。ましてや神が人間一人一人にその働きを知らせる必要などなおさらない。これが神の性質であり、さらにそれはすべての人が認識すべきことである。もし神の現れをその目で見、神の足跡をたどりたいと願うなら、自分自身の観念を捨て去らなければならない。神にこれをせよあれをせよと命じてはならない。ましてや神を自分の枠の中に閉じ込めたり、自分の観念の中に押し込めたりすべきでない。そうではなく、どのように神の足跡をたどるべきか、どのように神の現れを受け止めるべきか、どのように神の新しい働きに従うべきかと問うべきなのである。これが人のすべきことである。人は真理ではなく、真理を自分のものにしていないので、人は探し求め、受け入れ、従うべきである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の現れによる新時代の到来」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」。あなたがたには今聖霊の言葉が聞こえたか。神の言葉があなたがたに届いた。それが聞こえるか。神は終わりの日に言葉による働きを行うが、そのような言葉は聖霊の言葉である。神は聖霊であり、また肉になることもできるからである。したがって、過去に語られた聖霊の言葉は今日肉となった神の言葉である。聖霊の言葉は天から降りてきて人の耳に届くはずだと信じている多くの愚かな人がいる。このように考える人は誰も神の働きを知らない。実際、聖霊が語る言葉は肉となった神が語る言葉なのである。聖霊は人に直接語りかけることはできないし、ヤーウェは律法の時代でさえ人々に直接語りかけることはなかった。ましてや、今日、この時代に神が直接語りかけるなどとはまず考えられないのではないか。神が言葉を発して働きを実行するためには、肉とならなければならない。そうでなければ神の働きは目的を達成させることはできない。肉となった神を否定する人々は、霊、あるいは神が働きを行なう原則を知らない人である。今は聖霊の時代だと信じているのに、聖霊の新しい働きを受け入れない人々は、曖昧な信仰の中に生きている人である。こうした人々は聖霊の働きを決して受けとらない。聖霊が直接語りかけ、働きを実行することだけを望み、肉となった神の言葉や働きを受け入れない人々は、新しい時代に足を踏み入れることも、神からの全き救いを受けることも決してできない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受けられるのか」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sat, 26 Dec 2020 22:54:04 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12464852</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の啓示</category><category>真理</category><category>福音書</category><category>神を信じる</category><category>主イエス</category></item><item><title>終わりの日における神の働きはなぜ霊を通して行われないのか。神はなぜ肉において働きを行うようになったのか。</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12426476</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;b&gt;参考聖書箇所&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「モーセは言った、『どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください』。ヤーウェは言われた、『……あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである』」（出エジプト記 33:18-20）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「ヤーウェはシナイ山の頂に下られた。そしてヤーウェがモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。ヤーウェはモーセに言われた、『下って行って民を戒めなさい。民が押し破って、ヤーウェのところにきて、見ようとし、多くのものが死ぬことのないようにするためである』」（出エジプト記 19:20-21）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「民は皆、かみなりと、いなずまと、ラッパの音と、山の煙っているのとを見た。民は恐れおののき、遠く離れて立った。彼らはモーセに言った、『あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう』」（出エジプト記 20:18-19）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「すると天から声があった、『わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう』。すると、そこに立っていた群衆がこれを聞いて、『雷がなったのだ』と言い、ほかの人たちは、『御使が彼に話しかけたのだ』と言った」（ヨハネによる福音書 12:28-29）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;神による人の救いは、霊の手段や身分を直接用いて行なわれるのではない。と言うのも、神の霊は人が触れることも見ることもできないものであり、人が近づくこともできないからである。もしも神が霊のやり方で直接人を救おうとするなら、人は神の救いを受け取ることができないだろう。そして、もしも神が被造物である人の容姿をまとわないなら、人はこの救いを受け取ることができないだろう。なぜなら、ヤーウェの雲に近づける者が誰もいなかったように、人には神に近づく術がないからである。被造物たる人間になることでのみ、つまり自身がなろうとしている肉の身体にその言葉を入れることでのみ、神は自身に付き従うすべての人に直接言葉を働かせることができる。その時初めて、人は&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を自ら見聞きし、そしてさらに、神の言葉を自分のものにすることができ、それによって完全に救われるようになるのである。もしも神が肉とならなければ、血と肉からできた人は誰もそうした偉大な救いを受けることができないし、誰一人救われることもないだろう。神の霊が人類のあいだで直接働いたなら、人類は残らず打ち倒されてしまうか、神と接する術がないまま、完全にサタンの虜とされるだろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（４）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/gods-incarnation-2.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;受肉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;した神の働きが途方もなく素晴らしいことを、人は今や理解しており、そしてそこには、人には達成できず、奥義や不思議であることがたくさんある。ゆえに、多くの人が服従してきたのである。生まれてこのかた誰にも従ったことがない人たちも、今日、神の言葉を目にすると、そうと気づかないまま完全に従い、あえて吟味しようとも、他に何か言おうともしない。人類は言葉の下で倒れ、言葉の裁きの下にひれ伏している。もしも神の霊が直接人に話しかけたら、ダマスコへ向かうパウロが光の中で地にひれ伏したように、人類はみなその声に服従し、暴きの言葉がなくても倒れるだろう。神がこのように働きを続けたなら、人は言葉の裁きを通じて自分の堕落を知ることができず、ゆえに救いも得られないはずだ。神は肉となることでのみ、自身の言葉を自らすべての人の耳元に届けることができ、それによって聞く耳のある人がすべて言葉を聞き、言葉による裁きの働きを受けられるようにする。これだけが神の言葉による成果であり、霊が出現して人を脅かし、服従させるのではない。この実践的でありながら並はずれた働きを通じてのみ、長きにわたって奥深くに潜んでいた人の古い性質が完全に暴かれ、人はそれを認識して変えられるようになる。これらはすべて受肉した神の実践的働きである。この働きにおいて、彼は実践的に語り、裁きを下すことで、言葉による人への裁きという成果を挙げる。これが受肉した神の権威であり、神の受肉の意義である。それは受肉した神の権威と、言葉の働きが挙げた成果を知らしめるため、また霊が肉において降臨し、言葉による人間の裁きを通じてその権威を実証することを知らしめるためになされる。受肉した神の肉体は平凡かつ普通の人間性の外形だが、受肉した神が権威に満ちており、神自身であり、その言葉が神自身の表現であることを人に示すのは、彼の言葉が挙げる成果である。この手段により、受肉した神が神自身であること、肉となった神自身であること、誰にも犯されないこと、そして誰も言葉による彼の裁きを超えることはできず、いかなる闇の勢力も彼の権威に打ち勝てないことが、全人類に示される。人間が受肉した神に完全に服従するのは、ひとえに彼が肉となったことばであるため、彼の権威のため、そして言葉による彼の裁きのためである。受肉した神の肉体がもたらす働きは、彼のもつ権威である。神が肉になるのは、肉もまた権威をもつことができ、また受肉した神が現実的な方法で、つまり人が見たり触れたりできるような方法で、人類の間で働きを行なうことができるからである。その働きは、すべての権威を所有する神の霊によって直接なされる働きよりもはるかに現実的で、その成果も明らかである。これは、受肉した神の肉体が実践的な方法で語り、働きを行なえるからである。受肉した神の肉の外形は権威をもたず、人が近づけるものである。一方、受肉した神の本質は権威を伴うが、その権威は誰にも見えない。受肉した神が語り、働きを行なうとき、人は彼の権威の存在を感じ取れない。それにより、受肉した神は実際的な性質をもつ働きを容易に行なえる。その実際的な働きはすべて成果を挙げることができる。受肉した神が権威をもつことに誰も気づかなかったとしても、あるいは彼が誰にも犯されないことや、彼の怒りを誰一人知らなかったとしても、ヴェールに包まれた自身の権威、隠された怒り、そして自身が公然と語る言葉を通じ、彼は意図していた自身の言葉の成果を挙げる。言い換えると、受肉した神の口調、言葉の厳しさ、そして彼の言葉のあらゆる知恵を通じて、人は完全に納得するのである。このようにして、人は一見何の権威もないかのような受肉した神の言葉に服従し、それによって人の救いという神の目的を成就させるのである。これが受肉の意義のもう一つの側面である。つまり、より現実的に語り、自身の言葉の現実が人に効果を発揮するようにして、その結果、人は神の言葉の力を目の当たりにできる。したがって、この働きが受肉によってなされなければ、それはほんの少しも成果を挙げることができず、罪人たちを完全に&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/the-work-of-spreading-the-gospel-is-also-the-work-of-saving-man.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救う&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;ことができない。もしも肉にならなければ、神は人には見ることも触れることもできない霊のままだろう。人は肉の被造物であり、人と神は二つの異なる世界に属し、違う性質を有している。神の霊は肉でできた人と相容れることができず、両者の間に関係を築く術はなく、また言うまでもなく、人が霊になることはできない。そうであれば、自身本来の働きを行なうべく、神の霊は被造物の一つにならなければならない。神は最も高い場所に昇ることもできれば、へりくだって人間という被造物になり、人類のあいだで働きを行ない、その中で暮らすこともできる。しかし、人は高みに昇って霊になることができず、ましてや最も低い場所に降りることなどできない。神が肉となって自身の働きを実行しなければならないのは、それが理由である。同じように、最初の受肉の際、受肉した神の肉体だけが磔刑を通じて人類を贖えたのであり、その一方、神の霊が人のための捧げ物として十字架にかけられることは不可能だったに違いない。神は直接肉になり、人のための捧げ物となることができたが、人が直接天に昇り、神が人のために用意した罪の捧げ物を受け取ることはできなかった。そういうわけで、可能なのは天地を何度か行き来するよう神に求めることだけで、人間を天に昇らせ、その救いを受け取らせるのは不可能だろう。と言うのも、人はすでに転落しており、またそれ以上に、人が天に昇ることは到底できず、まして罪の捧げ物を得るなど不可能だからである。よって、イエスが人類のあいだに来て、人には到底成し遂げられない働きを自ら行なうことが必要だった。神が肉となるたび、絶対にそうする必要がある。もしもいずれかの段階が神の霊によって直接行なわれることができたなら、神が受肉という屈辱に耐えることはなかっただろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（４）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神は終わりの日における新たな働きの段階に入っている。神は自身の性質をより一層明らかにするが、それはイエスの時代の憐れみと愛ではない。神の手には新たな働きがあるので、それは新たな性質を伴う。ゆえに、もしもこの働きが霊により行なわれたならば、つまり神が受肉せず、代わりに霊が雷鳴を通じて直接語り、人間には神と直接接触する術がないようにしたならば、人間は神の性質を知ることができるだろうか。もしもこの働きを行なうのが霊だけであれば、人間に神の性質を知る術はないだろう。人々が神の性質を自らの目で見ることができるのは、神が肉となるとき、言葉が肉において現われるとき、そして神が自身の性質全体を肉によって表現するときだけである。神は本当に、真に人間のあいだで暮らしている。神は触れることができ、人間は神の性質、および神が所有するものと神そのものと実際に関わりをもつことができる。そうすることでのみ、人間は真に神を知るようになるのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン（３）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;神は実際的に肉において現れ、いきいきと命に溢れて人々に見られ、肉において実際に霊の働きを行うことによって、また肉において人々の模範とすることによって、ひとつの群れを神のものとして獲得する。神が肉として到来するのは、おもに神の実際の業を人々が見ることができ、形のない霊を肉において実体化し、人々が神を見たり触れたりできるようにするためである。このようにして、神によって完全にされる人々は神を現すように生き、神のものとされ、神の心に適うものとなる。神が天において話すだけで、実際に地上に来なかったのなら、人々はまだ神を知ることができず、空虚な理論を使って神の業を説くことができるだけで、現実として神の言葉を持つことができない。神が地上に来たのは何よりも、神に獲得されるべき人々の模範、手本として行動するためである。このようにしてのみ、人々は実際に神を知り、神に触れ、神を見ることができ、そうして初めて神のものとして獲得されるのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「実際の神は神自身であることを知るべきである」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神がいまだ受肉していなかったとき、人々は神が言うことのほとんどを理解していませんでした。神の言葉が完全な神性から発せられていたためです。神の言葉の観点と背景は、人間が見ることも触れることもできないものでした。それは、人には見えない霊の領域から発せられていたのです。肉において生きる人間にとって、霊の領域に立ち入ることは不可能でした。しかし神は受肉したあと、人間性の観点から人に対して語り、霊の領域から出てそれを超えました。神は自身の神性、旨、および姿勢を、人間が想像できる物事や、生活の中で見たり遭遇したりする物事を通じ、人間が受け入れられる方法を用い、人間が理解できる言葉で、また人間が把握できる知識で表わしました。そうすることで、人間が神を知って理解し、人間の能力の範囲内で、そして人間に可能な程度まで、神の意図と神が求める基準を理解できるようにしたのです。これが、神の人間性における働きの方法と原則でした。神が肉において行なった働きの方法と原則は、もっぱら人間性によって実現されましたが、それはまさに、神性において直接働いたのでは得られない成果を獲得したのです。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 ３」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;（神の言葉の一篇より）&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;堕落した人類には受肉した神による救いの方が必要である&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神が受肉したのは、その働きの対象がサタンの霊や肉体を持たない何かではなく、人間、つまり肉体をもち、サタンに堕落させられた存在だからである。人間の肉体が堕落しているからこそ、神は肉体をもつ人間を働きの対象とした。さらに、人間は堕落の対象であるため、神は救いの働きの全段階で、人間をその働きの唯一の対象としている。人間は死すべき存在で、生身の体をもっているが、人間を救える唯一の存在は神なのである。そこで、その働きでよりよい成果が得られるよう、神は働きを行うために人間と同じ属性をもつ肉体をもたなければならない。神がその働きを行うために受肉しなければならないのは、人間が肉体をもっていて、罪を克服することも、肉体を捨て去ることもできないためだ。受肉した神の本質と存在は人間の本質や存在とは全く異なるものなのだが、神の外見は人間と変わらず、通常の人間と同じように見える。神は普通の人間のように生活し、神を見る者は、普通の人間との違いを見いだせない。この普通の外見と普通の人間性とは、普通の人間として神がその神性の働きをするには十分である。神の受肉は普通の人間として働くことを可能にし、人々の間での働きを容易にし、さらに、その普通の人間性は人々の間で救いの働きを進めることの役に立つ。神の普通の人間性は人間の間に多くの混乱を招いたが、そうした混乱は神の働きの成果に影響を与えていない。つまり、神の普通の肉体の働きは人間に素晴らしく有益なのである。たいていの人は神が普通の人間であることを受け入れないが、それでも神の働きは効果的であることができ、そうした効果は神が普通の人間であることで達成される。この点に疑問の余地はない。神の肉体における働きから、人間は、神の普通の人間性について人間の間に存在する観念から受けるよりも十倍、数十倍のものを得る。そして、そうした観念はいずれ、すべて神の働きに飲み込まれることだろう。また、神の働きが達成した成果、つまり、人間がもつ神についての認識は、人間が神についてもっている観念をはるかに超える。神の肉体における働きは想像もできないし、測りようもない。神の体はどの人間の肉体とも異なっているからだ。外見は同じでも、本質は異なっている。神の肉体は、神について、人間の間に多くの観念を生み出す。しかし、神の肉体はまた、人間が多くの認識を得ることを可能にする。そして、似たような外見をもつどの人間をも征服できる。神は単なる人間ではなく、人間の外見をもつ神であり、誰も神を完全に理解することはできないからである。目に見えず、触れることもできない神を誰もが愛し、歓迎する。もし神が人間の目には見えない、ただの霊であるならば、人間が&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/only-loving-god-is-truly-believing-in-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神を信じる&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;ことは容易である。人間は自分の想像力を自由に働かせることができる。神の姿として、どんな姿でも好きなものを選び、それで喜んで満足していられる。このように、人間は自分の神が最も好むこと、この神が人に望むとおりのことなら何でも、何のとがめもなく行うことができる。さらに、人間は、自分よりも神に忠実で信心深い者は誰もいない、他の人はみな異邦の犬で、神に背いていると信じている。これが、神について漠然と教義に基づいた信仰をもつ人々が求めているものであると言える。彼らの求めているのは、どれも同じようなもので、ほとんど違いがない。これは単に、人々の想像している神の姿が異なっているというだけで、その本質は、実際のところ、同じなのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人間は自分の信仰がいいかげんなものであっても気にとめない。そして、好きなように神を信じている。これは誰も妨げることのできない「人間の権利と自由」の一つなのだ。なぜなら人間は他の誰のものでもない、自分の独自の神を信じているからである。これは私有財産であって、ほとんど誰でも、こうした私有財産をもっている。人間はこれを自分の貴い宝だとみなしているが、神にとっては、これ以上卑しく無価値なものはない。この人間の私有財産以上にはっきりと神に敵対するものはないからである。なぜなら、神が受肉してその働きを行うため、神は触れることのできる形を持ち、人が見、触れることのできる肉体になるからである。神は形のない霊ではなく、人間がさわり、見ることのできる肉体である。しかしながら、人々の信じる神々のほとんどは、生身の体をもたず、形がなく、不定形である。このように、受肉した神は、神を信じる者ほとんどの敵となり、同様に、受肉した神という事実を受け入れることのできない人々も、神の敵となった。人間は考え方や反抗心からではなく、この私有財産のために観念にとらわれているのだ。この私有財産のせいで、たいていの人は死に、この漠然とした、触れることができず、目にも見えない、実際に存在しない神のために、人間のいのちは損なわれている。人間のいのちが失われるのは、受肉した神のためではなく、まして、天の神のせいでもなく、人間が思い描いている神のせいなのである。神が受肉した唯一の理由は、堕落した人間が必要としているからである。人間が必要としているのであって、神が必要としているのではない。神のすべての犠牲と苦しみは人間のためであって、神自身のためではない。神には賛否も報奨もない。神はもともと自分のものであるもの以外、将来何らかの収穫を得るわけではない。神が人間のためにすること、犠牲とすることはすべて、何か大きな報酬を得るためではなく、純粋に人間のためである。受肉した神の働きには想像を超える困難が数多く伴うのだが、それが最終的に達成するものは、霊による直接の働きの成果をはるかに超える。肉の体の働きは多くの困難を伴う。肉体は霊のような偉大な身分をもたないし、霊のような超自然的な業は行えない。まして、霊と同じ権威をももたない。しかし、この平凡な肉の行う働きの本質は、霊が直接行う働きの本質をはるかに上回る。そしてこの肉自体が、全人類の必要に応えるものなのだ。救われるべき者たちにとって、霊の使用価値は、肉にはるかに劣る。霊の働きは、全宇宙、すべての山々、川、湖、大海に及ぶ。しかし、肉の働きで神は、触れるすべての人と効果的に交流できる。そのうえ、触れることのできる形をもつ神の体は、人間には理解しやすく、信頼しやすく、神についての人間の認識を深めることができ、神の実際の業の深い印象を植え付けられる。霊の働きは神秘に包まれていて、死すべき人間には理解し難く、見ることはそれ以上に難しい。だから、無意味な想像に頼るしかない。しかしながら、肉の働きは正常で、現実に基づいており、豊かな知恵を含み、人間の肉眼で見ることのできる事実である。人間はその身で神の働きの知恵を経験できるから、豊かな想像力を働かせる必要もない。これが受肉した神の働きの正確さ、本物の価値である。霊には、人間の目に見えず、想像しにくいことしかできない。たとえば、霊による啓示、霊による感動、それに霊の導きなど。しかし、知性のある人間には、こうしたものは何ら明瞭な意味をもたない。こうしたものは感動あるいは漠然とした意味しか提供せず、言葉による指示を与えられない。しかしながら、受肉した神の働きは、大いに異なる。言葉を用いて正確な導きができるし、明確な意図、そして、目指すべきはっきりとした目標がある。だから、人間は手探りして歩きまわる必要がないし、想像力を働かせる必要も、まして、推測する必要もない。これが肉における働きの明瞭さであって、霊の働きとの大きな違いである。霊の働きは限られた範囲においてのみ適しており、肉の働きと置き換えることができない。肉の働きは、霊の働きよりはるかに正確で、必要な目標とずっと現実的で価値ある認識とを人間に与える。堕落した人間にとって最も価値ある働きは、正確な言葉と目指すべき明確な目標を与え、そして見て触ることのできるものである。実際の働きと時宜にかなった導きだけが人間の嗜好に合う。そして、現実の働きだけが人間をその堕落した邪悪な性質から救える。これを成し遂げられるのは受肉した神だけである。受肉した神だけが、人間をかつて堕落した邪悪な性質から救えるのだ。霊は神に備わった本質であるが、こうした働きは受肉した神にしかできない。もし霊だけで働いたなら、神の働きは効果的なものではないだろう――これは明確な事実である。大方の人は、肉のために神の敵になっているが、神がその働きを完了するとき、神に敵対する者たちは敵であることをやめるだけではなく、それどころか神の証人になるだろう。そうした人たちは神に征服された証人、神の心にかない、神と分かちがたい証人になる。神はその肉体における働きの重要性を人間に知らせる。そして人間は、人間の存在の意味にとってこの肉体がどれほど重要であるかを知り、人間のいのちの成長に対するその本当の価値を知り、そのうえ、この肉体が、離れることが到底できない、生きるいのちの泉となることを知るだろう。受肉した神は、本来の神の身分と地位には遠く及ばないし、人間からすると神の本来の地位と相容れないものと思われるだろうが、この肉体、すなわち神の真の姿や身分をもたないこの存在は、神の霊には直接できない働きができるのである。それが神の受肉の真の意味と価値であり、そしてこの意味と価値を人間は理解し、受け入れることができない。すべての人間は神の霊を仰ぎ、受肉した神を見下すが、彼らがどう判断し、どう考えるかに関わりなく、この肉体の真の意味と価値とは霊にはるかに優る。もちろん、これは堕落した人間との関連においてのみ言えることだ。真理を求め、神の現れを待ち望む者すべてにとって、霊の働きは感動と啓示、理解不能で想像もできない不思議な感覚、偉大で超越的で崇めるべきものであるが誰にも達成できず手に入れることのできないものという感覚だけを与える。人間と神の霊とは、遠くから互いを見ることしかできない。まるで両者の間に遠い隔たりがあるように。そして、けっして似ることがない。まるで、人間と神は目に見えない境界で隔てられているかのように。実は、これは霊が人間に与えた幻影である。なぜならば、霊と人間とは種類を異にするものであり、霊と人間はけっして同じ世界で共存できず、霊には人間的な要素は何もないからである。だから、人間には霊は必要ではない。霊には、人間に最も必要な働きを直接することができないからである。肉の働きは求めるべき真の目標、明確な言葉、そして、神が現実的かつ正常で謙虚で普通であるという感覚を人間に与える。人間は神を恐れはするだろうが、たいていの人は神と心安く付き合える。人間は神の顔を見、神の声を聞くことができるし、遠くから見る必要はない。この肉体は人間にとって近づきやすいように思われる。遠くの不可思議な存在ではなく、目に見え、触れられるのだ。この肉体は人間と同じ世界にあるのだから。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 肉体において生きるすべての者にとって、性質を変えるには目指すべき目標が必要だ。そして、神を知るには、神の本当の業を見、神の本当の顔を見る必要がある。この二つは神の受肉した体でのみ可能なことだ。そして、いずれも普通の現実の体でのみ成し遂げられる。だから受肉が必要なのであり、すべての堕落した人間はこれを必要としているのだ。人々は神を知る必要があるので、漠然とした超自然的な神の表象を心から消し去らなければならない。そして、堕落した性質を捨て去る必要があるのだから、まずその堕落した性質を知らなければならない。人間の力だけで漠然とした神の表象を心から消し去ろうとしても、望ましい成果は得られないだろう。人々の心にある漠然とした神の表象は、言葉だけではさらけ出したり、消し去ったり、完全に除いたりすることはできない。そうしてみても、人間の中に深く根付いているものを消し去るのは不可能だろう。実践の神と神の真の姿を、そうした漠然とした超自然的なものと入れ替え、人々にそれらを徐々に知らしめることによってのみ、目指すべき結果が得られるのだ。人間は、過去に求めていた神が漠然とした超自然なものであったことに気づく。これを成し遂げるのは、霊による直接の導きではなく、まして、特定の個人の教えでもなく、受肉した神なのである。受肉した神が本格的にその働きを行うとき、人間の固定観念が露わになる。なぜなら、受肉した神の正常さと現実性は、人間の想像の中にある漠然とした超自然な神とは正反対なものだからだ。人間の元来からの固定観念は、受肉した神との対照によってのみ明らかになる。受肉した神と比較することなしには、人間の固定観念は明らかにならない。言い換えれば、現にそこにあるものと比較しなければ、漠然とした物事は明らかにならない。言葉によってこの働きのできる者は誰もいない。また、言葉によってこの働きを明確に表現できる者は誰もいない。ただ神自身がその働きができるのであって、ほかの誰も神に代わってその働きをすることはできない。人間の言語がどんなに豊かであろうと、神の現実性と正常性を言い表すことはできない。神が人間のもとで自ら働き、自分の姿と実在とをすっかり示してはじめて、人間はもっと実際的に神を知ることができ、もっとはっきり神を見られるのだ。肉体をもつ人間には、この成果を成し遂げられない。もちろん、神の霊もまた、これを成し遂げることはできない。神は堕落した人間をサタンの影響から救うことができるが、この働きは、神の霊には直接できないことだ。そうではなく、神の霊のまとう人間の体だけが、受肉した神の肉体だけができることだ。この生身の体は人間であると同時に神であり、正常な人間性を備えている一人の人間であるが、また、完全な神性を備えた神でもあるのだ。だから、この肉体は神の霊でなく、霊とは大きく異なっているのだが、それでも、人間を救う受肉した神自身であって、霊であると同時に肉体でもある。どのような名で呼ばれようと、つまるところ、それは人間を救う神そのものだ。神の霊は肉体から切り離すことはできず、肉の働きはまた、神の霊の働きでもあるからだ。これはただ、この働きが霊として行われるのではなく、人間として行われるということである。霊が直接行う必要のある働きは、受肉を必要としない。また、生身の体を必要とする働きは霊には直接できないもので、受肉した神だけが可能なのだ。これがこの働きに必要なものであり、また、堕落した人間に必要なものなのだ。神の働きの三つの段階では、一つの段階だけが霊によって直接行われた。そして残りの二つの段階は受肉した神が実行し、霊が直接働くことはない。霊が行った律法の時代の働きは、堕落した人間の性質を変えることを伴わず、神について人間が知ることと何の関わりもないものだった。しかしながら、恵みの時代と&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の時代の受肉した神の働きは、人間の堕落した性質と神についての認識に関わるもので、救いの働きにおける重要かつ不可欠な部分である。だから、堕落した人間には受肉した神による救いの方が、受肉した神の直接的な働きの方がさらに必要である。人間には、受肉した神が導き、支え、水をやり、養い、裁き、罰する必要がある。そして、受肉した神からのさらなる恵みと贖いが必要だ。受肉した神だけが人間の親友となり、牧者となり、現実に存在する助けとなることができる。これらすべてが現在と過去において受肉が必要とされる所以である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人間はサタンのせいで堕落したが、神の被造物のうちで最高のものだ。そこで、人間には神による救いが必要だ。神の救いの対象はサタンではなく人間であり、救われるべきものは人間の肉、人間の魂であり、悪魔ではない。サタンは神が滅ぼす対象であり、人間は神に救われる者である。人間の肉はサタンによって堕落させられた。だから、まず人間の肉が救われなければならない。人間の肉は極めて深く堕落しており、神に敵対するものになっている。そして、公然と神に敵対し、神の存在を否定しさえする。この堕落した肉は、まったく手に負えない。堕落した肉の性質以上に扱いにくく、変えにくいものはない。サタンは人間の体に入って混乱させ、人間の体を使って神の働きを妨害し、神の計画を妨げる。それゆえ人間はサタンとなり、神の敵になった。人間が救われるには、まず征服されなければならない。このため、神は挑戦に立ち上がり受肉した。働きを行い、サタンと戦うためである。神の目的は堕落した人類の救いと、自分に抵抗するサタンを打ち破り、滅ぼすことである。神は人間を征服する働きによってサタンを破り、同時に堕落した人間を救う。したがって、それは二つの目的を一度に果たす働きである。神は肉において働き、肉において語り、すべての働きを肉において行う。人間とよりよく交わり、よりよく征服するためである。この神の最後の受肉において、世の終わりの神の働きは肉において完了する。神は受肉したままですべての人間を種類によって分け、すべての経営（救い）の働きを終え、また、肉における働きをもみな終える。地上での働きがすべて終わると、神は完全な勝利者となる。受肉して働いた神は完全に人間を征服し、人間をすべて自分のものとしている。これは、神による救いの計画がすべて終わるということではないか。神が肉における働きを終えるとき、サタンを完全に打ち破り、勝利するので、サタンには、もはや人間を堕落させる機会がない。神が最初に受肉したときの働きは、人間の罪の贖いと赦しであった。次の働きでは、人間を征服し、完全に自分のものとし、サタンがもはや働けないようになって完全に敗れ、神が完全な勝利者となる。これが肉の働きであり、神自身が行う働きなのだ。神の三段階の働きの最初のものは、霊が直接行ったもので、肉によるものではなかった。しかしながら、神による働きの三段階のうち、最後の働きは受肉した神が行うもので、霊が直接行うものではない。中間段階の贖いの働きもまた、神が受肉して行った。全経営計画を通して、最も重要な働きは人間をサタンの影響から救う働きである。重要な働きは堕落した人間を完全に征服することで、それによって、征服された人間の心に本来あった神への畏敬の念を回復し、正常な生き方ができるようにする。つまり、神の被造物として正常な生き方ができるようにするのだ。この働きは最も重要なもので、経営の働きの核心である。救いの三段階の働きのうち、最初の段階の律法の時代の働きは、救いの働きの核心から遠いものだった。ただ救いの働きをわずかに現したにすぎないし、人間をサタンの領域から救う働きの始まりではなかった。最初の段階の働きは、霊が直接行ったが、それは、律法の下で人間は律法を守ることだけしか知らず、それ以上の真理を知らなかったからであり、律法の時代の働きは、人間の性質の変化はほとんど伴っておらず、どのようにして人間をサタンの領域から救うかという働きとは、さらに関わりがなかったからだ。そのため、神の霊は極めて単純な、人間の堕落した性質とは関わらない段階の働きを終えた。この段階の働きは、経営の核心にほとんど関係がなく、人間の救いという正式の働きとはあまり関係がなかった。だから、神が自ら受肉して働く必要がなかった。霊の働きはさりげなく行われ、測り難いものであり、人間には非常に恐ろしくて近寄りがたいものである。霊は直接救いの働きをするには適していないし、直接人間にいのちを与えるにも適していない。人間に最も適しているのは、霊の働きを人間に近い形に変えることで、それはつまり、最も人間に適しているのは、神が普通の正常な人間になって働きをするということである。これには、神が受肉して霊の代わりに働くことが必要であり、人間のために神が働くのに、これ以上ふさわしい方法はない。こうした三段階の働きの中で、二つの段階は、肉体によって行われたが、その二つの段階は経営計画の中の肝要な部分である。二回の受肉はそれぞれ補い合うもので、補完的である。神が最初に受肉した段階は、第二の段階の基礎を敷いたのだが、これは、神の二回の受肉が一つの全体をなし、互いに相容れないものではないと言える。この二つの段階は全経営の計画の中でまことに重要なものであるため、神が受肉してこの二つの段階を実行する。こう言ってもいいだろう――神の二回の受肉の働きがなければ、経営の計画全体は停止し、人類の救いの働きは空虚な言葉でしかなかっただろう。この働きが重要であるかどうかは、人間の必要、人間の堕落の現実の状態、サタンの甚だしい不服従、それが働きを妨げている程度による。この任務にふさわしい者は、それが行う働きの性質とその働きの重要性によって決まる。この働きの重要性という点では、どんな方法を用いるか、すなわち神の霊が直接働きを行うか、それとも神が受肉して働くのか、あるいは人間を通じて行うかという意味においては、選択肢から最初に除かれるべきは、人間を通じて行う方法である。働きの性質という点では、霊による働きの性質と肉の働きの性質を比べたとき、最終的に、肉によって行う働きが、霊が直接行うより人間にとって有益で、効果的であるということになった。霊と肉のどちらによって働きを行うか決める際、神はこのように考えたのである。各段階の働きには意味と根拠がある。それらは根拠のない想像ではなく、また、恣意的に行われたことでもない。そこにはある種の知恵が働いている。それが神の働きの背後にある真実である。とりわけ、神自らが受肉して人間の間で働くような偉大な働きにおいては、さらなる神の計画がある。そこで、神の知恵と神の存在すべてがあらゆる行為、考え、働きの構想に反映されている。これは神のより確固として体系的なありかたである。こうした緻密な考えや構想は人間には想像しにくく、信じ難いし、そのうえ、知ることも困難だ。人間の行う働きは一般的な原則によるもので、それは人間には極めて満足のいくものだ。しかし、神の働きと比べると、あまりに大きな隔たりがある。神の業は偉大で、神の働きは規模が壮大であるが、その陰には人間には想像もできないような多くの綿密な計画や工夫がある。神の働きの各段階までもが原則に則っているだけではなく、人間の言語では表現できないようなことが数多く含まれている。そして、そうしたものは、人間には見えないものなのだ。霊の働きであろうと、受肉した神の働きであろうと、いずれも神の働きの計画を含んでいる。神は無意味に働きをせず、取るに足りない働きもしない。霊が直接働く時、神の目的を伴っている。神が働きのために人間になるとき（つまり外形を変える時）は、それ以上に目的があってのことである。そうでなければ、どうして進んで身分を変えるだろう。そうでなくて、どうして進んで卑しくみなされ迫害される人になるのか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知らない。神は人間を一人一人裁きはしないし、一人ずつ試みもしない。それは裁きの働きではない。堕落はすべての人間に共通しているのではないか。人間の本質は、みな同じなのではないか。裁かれるのは人間の堕落した本質、サタンのせいで堕落した人間の本質、そして人間の罪全部である。神は人間の些細で無意味な過ちを裁かない。裁きの働きは代表によるもので、特に誰かのために行うものではない。そうではなくて、この働きでは、一群の人々が人類を代表して裁きを受けるのである。受肉した神が自ら一群の人々に働きかけ、全人類に施す働きを代理的に行うと、その後、それが徐々に広まる。裁きの働きも、そのように行われる。神は特定の人や特定の人の集団を裁くのではなく、全人類の不義を裁く――例えば、神への敵対、神に対する不遜、神の働きの妨害等。裁かれるのは人間の神への敵対の本質であって、この働きは終わりの日の征服の働きである。人間が目撃する受肉した神の働きと言葉は、終わりの日に大きな白い玉座の前での裁きの働きであり、これは過去に人間が考えたものである。今、受肉した神が行っている働きは、まさに、大きな白い玉座の前での裁きである。今日の受肉した神は、終わりの日にすべての人間を裁く神である。この肉体と神の働き、言葉、そしてすべての性質が神の総体である。神の肉の働きの規模は限られているし、直接全宇宙に関わるものではないが、裁きの働きの本質は、全人類への直接の裁きであって、中国の選民のためだけでも、少数の人のためでもない。受肉した神の働きの間、この働きの範囲は全宇宙に及びはしないが、全宇宙への働きを代表し、受肉した体の作業範囲の働きを終えた後、神は直ちにこの働きを全宇宙に広める。イエスの福音がそのよみがえりと昇天の後で全宇宙に広まったように。それが霊の働きであろうと、肉の働きであろうと、限られた範囲だけにおいて実行される働きであるが、全宇宙への働きを代表するものなのである。終わりの日、神は受肉した体で働くために出現する。そして、受肉した神は、大きな白い玉座の前で人間を裁く神なのである。霊でも肉体でも、裁きの働きを行うのは、終わりの日に人間を裁く神である。これは、神の働きによって規定されたものであって、神の外見やその他の要素によって決まるものではない。人間はこうした言葉についての観念をもっているが、受肉した神がすべての人間を裁き、征服することは誰も否定できない。人間がそれをどう評価するかに関わらず、事実は、結局のところ、事実である。誰ひとり、「働きは神によるが、その肉体は神ではない」とは言えない。これは戯言だ。この働きは、受肉した神以外にはできないものだからだ。この業はすでに完了しているのだから、この働きの後で神が再び人間を裁く働きをすることはあり得ない。二度目に受肉した神はその経営計画全体のすべての働きをすでに完成したのだから、神の働きの第四段階というものはない。裁かれるのは人間、肉の体をもち堕落した人間であり、直接裁かれるのはサタンの霊ではなく、裁きの働きは霊的世界ではなく、人間の間で行われる。人間の肉体の堕落を裁くのには、受肉した神以上に相応しいものはおらず、受肉した神以上に資格のあるものもいない。もし神の霊が直接裁いたならば、それはすべてを含むものではないであろう。そのうえ、そうした働きは人間には受け入れがたいものだったろう。なぜなら、霊は人間と直接会うことができず、そのため効果は即座に見られるものでもない。まして、人間が神の侵しがたい性質をより明確に目にすることはできないであろう。もし受肉した神が人間の堕落を裁くなら、はじめてサタンを完全に打ち負かせる。受肉して普通の人間性をもった神は、直接人間の不義を裁くことができる。これが神本来の聖さ、すばらしさである。神だけが人間を裁く資格があり、その地位にいる。神には真理と義があるから、人間を裁くことができる。真理と義のない者には他人を裁くことができない。この働きが神の霊によって行われたなら、それはサタンに勝利したことにはならないだろう。霊は本来、死すべき者たちよりも高い地位にあり、神の霊は本質的に聖く、肉に優る。もしこの働きを霊が直接行ったならば、神は人間の不服従のすべてを裁くことができず、人間の不義をすべて露わにすることもできないだろう。裁きの働きもまた人間の神についての観念を通して行われるからである。人間は霊について何の観念も抱いたことがない。そのため霊には、人間の不義をよりよく露わにすることができないし、まして、そうした不義を完全に明らかにすることもできない。受肉した神は、神を知らない者すべての敵である。人間の観念と神への敵対を裁くことで、神は人間のあらゆる不服従を明らかにする。受肉した神の働きの成果は、霊の働きよりも明らかである。そのため、すべての人間の裁きは霊が直接するのではなく、受肉した神の働きなのである。人間の体をもつ神は、人間が目で見、触れることができる。また、受肉した神は完全に人間を征服できる。この受肉した神と人間との関係において、人間は敵対から従順、迫害から受容、観念から認識、そして、拒否から愛へと変わっていく。これが受肉した神の働きの成果である。人間は神の裁きを受け入れることによってのみ救われ、神の口から出る言葉によって徐々に神を知るようになり、神に敵対している間に神に征服され、神の刑罰を受けている間にいのちの糧を受ける。この働きはみな受肉した神の働きであって、霊としての神の働きではない。受肉した神の働きは最も偉大で、最も深い働きであり、神の働きの三段階のうちの最も大事な部分は、受肉による働きの二つの段階である。人間の甚だしい堕落は、受肉した神にとって大きな障害である。とりわけ、世の終わりの人々に対する働きは極めて困難で、敵意に満ちた環境で、どの種類の人々の素質もまことに乏しい。しかし、この働きの終わりには、滞りなく望ましい結果を得る。これが肉の働きの成果であり、この成果は霊の働きの成果よりも説得力がある。神の働きの三つの段階は、肉において終結するだろう。そしてそれは受肉した神によって完結しなければならないのだ。最も重要かつ肝要な働きは肉において為され、人間の救いは神が受肉して自ら行わなければならない。人間はみな、受肉した神が人間と関わりがないと感じるだろうが、実際は、この肉体が、全人類の運命と存在に関わっているのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神の働きのどの段階も、人間のために行われるもので、それはすべての人間のためなのだ。それは受肉した神の働きであるが、それでもすべての人間を対象とする。神はすべての人間の神であり、すべての被造物とそうでないものの神である。受肉した神の働きは限られた範囲のものであるし、この働きの目的もまた限られているが、神が働きのために受肉するたびに、神は、その働きの対象として究極的な代表を選ぶ。神は単純で平凡な集団を働きの対象とはせず、肉の働きのために代表となることのできる人の集団を選ぶ。この集団が選ばれるのは、神が受肉して行う働きの範囲が限られているためで、受肉した神のために特に用意され、受肉した神の働きのために特に選ばれるのである。神が働きの対象を選ぶのは、根拠のないことではなく、原則による。働きの対象は、受肉した神の働きに有益なものでなければならず、また、すべての人間を代表する者でなければならない。たとえば、ユダヤ人はイエス自らによる贖罪を受け容れることで全人類を代表することができた。また、中国人は受肉した神自身による征服を受け容れることで全人類を代表できる。ユダヤ人が全人類を代表したことには根拠がある。また中国人が、神自らによる征服を受け容れることで全人類を代表することにも根拠がある。ユダヤ人の間で行われた贖いの働き以上に贖いの意義を示すものはない。また、中国人の間での征服以上に征服の働きの完全性と成功を明らかにするものもない。受肉した神の働きと言葉は、少数の集団にだけ向けられているもののように見えるが、実際は、この小集団のもとでの神の働きは全宇宙の働きであって、その言葉は全人類に向けられたものなのだ。受肉しての神の働きが終わった後、神に従う人々は、自分たちの間で神が行った働きを広めることとなる。受肉した神の働きで最もよい点は、神に従う人々に正確な言葉と勧告、人類へのな旨を残せるため、受肉した神の働きと全人類に向けられた心とを、後に信者たちがこの道を受け入れる人々により正確に、具体的に伝えられる点にある。受肉した神の人間の間での働きだけが、神が人間と共に存在し、生きている事実を真に確立できる。この働きだけが、神の顔を見たい、神の働きに立会い、神の直接的な言葉を聞きたいという人間の欲求を満たす。受肉した神は、ヤーウェの後ろ姿だけが人間に示された時代を終わらせ、また、漠然とした神への人間の信仰の時代を終わらせる。とりわけ、最後に受肉した神の働きは、すべての人間により現実的で実践的な快い時代をもたらす。神は律法と教義の時代を終わらせるだけではなく、もっと重要なことに、現実的で正常で、義であり聖なる神、経営計画を明らかにし奥義と人類の運命を示す神、人間を創り、救いの働きを完了し、数千年にわたって隠されていた神を人類に明らかにするのだ。神は漠然の時代を完全に終わらせ、全人類が神の顔を求めても見つけられなかった時代を終わらせる。神は、すべての人間がサタンに仕えた時代を終わらせ、すべての人間をまったく新たな時代へと完全に導く。これはみな神の霊ではなく、受肉した神の働きの結果なのだ。神が受肉して働くと、神に従う者たちは、もはや存在するようでいて存在しないようでもあるものを手探りで求める事をせず、漠然の神の心を推測することをやめる。神が肉における働きを広めると、神に従う人々は、神が受肉して行った働きをすべての宗教、すべての宗派に伝え、その言葉全部をすべての人間の耳に伝えるだろう。神の福音を受ける者が聞くことはみな、神の働きの事実で、人間が自分で見たり聞いたりしたこと、事実であって、噂ではない。こうした事実は神がその働きを広める証拠であり、また、その働きを広めるために用いる道具である。事実がなければ、神の福音はすべての国々、あらゆる場所に伝わらない。事実なしで人間の想像だけであれば、神はけっして全宇宙を征服する働きを行うことはできない。霊は人間には触れることのできないもので、人間には不可視で、霊の働きは神の働きのそれ以上の証拠も事実も人間に残せない。人間はけっして神の本当の顔を見ないだろうし、存在しない漠然とした神をいつまでも信じているだろう。人間はけっして神の顔を見ないし、また、直接神が語る言葉を聞くこともない。人間の想像するものは、結局のところ、むなしく、神の真の顔に取って代われない。神の本来の性質、神自身の働きは、人間がまねる事ができない。目に見えない天の神とその働きは、受肉した神が自ら人間の間で働いて、はじめて地上にもたらされる。これが、神が人間に姿を現す最も理想的な方法であり、この方法により人間は神を見て、神の真の顔を知る。そして、これは受肉しない神では不可能なことだ。神はこの段階まで働きを実行しているので、その働きはすでに最高の結果を生み出しており、完全な成功である。神が受肉して直接行った働きは、すでに彼の経営全体の働きの九十パーセントを完了している。この肉体は神の働きすべての良き始まりと神の働き全部のまとめを提供してきたのであり、神の働きすべてを広め、この働き全体に最終的かつ周到な付け足しをした。だから、もう神の働きには、また神が受肉して行う第四の段階はなく、三度目に受肉した神が驚くべき働きを行うこともない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 肉となった神の働きの各段階は、その時代全体の働きを代表するもので、人間の働きのように特定の期間を代表するものではない。だから、神の最後の受肉の働きの終わりは、神の働きが完了したということではない。受肉しての神の働きは、時代全体を代表するもので、神が人間として働いた期間だけを代表するものではないからだ。これは、神は受肉している期間に、その時代のすべての働きを終えるというだけで、そのあとは、その働きはあらゆるところに広まる。受肉した神はその任務を終えた後、将来の働きを神に従う人々に託す。このようにして、その時代全体の神の働きが途絶えることなく続けられる。受肉した時代全体の働きは、それが全宇宙に広まってはじめて完了したとみなされる。受肉した神の働きは新たな時代を開き、神の働きを続ける人々は、神に用いられる者たちだ。人間による働きはみな、受肉した神の職分の範囲内で、その範囲を出るものではない。もし受肉した神が働きを行うために来なければ、人間は古い時代を終わらせることができず、新たな時代を開くこともできない。人間による働きは、単に人間に可能な範囲の任務であり、神の働きの代わりにはならない。受肉した神だけが、なすべき働きを完了しに来ることができるのであり、神をおいては誰一人代わってその働きをすることができない。もちろん、わたしの言っているのは、受肉しての働きのことである。この受肉した神は、人間の観念に合致しない段階の働きを行い、その後、神はさらに別の、人間の観念に合致しない働きをする。働きの目的は人間を征服することである。ある意味で、神の受肉は人間の観念に合致しない。さらに、神は人間の観念に合致しない働きをするので、人間は神についてますます批判的な意見をもつようになる。神はただ、神についてさまざまな観念を持っている人間の間で、人間を征服する仕事をする。人間がどのように神を扱おうと、神はその務めを果たし、人間はみな、神の支配下に入っていることだろう。この働きの事実は、中国人の間に反映されるだけではなく、すべての人間がいかに征服されるかをも表している。こうした人々になされた成果は、すべての人間になされる働きの成果を予め告げるものであり、神が将来行う働きの成果は、こうした人々に対する成果を上回るだろう。受肉した神の働きは鳴り物入りで宣伝されるようなものではないし、不明瞭なものに取り巻かれているものでもない。それは具体的な事実であって、一足す一は二といったような働きなのである。それはすべての人から隠されているものではなく、また、誰をも欺くものではない。人々が見るのは事実であり、現実的なものであって、人間が得るものは、本当の真理と認識である。働きが終わると、人間は神について新たな認識を得、真に神を求める者は、もはや神に関して何の観念ももたない。これは、神の働きの中国人に対する影響だけではなくて、人類全体を征服する神の働きの効果を表すものだ。人類全体を征服する働きにとって、この肉体、この肉体の働き、肉体のすべて以上役立つものはない。それらは今日の神の働きに有益で、将来の神の働きにも役立つ。この肉体はすべての人々を征服し、すべての人々を自分のものとする。人類全体が神を見、神に従い、神を知るためにこれより優れた働きはない。人間のする働きは単に限られた範囲のものであるが、神がその働きを行うときは、特定の人にだけ語りかけるのではなく、全人類、神の言葉を受け入れる者すべてに語りかけるのである。神の告げる終わりはすべての人間の終わりであって、特定の人だけの終わりではない。神は誰かを特別扱いしないし、誰かを不当に罰することもない。そして、神は人類全体のために働き、話しかける。だから、この受肉した神は、すでに全人類をその種類によって分け、すでにすべての人々を裁き、全人類に相応の終着点を定めている。神はその働きを中国でだけ行っているが、実際は、すでに全宇宙の働きを定めている。神は、言葉を発して計画を一歩一歩進める前に、自分の働きがすべての人間に広まるのを待つわけにはいかない。それでは遅すぎるのではないか。今、神は将来の働きを予め終えることが完全に可能だ。働いているのは受肉した神なのだから、無限の働きを限られた範囲で行い、その後で、人間が尽くすべき本分を尽くすようにさせる。これが、神の働きの原則である。神は一時的に人間とともに生活できるだけで、時代全部の働きが完了するまで人間と共にいることはできない。それは、神が予め自分の働きを予言する神だからである。後に、神は言葉によってすべての人類をその種類にしたがって分け、人類は言葉にしたがって、神の順を追った働きに入る。誰一人免れない。誰もがその通りに行わなければいけない。だから、将来、時代は言葉によって導かれるのであって、霊によって導かれるのではない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 受肉した神の働きは、肉において行われなければいけない。もし霊が直接行ったとしても、それは何の成果も得られないだろう。たとえ霊が行ったとしても、その働きはこれといった意味をもたず、結局は説得力を欠くであろう。被造物はみな、創造主の働きが有意義なものであるかどうか、それは何を示すのか、それは何が目的なのか、神の働きは権威と知恵に満ちたものなのかどうか、また、それが最高の価値と意義のあるものなのかを知りたいと願う。神が行う働きはすべての人間の救いのためであり、サタンを打ち破るためであり、そして万物のもとで自身の証をするためである。だから、神の行う働きにはまことに重要な意味があるはずだ。人間の肉はサタンによって堕落し、最も深く盲い、まことに深く損なわれた。神自らが受肉して働く最も根本的な理由は、救いの対象が肉の体をもつ人間であり、サタンもまた人間の肉を用いて神の働きを妨げているためである。サタンとの戦いは、実は人間を征服する働きであり、同時に、人間はまた、神による救いの対象でもある。このように、受肉した神の働きは不可欠なのだ。サタンは人間の肉を堕落させ、人間はサタンの体現者となり、神に打ち負かされるべき存在となった。このように、サタンと戦って人類を救う働きは地上で行われ、神はサタンと戦うために人間にならなければいけない。この働きは極めて実際的なものだ。神が受肉して働いている時、神は実際はサタンと肉において戦っている。神が肉において働くとき、神は霊的領域の働きをしており、霊的領域での働きのすべてを地上で現実的なものにする。征服される者は神に逆らう人間であり、打ち負かされる者はサタンの体現者（もちろん、これもまた人間）、神に敵対する者であり、最終的に救われる者もまた人間である。このように、神が被造物の外形をもつ人間になることがますます必要なのは、神がサタンと真の戦いを行えるようにであり、それにより神に対して不服従で神と同じ姿をもつ人間を征服し、神と同じ姿をもちサタンによって損なわれた人間を救うためである。神の敵は人間、その征服の対象は人間、救いの対象も神の被造物である人間だ。そこで、神は人間とならなければいけない。そのほうが、ずっと働きをしやすくなるのだ。神はサタンに勝利し、人間を征服し、そのうえ、人間を救うことができる。この肉は普通で現実のものであるが、神はありふれた肉体ではない。神は単に人間である肉体なのではなく、人間と神の両方ある肉体なのだ。これは神と人間との違いであり、これが神の身分のしるしなのだ。このような肉体にだけ、神の意図する働きができ、肉における神の務めを果たし、人間たちの間での働きを完了できる。そうでなければ、神の人間たちの間での働きは、いつも空虚で不完全なものとなる。神がサタンの霊と戦って勝利者となることができても、それでは堕落した人間の古い本性はけっして直せないし、神に不服従で敵対する者たちは、けっして真に神の支配に服従することもできない。つまり、神はけっして人類を征服することができず、けっして人類全体を得られないということだ。神の地上での働きが完了しなければ、神の経営はけっして終わらず、全人類は安息に入ることができない。もし神がすべての被造物と共に安息に入れなければ、このような経営の成果はなく、神の栄光はその結果消える。神の肉体には何の権威もないが、神の行う働きは成果を達成していることだろう。これが神の働きの明確な方向である。神の肉体に権威があるかどうかにかかわらず、神としての働きを遂行できるならば、それは神そのものだ。この肉体がどれほど普通で平凡なものであっても、神がするべき働きができるのは、この肉が単なる人間ではなく、神だからだ。この肉が人間にはできない働きができるのは、その内なる性質が人間のそれと異なっているためで、それが人間を救えるのは、その身分が人間とは異なるからだ。この肉の体が人類にとって極めて重要なのは、それは人間である、かつそれ以上に神であるからだ。それは通常の人間には不可能な働きが可能だからであり、神には地上で共に暮らす堕落した人間を救うことが可能なためである。神は人間と同じ外見をもつが、受肉した神はどんな重要人物よりも人間にとって重要である。それは神の霊には不可能な働きが可能だからであり、神自身について霊よりも優れた証しができ、神の霊よりも完全に人間を得ることができるからだ。その結果、この肉は普通で平凡であっても、その人類への貢献と人類存在にとっての意義により、この肉体は極めて尊いものとなる。そしてこの肉の真の価値と意味は誰にとってもはかりしれないものがある。この肉は直接サタンを滅ぼすことはできないが、神はその働きによって、人間を征服し、サタンを打ち負かせる。サタンを完全に支配下に下せる。これは、神が受肉したから、サタンに勝利して人類を救うことができるのだ。神は直接サタンを滅ぼしはしないが、サタンによって堕落させられた人類を征服する働きをするため受肉する。このようにして、神は被造物のもとで自分を証しでき、堕落した人間をよりよく救える。受肉した神がサタンを打ち負かすことは、神の霊が直接サタンを滅ぼすよりも偉大な証しであり、より説得力がある。受肉した神は、人間が創造主を知る手助けをよりよく行うことができ、被造物のもとでよりよく神自身を証しできる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 25 Dec 2020 23:42:49 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12426476</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><category>救う</category><category>神を信じる</category><category>神の国</category><category>受肉</category></item><item><title>クリスチャンの証し 2020「自分の本分をどのように考えるべきか」日本語吹き替</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12405850</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/j5DD7t0f258&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/j5DD7t0f258/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34; class=&#34;&#34;&gt;&lt;b class=&#34;&#34;&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/videos/branded-trailer.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;クリスチャンの証し &lt;/a&gt;2020「自分の本分をどのように考えるべきか」日本語吹き替&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;「心で労苦する人は他人を支配し、手により労苦する人は他人によって支配される」と言うように、人から注目を浴びて尊敬されたいと望む人は大勢います。この動画の主人公も例外ではありません。大学出身の主人公は、神への信仰を得てからというもの、自分を誇示できて、他の人たちから高い評価を得られる本分を教会で尽くしたいといつも思います。大したことのない本分を与えられると、地位や名声が傷つけられたように感じて、平静を失って否定的になり、従うことができません。どのようにして、彼は神の御言葉を通じて自分の苦しみの根源を見つけられるでしょう？　そしてどのように追求への考え方の問題点を認識し、任じられる本分をすべて心穏やかに受け入れるようになるのでしょう？　この手の苦しみに陥ったことがあると思う方は、主人公が自身の経験と克服方法を語る本作をぜひご覧ください。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;もっと見る&lt;a href=&#34;https://youtu.be/jwPx28dUs0M&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://youtu.be/jwPx28dUs0M&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;クリスチャンの証し 2020「心の解放」日本語吹き替&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Thu, 24 Dec 2020 23:52:42 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12405850</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>クリスチャンの証し 2020「束縛からの解放」日本語吹き替</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/j5DD7t0f258/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>神に心をささげる</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12383667</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;「神が委ねるものを人が受け入れたとき、神はその人の行動の良し悪しと、その人が従ったかどうか、神の旨を満足させたかどうかを判断する基準を持っており、そして彼らの行いがその基準を満たすかどうかを判断するのです。神が問題とするのはその人の心であり、表面的な行動ではありません。人が何かをしさえすれば、どのようなやり方をしようと祝福されるべきだということはありません。それが人々の神に対する誤解です。神は物事の最終結果だけを見ているのではなく、むしろ物事の経過の中で人の心がどうであるか、その態度がどうであるかということに重きを置き、彼らの心に従順、配慮、そして神を満足させたいという願いがあるかどうかを見ているのです。そして神を満足させたいという願いがあるかどうかを見ているのです」（『小羊に従って新しい歌を歌おう』）。これを歌うと、教会の合唱番組に参加したときのことを思い出します。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;2018年６月、『&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の讃歌』の合唱練習に加わりました。舞台上で歌い、神をたたえて証しできる。誇らしく、光栄に思いました。また神に祈り、練習してしっかり本分を尽くすと誓ったわ。練習が始まり、一生懸命取り組んだけど、それまで歌や踊りの経験なかったので、表情がどうも硬くて、他の人たちとは能力の差がありました。講師からはいつも問題点を指摘されて、しばらくするとやる気を失いだした。どんなに頑張っても、少しもうまくなれない気がしたの。立ち位置が決まれば、歌や踊りが上手な兄弟姉妹は間違いなく前列になるでしょう。きっと私は後ろのほう。練習にも身が入らなくなり、できるだけ遅く来るようになった。最初の撮影では最後列の端っこに立たされ、つらくなってこう思った。「うまくできない私は、歌や踊りがうまい人と比べものにならない。どんなに頑張っても絶対かなわないし、カメラにだって映らないわ。なのに頑張る必要がある？　ちょっとの努力で十分でしょ」。それ以降、ますますやる気がなくなり、ちゃんと動けてないことは分かってたけど、直そうとしませんでした。講師もよく「もっと頑張って」と言ってた。「１人でも気が抜けてると、作品全体の質が下がり、撮影が遅れてしまう」って。その言葉に動かされ、全体の出来を考えなきゃと思った。そこで頑張ったけど、またやる気を失ってしまいました。毎日無気力に歌と動きを練習するだけで、神のお導きを感じてなかったの。練習した動きすら、うまくできなかった。みんなが歌詞について話し合ってるのに、私には無理だった。歌っていても感動しなかった。画面上の私は無表情で、それを見たって楽しめない。ますます練習がつまらなく思えて、撮影が終わって別の本分に就くのが待ち遠しかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;その後、舞台上の立ち位置が発表されました。でも撮影しない場面があると分かり、いっそう落ち込んだわ。「私は優秀じゃないけど、そんなに悪くもないはずよ。前列とは言わないけど、せめてカメラに映ってもいいんじゃない？　なぜ排除されてしまうの？　練習してきたのは無駄だったの？　分かってたら、こんな動き練習しなかった」。その後の撮影では、カメラに映るときは熱心に演じ、そうでなければただ動くだけ。でも撮影後の集まりで、みんなが自分の収穫について話すのを聞いて、私は動揺しました。「同じ本分の兄弟姉妹はみんな何かを得たのに、なぜ私の心は何も得られなかったかのようにむなしいの？」神を嫌悪させたのではと、心配になった。その後、神に祈って探求し、お導きを求めました。そして、こんな神の御言葉を読んだんです。「神は人の心の奥底に目を向け、すべてを見守っていると、人々は常に言います。しかし、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/what-is-the-work-of-the-holy-spirit.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;聖霊&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;から啓きを得られない人がいるのはなぜか、そうした人が決して恵みを得られないのはなぜか、喜びを得られないのはなぜか、いつも否定的で意気消沈しているのはなぜか、肯定的になることができないのはなぜかを、人々が知ることは決してありません。そうした人の状態を見てみましょう。わたしが確実に言えるのは、そのような人は誰一人良心が機能しておらず、誠実な心をもっていないということです」（「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』）。「人間性の要素のうち最も根本的で重要なのは良心と理知です。良心を欠き、正常な人間性の理知をもたないのはどのような人ですか。一般的に言えば、それは人間性を欠いた人、悪しき人間性の人です。それをじっくり分析しましょう。この人には人間性がないと言われるほどの堕落した人間性を、そうした人はどのように示しますか。そのような人がもっている特徴はどういったものですか。そうした人が示す事柄は、具体的にはどのようなものですか。そのような人の行ないはいいかげんで、個人的に関係ないことには無関心です。神の家の益を考慮せず、神の旨に配慮を示すこともありません。神を証しすることや本分を尽くすことの重荷を負わず、責任感などまったくないのです。何かをするたび、そうした人は何について考えていますか。彼らが最初に考えるのは、『これをしたら神に知ってもらえるだろうか。他人に見てもらえるだろうか。自分が全力を注いで精一杯やっても、他人に見てもらえず、神に見てもらえることもないなら、これほど努力したり、そのために苦しんだりしても無駄だ』ということです。それは自分勝手ではありませんか。同時に、極めて賤しい意図ではありませんか。そうした人がこのように考えて行動した場合、良心は何らかの役割を果たしていますか。そうした行動に良心的な部分はありますか。また、本分を尽くす中で問題を見ていながら黙する人さえいます。他の人たちが妨害し、かき乱しているのを見ても、止めようともしないのです。彼らは神の家の益を微塵も考慮せず、自分の本分や責任についてもまったく考えません。彼らが語り、行動し、注目を集め、努力し、精力を費やすのは、ひとえに自分の虚栄心、名声、地位、利益、そして名誉のためなのです。そうした人の行為や意図は、誰が見ても明らかです。つまり彼らは、栄誉を得る機会や恵みを授かる機会があれば必ず現れます。しかし、栄誉を得る機会がない場合や、苦難の時が来るとすぐ、亀が首を引っ込めるように視界から消えます。そうした人に良心や理知はありますか。良心や理知がなく、そのように振る舞う人は、自責の念に囚われるでしょうか。そのような人の良心は無益であり、自責の念を感じたことがありません。それならば、そのような人がどうして聖霊の咎めや懲らしめを感じられるでしょうか。いいえ、決して感じられません」（「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』）。この御言葉を読んで、胸を打たれました。私が聖霊の働きを得られなかったのは、心が誠実でなかったから。神の家の利益ではなく、自分の地位や名声だけを考えていた。そんな態度は神に嫌われます。振り返ると、自分が他の人たちに負けてると分かり、立ち位置が後列になったとき、消極的で受け身になった。表情や動きの練習もしたくなくなりました。ちょっと頑張って、それで満足。どう上達するかなんてまったく考えてなかった。自分の映らないシーンがあると、苦労はすべて無駄だったと思い、不満や文句を言いたくなった。そして練習が嫌になった。カメラに映るときはしっかり演じ、映らないときは手を抜いてごまかした。それを思うと、罪の意識を感じました。合唱作品の撮影は神を証しするため。参加できたのは神の称揚。本分をしっかり尽くすために、全力で取り組むべきでした。なのに、地位や名声への願望のせいで軽率で消極的になり、怠けてしまった。良心も理知もなかった。利己的で卑劣な人間でした。神は人の心を吟味されます。私の態度を、神が嫌悪しないわけがありません。後悔と罪の意識でいっぱいになり、神に祈ったわ。「神よ、間違っていました。この撮影での演技を後悔していますが、もう埋め合わせはできません。今後は真理を求め、地位や名声のことは考えません。自分の本分をしっかり尽くしたいのです」。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 当時は、後悔するより他にないと思ってた。でも驚いたことに、追加の撮影が必要になったの。それを聞いて、あらゆる感情が湧き上がったわ。悔い改めるチャンスだと思って、本分をきちんと尽くして神に満足いただこうと決意したの。練習に全力を注いでいると、やがて表情や動作がよくなりました。撮影はもうすぐでしたが、ある事情で延期になりました。監督から練習を続けるよう言われて、最初は毎日熱心に取り組めていたけど、やがてこう思った。「いつ撮影があるのか、どれだけ練習が続くのか分からない。前回のように私が映らないシーンもあるだろう。基本的な歌や動きは把握してる。練習すれば十分のはず」。講師は「撮影前に手を抜くな、立ち位置は変わる」と注意してました。でも私は気にせず、こう思った。「私が前列になる可能性なんてない。たとえ頑張っても映るとは限らないのに、頑張る必要がある？」講師から問題点を指摘されても直そうとせず、自分にこう言い訳しました。「前列の兄弟姉妹は映像に映るから、たくさん練習すればいい。でも私は後列。映像を見たって誰も私だと分からない。どうだっていいのよ」。その後は練習がだるくて負担に感じ、何度も練習が嫌になりました。以前の問題がまた現われたことに気づいてつらくなり、こう自分に問いかけました。「本分に対してなげやりで、神に満足いただくことに集中できないのはなぜ？」そして自分の実情について神に祈り、お導きを求めました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; そしてこの御言葉を読みました。「長年にわたり、人々が生き延びる上で頼ってきた思考がその人の心を腐敗させ、不誠実で臆病で卑劣になるに至った。そのような人は意志の力や決意が欠けているだけでなく、貪欲で傲慢で強情になった。人間には自我を超越する決意が完全に欠けている上、これら闇の勢力による呪縛を払いのける勇気が少しもない。考えと生活があまりに腐敗しているので、神への&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/faith-in-God.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;信仰&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;に対するその人の見方は依然として耐えがたいほどに醜悪であり、人々が神への信仰に対する自分の見方について語るときでさえ、それはただ聞くに堪えない。人はみな臆病で、無能で、卑劣で、傷つきやすい。闇の勢力に対して嫌悪感を覚えず、光と真理への愛を感じず、それらを排除しようと全力を尽くす。……あなたがたは今や信者であり、働きのこの段階に関する認識が多少ある。しかし依然として地位への欲望を脇にのけていない。自分の地位が高ければしっかり追求するが、地位が低いと追求しなくなる。地位の祝福のことが常に心の中にあるのだ。大半の人が自分から消極性を取り除けないのはなぜか。その答えは常に、将来の見込みが厳しいせいではないか」（「なぜ進んで引き立て役になろうとしないのか」『言葉は肉において現れる』）。「そうした人が言うことに注意を払ってはいけません。その人が何を生きているのか、何を露わにするのか、本分を尽くすときの態度はどうか、そして内なる状況はどのようなものか、何を愛しているのかを見る必要があります。自分の名声や富に対するその人の愛が、神に対する献身や神の利益を超えているなら、あるいはその人が神に示す懸念を上回っているなら、その人は人間性をもたない人です。そうした人の振る舞いは他人や神に見られるので、彼らが真理を得るのは極めて困難です」（「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』）。御言葉は、私に根差した卑劣な動機を暴き、本分で自分が目立たないときにぞんざいだった理由、自分の本分と責任に無関心だった理由を示しました。私の地位と名声への願望が強すぎたのです。目立つチャンスを求めていないように見えたのは、そもそも才能がなかったからで、本当は目立ちたかった。どれだけ頑張っても周りを超えられない、そして前列に立てないと分かると、すべてに消極的になった。本分にほとんど努力を傾けず、全力を尽くすこともなく無難にこなしただけ。「どうせ目立てないなら、練習でそんなに苦しみたくない」と、できるだけ損しないようにしました。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」、「人に抜きんでる」といったサタンの毒が、すでに染みついていて、私を支配していたんです。だから何をするにも自分の利益しか考えず、ひたすら地位と名声のためだった。本分では、なおさらそうでした。注目されれば熱心に取り組み、その願望が満たせないとなると、ただ無難にこなした。神の御旨も、神の家のことも、まったく考えていませんでした。利己的なずる賢い本性で生き地位と名声を得られるよう企てた。手を抜いて騙しながら本分を尽くし、責任感も、良心も理知も尊厳もなかった。まったく信頼できない人間でした。兄弟姉妹には、純粋で誠実な人がどれほど多くいたことか。彼らは舞台の立ち位置にかかわらず、神に全力を捧げます。やがて歌も踊りも上達し、神の祝福とお導きを感じられた。それに裏方の人たち。たとえ映像に映らなくても黙々と打ち込んでた。こう言っていたわ。「作品がネットで見られるだけで、働いた甲斐がある」と。なのに私は目立てないと、本分をちゃんと尽くさず、人間性がなかった。神の性質は義なるもの。なので、私のような人間性や追求を軽蔑して嫌われます。私は本分で聖霊の働きを得られず、いのちも進歩しなかった。悔い改めなければ真理を何も得られず、神に淘汰されます！そう振り返ると怖くなり、神に祈りました。「神よ、自分は人間性のない、堕落した性質で生きる恥ずべき人間だと分かりました。悔い改め、変わりたいのです。性質を変えて本分に専念できるよう、どうかお導きください」。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;そのあと、こんな神の御言葉を読みました。「自分が行なうすべてのことにおいて、神の旨を満たすことに忠実でいたいと願うのであれば、単にひとつの本分を果たすだけではいけません。神が与えるどのような任務も受け入れなければなりません。それが自分の好みに合い、自分にとって興味があることかどうかにかかわらず、あるいは、それが自分にとって楽しくなかったり、これまでにしたことがなかったりすることであっても、または難しいことであっても、あなたはそれを受け入れて服従しなければなりません。それを受け入れるだけでなく、積極的に協力し、それについて学び、入りを成し遂げなければなりません。たとえ苦しみ、注目を浴びて光り輝くことができなくても、忠実に行なわなければなりません。それを尽くすべき本分と見なさなければなりません。個人的な仕事ではなく、自分の本分と見なすのです。人は自分の本分をどう理解すべきでしょうか。創造主である神が誰かに何らかの任務を与えると、その時点でその人の本分が発生します。神があなたに与える仕事、神があなたに与える任務、それがあなたの本分です。それを自分の目標として追求し、真に神を愛する心があるならば、それでもあなたは神からの使命を拒否できるでしょうか。あなたは拒んではならず、受け入れなければなりません。そうですね。それが実践の道です」（「正直者になって初めて本当に幸せになれる」『キリストの言葉の記録』）。本分は神からの使命であることに気づきました。自分が目立てるかどうかにかかわらず、個人的な動機を手放し、自分の本分として受け止め、神の要求に全力を尽くすべきなのです。どんな立ち位置でも、誰かが前列になり、誰かが後列になる。でもどこにいようと、本分を尽くしています。神は本分に対する動機と態度、そこに心があるか、真理を実践して神を満足させているかをご覧になります。私には、他の出演者のような才能がなかった。それでも、神は練習の機会をくださった。私の技術といのちの入りが向上するように。それが&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/tag/God-s-love&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の愛&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;！以前のように、自分勝手で心のない振る舞いはできない。神を悲しませ、失望させてしまう。立ち位置が前列でも後列でも、カメラに映っても映らなくても、純粋に本分を尽くして神の愛に報いるため、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/god-is-the-lord-of-all-creation-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;被造物&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;としての立場を取ろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;それからは神に祈ってすがり、どんな練習でも熱心に取り組みました。練習前に御言葉を読むときは、神の要求について考え、練習で御言葉を実践しました。講師から問題点を指摘されたときも、しっかり聞いて練習で生かしたし、自分の欠点をまとめて休憩中に練習しました。最小限の努力なんかやめて練習への動機を正すと、毎日が充実したわ。本分でも神のお導きを実感し、だるさもなくなった。やがて動きと表情がよくなり、姉妹たちにもずいぶん良くなったと言われたわ。誠実な心で本分に取り組むことがいかに大切か、身に染みました。『神の国の讃歌』のラスト、「彼らは最も美しい歌を神に捧げる」という最後の言葉は幼子の純粋な声で歌いなさいと、神は言われました。その場面は特に感動的で、神が望まれるのは誠実な心だと分かりました。神は、私たちが神のほうを向き、子供のように純粋になって、神に真心をささげ、全力を尽くすことを望まれている。真理を実践して神に満足いただく決意が強まりました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;その後の撮影でも、私はほとんど後列のままでした。手を抜きたくなることもあったけど、そんなときは神に祈り、神の御旨に配慮して、演技に集中する方法を考えました。ゆっくりだけど考え方が良くなり、後列にいても、前列の兄弟姉妹のために祈りました。映ってないときは、姉妹の着付けやヘアセットを手伝って、本分のために何でもした。消極的になった後列の姉妹に気づいたら、神の御旨を交わってあげました。そう本分を尽くしていると心が安らぎ、状態も向上したの。地位と名声を顧みず、少し真理を実践できたのは、神の御言葉によるお導きのおかげでした。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Thu, 24 Dec 2020 03:58:46 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12383667</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>被造物</category><category>神の愛</category><category>神の国</category><category>信仰</category><category>聖霊</category></item><item><title>十字架にかけられた主イエスは、私たちの罪を背負ってそれを赦した。それゆえ、私たちはすでに聖いものとして選り分けられ、もはや罪がなく、終わりの日における神の裁きと清めの働きを受け入れずとも天国に入ること</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12333575</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;b&gt;参考聖書箇所&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである」（ヘブル人への手紙 9:28）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「イエスは彼らに答えられた、『よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる』」（ヨハネによる&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;福音&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;書 8:34-35）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」（ヘブル人への手紙 12:14）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである」（ヨハネの黙示録 21:27）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 当時、イエスの働きは全人類を贖う働きだった。イエスを信じるすべての人の罪は赦され、あなたがイエスを信じる限り、イエスはあなたを贖っただろう。イエスを信じるなら、もはや罪人ではなく、罪から解放されたのである。これが救われるということ、信仰によって義とされるということである。しかし、信じている人たちの中には反抗的で、神に逆らうものが残っており、それはやはり徐々に取り除く必要があった。救いとは、人が完全にイエスのものとなったことを意味したのではなく、その人がもう罪の中におらず、罪を赦されたことを意味した。信じるならば、もう罪の中にはいないのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン（２）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; あなたがたのように贖われたばかりで、まだ変えられておらず、神に完全にされてもいない罪人が、神の心に適うだろうか。古い自我を持ったままのあなたは、イエスによって救われたのは事実であり、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;のおかげで罪人とは見なされなくなったが、これは、あなたには罪や汚れがないという証拠ではない。変えられないままであれば、あなたはどうして聖いものとなれるのか。内側では、あなたは汚れに満ち、自分勝手で卑劣であるにもかかわらず、イエスと共に降臨することを望む――あなたはそこまで幸運ではない。あなたは神を信じる上での段階を一つ見落としている――あなたは単に罪から贖われただけで、変えられてはいないのである。あなたが神の心に適うためには、神が自らあなたを変えて清める働きをしなければならない。もしあなたが罪から贖われただけなら、聖さを得ることはできない。このように、あなたは、神が人を経営する働きの一段階、つまり変えられて完全にされるという重要な段階を逸したために、神の良き祝福を共有する資格はないであろう。よって、贖われたばかりの罪人であるあなたは、直接神の嗣業を受け継ぐことはできないのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「呼び名と身分について」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日の働きは言葉を語ることである。言葉により、大きな変化が人の中で生じ得る。現在、それらの言葉を受け入れた人たちに生じる変化は、恵みの時代にしるしや不思議を受け入れた人たちに生じた変化よりもはるかに大きい。と言うのも、恵みの時代において、悪霊は按手と祈りによって人から追い出されたが、人の中の堕落した性質が依然残っていたからである。人は病を癒され、罪を赦されたが、人の中にある堕落したサタン的性質がいかに清められるかについて言えば、その働きはまだなされていなかったのである。人は信仰のゆえに救われ、罪を赦されただけで、人の罪深い本性は根絶されず、依然としてその内面に残っていた。人の罪は神の受肉を通じて赦されたが、それはその人の中にもはや罪がないという意味ではない。人の罪は、罪の捧げ物を通じて赦されることができたものの、どうすれば人がこれ以上罪を犯さないようになり、その罪深い本性が完全に根絶され、変化するかということについて言えば、人にはその問題を解決する術がないのである。人の罪は神による磔刑の働きゆえに赦されたが、人は以前の堕落したサタン的性質の中で生き続けた。そのため、人は堕落したサタン的性質から完全に救われなければならない。そうすることで、その人の罪深い本性が完全に根絶され、二度と芽生えなくなり、かくして人の性質が変わるのである。そのためにも、人はいのちの成長の筋道、いのちの道、そして性質を変える道を把握しなければならない。さらに、人はこの道に沿って行動することが求められる。その結果、人の性質は次第に変わり、その人は光の輝きの下で生き、何事も神の旨に沿って行ない、堕落したサタン的な性質を捨て去り、サタンの闇の影響から自由になることができ、それにより罪から完全に抜け出せるのである。このとき初めて人は完全なる救いを受けることになる。イエスが働きを行なっていたとき、イエスに関する人の認識はいまだ漠然として不明瞭だった。人はずっとイエスをダビデの子と信じ、イエスは偉大な預言者で、人の罪を贖う慈悲深い主であると宣言した。信仰のおかげで、イエスの衣の端を触っただけで癒された人もいたし、盲人たちは見えるようになり、死人さえ生き返った。しかし、人は堕落したサタン的性質が自分自身に深く根づいているのを見出すことができず、それを捨て去る方法も知らなかった。人は肉の平安や幸福、一人の信仰による家族全体の祝福、そして病人の癒しなど、多くの恵みを受けた。残りは人の善行や外見上の信心深さだった。そのようなものを基に生きることができるなら、その人はまずまずの信者だと思われた。そのような信者だけが死後、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;天国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;に入ることができるとされたのだが、それは彼らが救われたという意味だった。しかし、このような人たちはその生涯において、いのちの道をまったく理解していなかった。ひたすら罪を犯しては告白することを繰り返すばかりで、自身の性質を変える道はもたなかったのである。これが恵みの時代における人間の状態だった。人は完全な救いを得たのか。いや、得てはいない。したがって、その段階の働きが終わったあとも、依然として裁きと刑罰の働きが残っているのである。この段階は言葉によって人を清めるものであり、それによって人に従う道を与える。悪霊を追い出すことを続けるなら、この段階は有益でも意義深くもないだろう。と言うのも、人の罪深い本性が根絶されることはないだろうし、人は罪の赦しで行き詰まるはずだからである。罪の捧げ物を通じ、人は罪を赦されてきた。なぜなら、十字架の働きがすでに終わり、神はサタンに勝利したからである。しかし、人の堕落した性質は依然として人の中に残っており、人は依然として罪を犯し、神に抵抗することができ、よって神はまだ人類を得ていない。そのため、神はこの段階の働きにおいて、言葉を用いて人の堕落した性質を暴き、人に正しい道に沿って実践させるのである。この段階は前の段階よりもさらに有意義であり、いっそう有益である。と言うのも、今、人に直接いのちを施し、人の性質を完全に一新させられるのは言葉だからである。それははるかに徹底的な働きの段階である。ゆえに、終わりの日における受肉は神の受肉の意義を完成させ、人を救う神の経営計画を完全に終わらせたのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;……終わりの日の働きにおいて、言葉はしるしや不思議の顕示よりも力強く、言葉の権威はしるしや不思議の権威を超越する。言葉は人の心に深く埋もれた堕落した性質を残らず暴く。あなたには自分でそれらを認識する術がない。それらが言葉を通じて暴かれるとき、あなたは当然それを見つけるが、否定することはできず、完全に納得するだろう。これが言葉の権威ではないのか。これが現在の言葉の働きによって得られる成果である。したがって、病を癒したり悪霊を追い出したりすることで、人が罪から完全に救われることはなく、またしるしや不思議を示すことで人がすっかり完全にされることもないのである。病を癒したり悪霊を追い出したりする権威は人に恵みを与えるだけで、人の肉は依然としてサタンに属し、堕落したサタン的性質は依然として人の中に残っている。言い換えると、まだ清められていないものは依然として罪と汚れに属しているのである。人は言葉によって清められて初めて、神のものとされ、聖いものとなる。悪霊が人から追い出されたとき、あるいは人が贖われたとき、それはサタンの手から人をもぎ取り、神のもとに戻したという意味でしかなかった。神によって清められておらず、変えられてもいないなら、人は堕落したままである。人の中には汚れ、敵対心、そして反抗心が依然として存在する。人は神による贖いを通じて神のもとに立ち返っただけで、神についての認識が一切なく、依然として神に抵抗し、神を裏切ることができる。人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。事実、この段階は救いの働きの第二段階であるとともに征服の段階でもある。人は言葉による裁きと刑罰を通じて神のものとされる。また言葉を用いて精錬し、裁き、露わにすることで、人の心にある汚れ、観念、動機、そして個人的な願望がすべて完全に暴かれる。人は贖われ、罪を赦されたが、それによって見なし得るのは、神は人の過ちを記憶せず、その過ちに応じて人を取り扱わないということだけである。しかし、肉体において生きる人間が罪から解放されていないと、人は罪を犯し続けることしかできず、堕落したサタン的性質をどこまでも示し続ける。これが人の送る生活であり、罪を犯しては赦されるという終わりのないサイクルなのである。人類の大多数は昼間に罪を犯し、夜になると告白するだけである。このように、たとえ罪の捧げ物が人のために永久に有効だとしても、それで人を罪から救うことはできない。救いの働きは半分しか完成していない。人にはいまだ堕落した性質があるからである。たとえば、自分たちがモアブの子孫であることに気づいた人々は、不満の言葉を述べ、いのちを追い求めることをやめ、すっかり否定的になってしまった。これは、人々がいまだ神の支配に完全に服従できないでいることを示しているのではないか。これがまさに、人々の堕落したサタン的性質ではないのか。あなたが刑罰を受けていなかったとき、あなたの手は他の誰よりも高く、イエスの手よりも高く上げられていた。そしてあなたは大声で叫んだ。「&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/tag/God-s-love&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の愛&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;する子になりたまえ。神と心を通わす者になりたまえ。サタンにひれ伏すくらいなら死ぬほうがましだ。あのいまいましい悪魔に対抗したまえ。赤い大きな竜に対抗したまえ。どうか赤い大きな竜が惨めにも完全に権力の座から落ちるように。どうか神が私たちを完全にするように」。あなたの叫び声は他の誰よりも大きかった。しかし、刑罰の時が訪れ、人間の堕落した性質が再び明らかになった。やがて人々の叫びは途絶え、彼らの決意は失われた。これが人間の堕落である。それは罪より根深く、サタンによって植えつけられ、人の奥深くに根ざしたものである。人が自分の罪に気づくのは容易なことではない。人には自分に深く根ざした本性を認識する術がなく、そうするには言葉による裁きに頼らなければならない。そうして初めて、人はその時点から次第に変わってゆくのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（４）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このような方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みは通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、徹底的に納得して神への服従に向かうようになり、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日の神の裁き、刑罰の働き、すなわち、最後の清めの働きの中でゆるがず耐え抜ける人たちが、神と共に最後の安息の中に入る人たちである。したがって、安息に入る人はみな、神の最後の清めの働きを経て初めて、サタンの支配から振りほどかれ、神によって得られるだろう。最終的に神によって得られたこのような人々が最終的な安息へと入るのである。刑罰や裁きという神の働きの実質は、人類を清めることであり、それは、最終的な安息の日のためである。さもないと、全人類は、それぞれ自身と同類のものに属することができないか、あるいは安息の中に入ることができない。この働きは、人類が安息の中に入るための唯一の道なのである。清めの働きこそが人類の不義を清め、刑罰と裁きの働きこそが人類の中のそれらの不従順なものを全部さらけ出すのである。それによって、救うことのできる人と救うことのできない人とが識別され、生き残ることのできる人と生き残ることのできない人とが区別されるようになる。この働きが終わる時、生き残ることを許された人は、みな清められ、人類のより高い境地に入って、地上でのさらにすばらしい第2の人生を享受する。すなわち、彼らは人類の安息の日に入って神と共に生活する。生き残ることのできない人が刑罰や裁きを受けた後、彼らの正体が全て露呈される。それから彼らはみな滅ぼされ、サタンと同じように、もう地上で生きることができなくなる。未来の人類はもうこのような人々を含まない。このような人々は究極の安息の地に入る資格がなく、神と人が共有する安息の日に入る資格もない。なぜなら、彼らは懲らしめの対象であり、邪悪で、義なる人ではないからである。……悪を罰し、善に報いるという神の最終的な働きは、全て全人類を完全に清めるために行われる。そうすることによって、完全に清くなった人類を永遠の安息に導き入れることができる。神のこの段階の働きは最も重要な働きであり、神の経営の働き全体の最後の段階である。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; キリストが語る真理に頼ることなくいのちを得たいと望む者は、地上で最も愚かな者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は、幻想の世界で迷子になった者である。ゆえにわたしは、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われると言う。キリストは、人が終わりの日に神の国へと入る門であり、それを迂回できる者は誰一人いない。キリストを通してでなければ、誰も神によって完全にされることはない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神の道に従わなければならない。真理を受け取ることも、いのちの施しを受け入れることもできないのに、祝福を得ることだけを考えることはできない。キリストは、自身を真に信じる者にいのちを施せるよう、終わりの日に来る。その働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道である。キリストを認められず、非難したり、冒涜したり、さらには迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそが聖霊の顕現であり、神の顕現であり、神が地上での働きを託した者だからである。したがって、終わりの日のキリストによってなされる一切のことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言う。聖霊を冒涜する者が受ける報いは、誰の目にも自明である。これもあなたに言っておくが、あなたが終わりの日のキリストに抵抗し、終わりの日のキリストを足蹴にするなら、その結末をあなたに代わって引き受ける人は誰もいない。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえ自らの罪を贖おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが抵抗したのは人ではなく、あなたが足蹴にしたのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからである。あなたはその結末がどのようなものか知っているのか。あなたが犯すのは小さな過ちではなく、重罪である。だから、わたしはすべての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりしてはいけない。あなたにいのちをもたらせるのは真理以外になく、あなたが生まれ変わり、再び神の顔を仰げるようにするものは、真理以外にはないからである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 23 Dec 2020 00:06:08 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12333575</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>天国</category><category>真理</category><category>神の愛</category><category>神の救い</category><category>福音</category></item><item><title>キリスト教徒 生活の証し 2020「利己心を手放せば心が解放される」日本語字幕</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12304679</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/z9Yn1IvHTfU&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/z9Yn1IvHTfU/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/videos/branded-trailer.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;クリスチャンの証し&lt;/a&gt; 2020「利己心を手放せば心が解放される」日本語字幕&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 張兄弟と共に教会で働き始めた主人公は、「その知識を弟子がすべて知り得ると、師匠は生計を失う」ということを恐れ、地位を保つために、自分の知識を何も張兄弟と共有せずにいます。そしていつも自分勝手な欲望を心に抱き、真理を実践できずにいたために、本分において何も達成できずに暗闇に落ち込んでしまいます。しかし&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の御言葉の裁きと刑罰を受けて、彼は気づきます。サタンの毒とその人生哲学によって生きてきたことが、自分を自分勝手で嘘つきな、人間性を欠くものにしていたこと、それが神に嫌悪されていたことに。彼は自分の個人的な利益を棄て、知識のすべてを余すことなく張兄弟と共有します。すると彼は平穏と安心を感じられるようになり、真理を実践することの喜びを経験するのです。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;もっと見る&lt;a href=&#34;https://youtu.be/L4FlxG-qOj0&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&lt;a href=&#34;https://youtu.be/L4FlxG-qOj0&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;キリスト教徒の証し 2020「神の御言葉が私に自己認識させた」&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 22 Dec 2020 02:39:31 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12304679</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>全能神</category><category>クリスチャンの証し 2020「束縛からの解放」日本語吹き替</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/z9Yn1IvHTfU/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>「神の加護」クリスチャンの証し 2020</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12268726</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/Bl0XTLiPzn0&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/Bl0XTLiPzn0/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;クリスチャンの&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/testimonies.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;証し &lt;/a&gt;2020「神の加護」日本語字幕&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp;「神の加護」の中で、主人公は多少の素質をもち、本分を尽くす中でいくらか成果を挙げていたので、自分を高く評価し始め、ますます傲慢で自惚れるようになり、他のみんなを無視するようになります。彼女は好きなことを何でも行ない、教会の働きを妨げます。二度にわたり刈り込みと取り扱いを受けた彼女の心には消えない記憶が残り、また神の御言葉の暴きと裁きを通じ、自分の傲慢な本性をいくらか認識するとともに、神の義なる性質が一切の背きを許さないことを理解するようになります。彼女は神を畏れる心を育むとともに、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を求めること、そして本分を尽くす際、原則に従って行動することに集中し始めます。そして&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/beholding-the-appearance-of-god-in-his-judgment-and-chastisement-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の裁き&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;と刑罰を通じてのみ、堕落した性質は清められ、変化できること、また刈り込み、取り扱い、裁き、そして刑罰は、人類に対する神の最大の愛と加護であることを実感するようになるのです。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 20 Dec 2020 23:47:23 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12268726</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の裁き</category><category>真理</category><category>証し</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/Bl0XTLiPzn0/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>全能神が再臨した主イエスであることを、実際どのように確かめられるのか。</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12263887</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;b&gt;参考聖書箇所&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」（ヨハネによる福音書 16:12-13）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」（ヨハネによる福音書 10:27）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」（ヨハネの黙示録 2:7）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」（ヨハネの黙示録 5:5）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』」（ヨハネの黙示録 1:8）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; このようなことを考察するのは難しいことではないが、私たちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質（働き、言葉、性質、その他いろいろ）に注意を払うことである。外見だけを見て本質を見落とす者は、自分の無知、単純さをさらけ出すことになる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; ヤーウェの働きの後、人のあいだで神の働きを行うためにイエスは受肉した。イエスの働きは単独で実行されたのではなく、ヤーウェの働きの上に築かれた。それは律法の時代を神が終わらせた後の新しい時代のための働きであった。同様に、イエスの働きが終わった後、神は次の時代のためにさらに神の働きを続行した。神による経営（&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;）全体はいつも前進しているからである。古い時代が過ぎると、新しい時代に置き換えられ、古い働きが完了すると、新しい働きが神の経営を続行する。今回の受肉はイエスの働きの完了に続く神の二回目の受肉である。もちろん、この受肉は単独で起こるのではなく、律法の時代と恵みの時代の後の第三段階の働きである。神の働きの新しい段階はそれぞれいつも新しい始まりと新しい時代をもたらす。そこで神の性質、神の働き方、神の働く場所、神の名にもそれに付随した変化がある。したがって、人にとっては、新しい時代の神の働きを受け入れるのが難しいのは無理もない。しかし、いかに人が反対しようと、それには関係なく、神はいつも自分の働きを行っており、いつも人類全体を前方に導いている。イエスが人の世に誕生した時、イエスは恵みの時代をもたらし、律法の時代を終わらせた。終わりの日において神はもう一度肉となり、今回人間の姿になった時、神は恵みの時代を終わらせ、神の国の時代をもたらした。神の二回目の受肉を受け入れる人々はすべて&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の時代に導かれ、直接神の導きを受け入れることができるだろう。イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 今日の働きは恵みの時代の働きを推し進めてきた。すなわち、六千年にわたる経営（救いの）計画全体における働きが前進したのである。恵みの時代は終わったが、神の働きはさらに前進している。今の段階の働きは恵みの時代と律法の時代を基礎にしていると、わたしが繰り返し言うのはなぜか。これは、今日の働きが恵みの時代に行われた働きの延長であり、律法の時代に行われた働きを向上させたものだからである。これら三つの段階は密接に結びついており、それぞれがその次の段階に繋がっている。また、今の段階の働きはイエスによってなされた働きの上に築かれていると、わたしが言うのはなぜか。この段階がイエスによってなされた働きの上に築かれたのでなければ、この段階でもう一つの磔刑が起きていなければならず、過去の段階における贖いの働きも一からやり直す必要があるはずだ。これは無意味なことだろう。従って、働きは完全に終わったのではなく、時代が前進し、働きの水準が以前に比べていっそう高まったということである。今の段階の働きは律法の時代を基礎とし、イエスの働きという岩盤の上に築かれると言うことができるだろう。神の働きは段階ごとに築かれ、今の段階は新しい始まりではない。三段階の働きが結合して初めて六千年にわたる経営（救いの）計画とみなすことができる。今の段階は恵みの時代の働きを基礎として行われる。これら二段階の働きに関連がなければ、なぜ今の段階で磔刑が繰り返されないのか。なぜわたしは人の罪を背負わず、人を直接裁いて罰しに来るのか。人を裁いて罰するわたしの働き、および&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/what-is-the-work-of-the-holy-spirit.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;聖霊&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の受胎によらないわたしの現在の到来が磔刑に続くものでなかったら、わたしには人を裁いて罰する資格がないだろう。わたしが直接来て人を罰し、裁くのはまさに、わたしがイエスと一つだからである。今の段階の働きはすべて過去の段階の働きの上に築かれている。だからこそ、そのような働きだけが人を一歩一歩救いに導くことができるのである。イエスとわたしは一つの霊から来ている。わたしたちの肉体には何のつながりもないが、わたしたちの霊は一つである。わたしたちが行う内容、わたしたちが担う働きは同じではないが、わたしたちは本質的に同じである。わたしたちの肉体の形は異なるが、これは時代の変化のため、およびわたしたちの働きが異なることを求めているためである。わたしたちの職分は同じではないので、わたしたちが生み出す働きや、わたしたちが人に明かす性質も異なっている。そのようなわけで、人が今日見るものや理解するものは、過去のものと同じではない。それは時代の変化のためである。彼らの肉体の性や形は異なっており、彼らは同じ家族から生まれたのではなく、ましてや同じ時期に生まれたのでもないが、彼らの霊はやはり一つである。彼らの肉体に血縁関係はなく、いかなる物理的関係もないが、彼らが二つの異なる時期に受肉した神であることは否定できない。彼らは同じ血統ではなく、共通する人間の言語をもっていないが（一方はユダヤ人の言語を話す男性であったし、他方は中国語しか話さない女性である）、彼らが受肉した神の肉体であることは否定できない真実である。これらの理由から、彼らは異なる国に暮らし、また異なる期間に、それぞれがなすべき働きを行う。彼らが同じ霊で、同じ本質を有しているという事実にも関わらず、彼らの肉体の外見には絶対的な類似性がまったくない。彼らは同じ人間性を共有しているだけで、肉体的な外見と誕生の状況に関する限り、両者は似ていない。これらのことはそれぞれの働きや、人が彼らに関してもつ認識に何の影響も与えない。なぜなら、最終的に分析すれば、彼らは同じ霊であり、誰も彼らを分けることができないからである。彼らに血縁関係はないが、その霊が彼らの存在全体を担い、異なる時期に異なる働きを割り当て、また彼らの肉体を異なる血統に割り当てる。ヤーウェの霊はイエスの霊の父ではなく、イエスの霊もヤーウェの霊の子ではない。彼らは一つの同じ霊である。同様に、今日の受肉した神とイエスとの間に血縁関係はないが、彼らは一つである。なぜなら、彼らの霊が一つだからである。神は慈悲と慈愛の働きを行うことができ、同様に義なる裁きの働きや人を罰する働き、人にのろいをもたらす働きも行うことができる。そして最終的に、神は世界を滅ぼし、悪しき人々を懲罰する働きを行うことができる。神はこのすべてを自ら行うのではないか。これが神の全能性ではないのか。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「二度の受肉が、受肉の意義を完成させる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 第二の受肉の働きは、人々には最初のものとはまるで違って見える。あまりに違うので、二つには何の共通点もないように見える。最初の働きのようなことは、今回は何も見られない。第二の受肉の働きは最初のものとは異なっているが、それは両者の源が同一ではないということではない。同じかどうかは、肉の体で行われる働きの性質によるのであって、外形によるのではない。三段階の働きの間に神は二度受肉し、いずれのときも受肉した神は新たな時代を開き、新しい働きをもたらした。二度の受肉は相補うのである。人間の目では、二つの肉の体が同じ源から来ていると見極めることは不可能である。言うまでもなく、これは人間の目や心の能力を超えている。しかし、両者の本質は同じである。二人の働きは同じ霊に発しているからである。受肉した二つの体が同じ源から発しているかどうかを判断できるのは、二人の生まれた時代と場所やそのような他の要素によるのではなく、二人の表す神性の働きによるのである。第二の受肉による体はイエスの行なった働きは何も行わない。神の働きに慣習的な決まりはなく、それぞれが新たな道を開くからである。第二の受肉は最初の肉に関する人々の心にある印象を深めも固めもしないが、それを補い、完成させ、神についての人間の認識を深め、人々の心にある、あらゆる規則を破り、人々の心にある神についての誤った姿を消し去る。神自身の働きのどの段階も個別には、人間に神についての完全な認識を与えることはできないと言える。各段階は、全部ではなく、一部分だけを与えるのである。神はその性質を完全に示したが、人間の理解力が限られているため、神についての認識はまだ不完全なままである。人間の言語で神の性質を完全に言い表すのは不可能である。まして、神の働きの一段階だけで、どれほど完全に神を表せるだろうか。神は普通の人間性の陰に隠れて肉において働く。そして、その神性が現れてはじめて、人間は神を知ることができるのであり、その外見を見てのことではない。神はさまざまな働きを通して人間が神を知ることができるように受肉するのだが、働きの二段階は同じではない。このようにしてはじめて、人間は肉における神の働きについて、一つの面だけでなく、完全な認識をもてる。受肉しての二度の働きは別々のものだが、肉の本質とその働きの源は同一である。ただ、どちらも二つの異なった段階の働きをするために存在し、二つの別の時代に来るということである。いずれにしろ、受肉した神の肉は同じ本質と由来をもつ。これは誰も否定できない真理である。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の宿る肉の本質」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 今回は、神は霊体ではなく、まったく普通の体で働きを行うために来る。それは神の二度目の受肉の体というだけではなく、神がそれをまとって戻ってくる体でもある。それはごく普通の肉体である。この体の中に、他の人々と異なるものは何も見受けられないが、あなたは、今までに聞いたこともない真理をこの人から受け取ることができる。この取るに足らない肉体は、神から来る真理の言葉のすべてを具現化したものであり、終わりの日の神の働きを引き受けるもの、また人が知るようになる神の全性質の表現である。あなたは天の神を見ることを大いに望んでいるではないか。あなたは天の神を理解することを切に願っているではないか。あなたは人類の終着点を見ることを大いに欲しているではないか。この人は、今まで誰ひとりとしてあなたに語ることのできなかった秘密の全てをあなたに語るだろう。また、あなたが理解していない真理についても語るだろう。この人は、あなたにとっての神の国への入り口の門であり、新しい時代への導き手である。このような普通の肉が多くの計り知れない奥義を握っているのである。この人の行いはあなたには測り知れないかもしれないが、その人が行うすべての働きの目標は、この人が人々が思うような単なる肉ではないことを理解するのに充分である。なぜならこの人は、終わりの日に人類に神が示す配慮及び神の意志を表しているからである。あなたは天地を揺るがすような彼の言葉を聞くことはできず、燃え上がる炎のようなその目を見ることもできず、また、鉄の杖のような神の懲らしめを感じることもできないが、その言葉から神の怒りを聞き、神が人類に示す憐れみを知ることができる。あなたは神の義なる性質と神の知恵を見ることができ、更に神が全人類に対して持つ配慮をはっきり理解することができる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「あなたは知っていたか。神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神は発話を続けており、さまざまな方法や観点を用いて私たちにすべきことを諭しつつ、同時にその心を言葉に表している。その言葉は生命力を備えており、私たちが歩むべき道を示し、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理とは&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;何かを理解させてくれる。私たちはその言葉に引き付けられるようになり、その口調や話し方に注目し始め、そして無意識のうちに、この目立たない人の心の内に関心を持ち始める。彼は私たちのために労力を惜しまず、私たちのために睡眠も食欲もなくし、涙を流し溜息をつき、病気に苦しみ、私たちの終着点と救いのために屈辱を耐え忍び、私たちが鈍感で反抗的なために心から涙と血を流している。このような存在とその持てるものは、普通の人を超えているし、堕落した人間が誰一人として所有も到達もできないものだ。彼には普通の人にない寛容と忍耐力が備わっており、その愛はどんな被造物にも授けられていないものなのだ。私たちの考えをすべて知り、私たちの本性や本質をこれほど明確かつ完全に把握し、人類の反抗的で堕落した性質を裁き、天国の神の代理として私たちに語りかけ、このように人の間で働くことができる人は、この人をおいて他にいない。彼以外に神の権威、英知、そして威厳を授けられている者はいない。この人からは神の性質、そして神が所有するものと神そのものが、あますところなく発せられている。この人以外に、私たちに道を示し、光をもたらせる者はいない。彼以外に、神が天地創造から今日まで明かしてこなかった奥義を明らかにできる者はいない。彼以外に、私たちをサタンの束縛や私たち自身の堕落した性質から救える者はいない。彼は神を体現しており、神の心の奥底にあるものと訓戒、そして全人類に対する神の裁きの言葉を表現している。彼は新しい時代、新しい紀元を開き、新たな天地と新しい働きを到来させた。そして彼は私たちに希望をもたらし、漠然としていた私たちの生活を終わらせ、私たちの全存在をもって救済の道を完全にはっきりと目撃できるようにしてくれたのである。彼は私たちの存在そのものを征服し、私たちの心を得た。その瞬間から私たちの心は覚醒しており、霊が生き返ったように思われる。この平凡で取るに足らない人物、私たちの間で生きながらも長年私たちに拒否され続けてきたこの人こそ、私たちが寝ても覚めても絶えず思い続け、日夜待ち望んできた主イエスではないだろうか。そう、彼なのだ。実際そうなのだ。この人こそが私たちの神なのだ。彼こそが真理であり、道であり、いのちである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の裁きと刑罰に神の出現を見る」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp;わたしはかつてヤーウェとして知られていた。わたしはメシアとも呼ばれ、また、人々はかつてわたしを救い主イエスとも呼んだ。わたしを愛し、尊敬したからである。しかし、今日わたしは人々が過去に知っていたヤーウェでもイエスでもない。わたしは終わりの日に戻ってきた神、時代を終らせる神である。わたしは、わたしの全性質を余すところなく顕し、権威、名誉、栄光に満ちて地の果てから立ち上がる神自身である。人々は一度もわたしと関わったことがなく、わたしを知ったことがなく、ずっとわたしの性質に無知であった。天地創造から今日に至るまで、わたしを見たことがある者はひとりとしていなかった。これは終わりの日に人の前に現れるが、人々の間に隠れている神なのである。神は真実で現実的に、照りつける太陽や燃え立つ火のように、力に満たされ、権威にあふれて人々のあいだに存在する。わたしの言葉によって裁きを受けない人や物は一人として、一つとしてない。燃える火によって浄化されない人や物は一人として、一つとしてない。最終的には、あらゆる諸国はわたしの言葉のために祝福され、わたしの言葉のために粉々に砕かれもする。このようにして、終わりの日にすべての人は、わたしが戻ってきた救い主であり、人類のすべてを征服する全能神であり、かつては人のための罪の捧げものであったが、終わりの日にはすべてを焼き尽くす太陽の炎にもなり、またすべてのものを露わにする義の太陽でもあることを理解するだろう。それが終わりの日のわたしの働きである。わたしはこの名前を名乗り、この性質を持ち、すべての人がわたしが義の神であり、照りつける太陽、燃え立つ火であることが理解できるようにする。そうするのはすべての人が唯一の真の神であるわたしを崇め、わたしの本当の顔を見ることができるようにである。わたしはイスラエル人たちの神であるだけではなく、贖い主であるだけでもなく、天、地、海の至る所にあるすべての創造物の神である。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「救い主はすでに『白い雲』に乗って戻って来た」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; わたしは宇宙の隅々まで自らの働きを行なっており、東方では雷のような轟音が終わりなく発生し、すべての国々と教派を震わせている。すべての人々を現在へと導いてきたのはわたしの声である。わたしはすべての人がわたしの声によって征服され、この流れの中に入り、わたしの前に帰服するようにするつもりだ。わたしははるか昔に全地からわたしの栄光を取り戻し、それを東方で新たに発したからだ。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしの再臨を心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを思慕しない者がいるだろうか。光のもとへ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを目にとめない者がいるだろうか。贖い主の再来を待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は地上の隅々まで行き渡るだろう。わたしは選ばれた者たちと向き合って、もっと彼らに話しかけたいと願っている。山々や川を震わせる強大な雷のように、わたしは全宇宙と人類にむかってわたしの言葉を語りかける。こうしてわたしの口から出る言葉は人の宝となっており、すべての人々はわたしの言葉を大切にしている。稲妻は東から西へとひらめき渡る。わたしの言葉は、人が手放したがらないと同時に人には理解し難いものだが、それ以上に彼らに大きな喜びをもたらすものである。すべての人々は生まれたての赤児のように喜びに満ち、わたしの到来を祝っている。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れてくる。その時からわたしは正式に人類の中へ入り、彼らはわたしを崇拝するようになる。わたしが放つ栄光とわたしの口から出る言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、そしてわたしが東方の「オリーブ山」にも降臨したことを知るようになる。彼らはわたしがすでにずっと前から地上にいたことを知り、すでにユダヤ人の息子ではなく、東方の稲妻であることを知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の間から去って、その後再び栄光とともに人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた赤児である。そしてそれ以上に、今この時代の栄光に満ちた全能神なのだ。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見せ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を目撃させなさい。これがわたしの旨のすべてであり、わたしの計画の結末かつ頂点であると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信頼させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「七つの雷が轟く――神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 20 Dec 2020 11:08:39 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12263887</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>真理とは</category><category>真理</category><category>神の国</category><category>救い</category><category>聖霊</category></item><item><title>日々の神の御言葉「神の現れによる新時代の到来」抜粋72</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12197412</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/ZudcKiGthkY&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/ZudcKiGthkY/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;日々の神の御言葉「神の現れによる新時代の到来」抜粋72&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; アメリカ人でも、イギリス人でも、どこの国の人でも、自分という枠を乗り越え、自分という存在を超越し、神の創造物として神の働きを見なくてはならない。そうすれば、神の足跡を枠にはめることはないだろう。それは、特定の国や民族に神が現れることはないだろうと考えている人が多いからである。ああ、神の働きの意義はなんと深く、神の現れはなんと重要か。それは人の観念や考えで測ることなどできるのだろうか。そのため、神の現れを探し求める際には、みずからの国籍や民族性という枠を突き抜けるべきである。そうすれば、自分自身の観念に制約されることなく、神の現れを喜び迎えることができる。そうでなければ、暗闇の中にいつまでもとどまり、神から認められることもない。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神は全人類の神である。神が自分を一つの国や民族の所有物とすることはない。神が自分の計画にある働きを、形式や国、民族といった制限を受けることなく行う。これまであなたはこのような形式を考えたこともなかったかもしれないし、そのような形式があることを否定するかもしれない。神が現れる国や民族は差別されている最貧国かもしれない。しかし、神には神の知恵がある。神は、自分の力によって、また自分の真理と性質を通して、自分と心が一つになっている人々をすでに得ている。それは神が求めていた人々で、神に征服され、苦しい試練とあらゆる迫害に耐え、最後の最後まで神に従うことのできる人々である。神が形式や国の制約を受けずに現れる目的は、神が自分の計画どおりに働きを完成できるようにするためにである。たとえば、神がユダヤの地で肉となったとき、その目的は十字架の働きを完成させ、人類をあがなうためだった。しかし、ユダヤ人は神にそのようなことができるわけがないと考えた。神が肉となって、主イエスの姿をとって現れることなどありえないと考えたのである。この「ありえない」という思いが、ユダヤ人が神を罪に定め、神に敵対してしまう原因となった。そして、最終的にはイスラエルの破滅へとつながった。今日も、多くの人が同じような間違いを犯している。神は今すぐにでも現れるかもしれないと当てもなく言いながらも、神の現れを罪に定める。その「ありえない」という思いが再び、神の現れを自分たちの想像できる範囲に押し込めてしまっているのである。わたしは、&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/books.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;に出会って、それを一笑に付した人々を数多く見てきた。このような態度は、神を罪に定め、冒涜したユダヤ人と何ら変わりがないではないか。真理と真剣に向き合うことがなく、ましてや真理を慕い求めることもしない。ただやみくもに研究し、気楽に待っているだけである。そのように研究し、待っていることで得られるものは何なのか。あなたは神から個人的な導きを受け取ることができるか。神が語った言葉を聞き分けることができないなら、神の現れをどうやってその目で見ることができるのか。神が現れるところでは、真理の現れと神の声がある。真理を受け取ることができる人だけが神の声を聞くことができる。そしてそういう人だけが神の現れを見ることができる。まずは、自分の観念を脇に置きなさい。立ち止まって、次の言葉をよく読みなさい。あなたが真理を慕い求めるなら、神はあなたの知性を明るくし、神の心と言葉を理解できるようにしてくれる。「ありえない」という思いを脇に置いておきなさい。人が不可能だと思えば思うほど、実際に可能になる。神の知恵は天より高く、神の思いは人の思いより高く、神の働きは人の思いや観念をはるかに超越するものだからである。不可能であればあるほど、そこには探し求めるべき真理がある。人の観念と想像を超えるものであればあるほど、そこには神の心が詰まっている。どこで自分を現そうとも、神は神だからである。神の本質が現れる場所や方法で変わることはない。神の性質は、神の足跡がある場所によらず、いつも同じである。神の足跡がどこにあろうとも、神は全人類の神である。たとえば、主イエスはイスラエル人の神というだけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカの人々の神でもある。さらに言えば、全宇宙で唯一無二の神である。だから、神の語る言葉から神の心を探し求め、神の現れを発見し、神の足跡に従おう。神は真理であり、道であり、いのちである。神の言葉とその現れは共存する。また、神の性質と足跡はいつでも人類に対して開いている。兄弟姉妹たちよ。ここに記した言葉に神の現れを見てとってほしい。そして、新しい時代に向かって神の足跡をたどってゆき、神の現れを待ち望む人々に用意された新天新地にたどりついてほしいのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34; class=&#34;&#34;&gt;&lt;b&gt;もっと見る&lt;a href=&#34;https://youtu.be/2QPUmIq-rZk&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34; class=&#34;&#34;&gt;&lt;a href=&#34;https://youtu.be/2QPUmIq-rZk&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉：第二十九章」抜粋66&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 18 Dec 2020 23:35:41 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12197412</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/ZudcKiGthkY/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>主を信じたあと、私たちの罪は赦された。しかし、それでも頻繁に罪を犯すのはなぜか。どうすれば最後に罪の束縛から逃れられるのか</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12162493</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;参考聖書箇所&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」（ヨハネによる福音書 16:12-13）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」（ヨハネによる福音書 17:17）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」（ヨハネによる福音書 12:47-48）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;神の言葉&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日の働きは言葉を語ることである。言葉により、大きな変化が人の中で生じ得る。現在、それらの言葉を受け入れた人たちに生じる変化は、恵みの時代にしるしや不思議を受け入れた人たちに生じた変化よりもはるかに大きい。と言うのも、恵みの時代において、悪霊は按手と祈りによって人から追い出されたが、人の中の堕落した性質が依然残っていたからである。人は病を癒され、罪を赦されたが、人の中にある堕落したサタン的性質がいかに清められるかについて言えば、その働きはまだなされていなかったのである。人は信仰のゆえに救われ、罪を赦されただけで、人の罪深い本性は根絶されず、依然としてその内面に残っていた。人の罪は神の&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/gods-incarnation-2.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;受肉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を通じて赦されたが、それはその人の中にもはや罪がないという意味ではない。人の罪は、罪の捧げ物を通じて赦されることができたものの、どうすれば人がこれ以上罪を犯さないようになり、その罪深い本性が完全に根絶され、変化するかということについて言えば、人にはその問題を解決する術がないのである。人の罪は神による磔刑の働きゆえに赦されたが、人は以前の堕落したサタン的性質の中で生き続けた。そのため、人は堕落したサタン的性質から完全に救われなければならない。そうすることで、その人の罪深い本性が完全に根絶され、二度と芽生えなくなり、かくして人の性質が変わるのである。そのためにも、人はいのちの成長の筋道、いのちの道、そして性質を変える道を把握しなければならない。さらに、人はこの道に沿って行動することが求められる。その結果、人の性質は次第に変わり、その人は光の輝きの下で生き、何事も神の旨に沿って行ない、堕落したサタン的な性質を捨て去り、サタンの闇の影響から自由になることができ、それにより罪から完全に抜け出せるのである。このとき初めて人は完全なる救いを受けることになる。イエスが働きを行なっていたとき、イエスに関する人の認識はいまだ漠然として不明瞭だった。人はずっとイエスをダビデの子と信じ、イエスは偉大な預言者で、人の罪を贖う慈悲深い主であると宣言した。信仰のおかげで、イエスの衣の端を触っただけで癒された人もいたし、盲人たちは見えるようになり、死人さえ生き返った。しかし、人は堕落したサタン的性質が自分自身に深く根づいているのを見出すことができず、それを捨て去る方法も知らなかった。人は肉の平安や幸福、一人の信仰による家族全体の祝福、そして病人の癒しなど、多くの恵みを受けた。残りは人の善行や外見上の信心深さだった。そのようなものを基に生きることができるなら、その人はまずまずの信者だと思われた。そのような信者だけが死後、天国に入ることができるとされたのだが、それは彼らが救われたという意味だった。しかし、このような人たちはその生涯において、いのちの道をまったく理解していなかった。ひたすら罪を犯しては告白することを繰り返すばかりで、自身の性質を変える道はもたなかったのである。これが恵みの時代における人間の状態だった。人は完全な&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を得たのか。いや、得てはいない。したがって、その段階の働きが終わったあとも、依然として裁きと刑罰の働きが残っているのである。この段階は言葉によって人を清めるものであり、それによって人に従う道を与える。悪霊を追い出すことを続けるなら、この段階は有益でも意義深くもないだろう。と言うのも、人の罪深い本性が根絶されることはないだろうし、人は罪の赦しで行き詰まるはずだからである。罪の捧げ物を通じ、人は罪を赦されてきた。なぜなら、十字架の働きがすでに終わり、神はサタンに勝利したからである。しかし、人の堕落した性質は依然として人の中に残っており、人は依然として罪を犯し、神に抵抗することができ、よって神はまだ人類を得ていない。そのため、神はこの段階の働きにおいて、言葉を用いて人の堕落した性質を暴き、人に正しい道に沿って実践させるのである。この段階は前の段階よりもさらに有意義であり、いっそう有益である。と言うのも、今、人に直接いのちを施し、人の性質を完全に一新させられるのは言葉だからである。それははるかに徹底的な働きの段階である。ゆえに、終わりの日における受肉は神の受肉の意義を完成させ、人を救う神の経営計画を完全に終わらせたのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（４）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。事実、この段階は救いの働きの第二段階であるとともに征服の段階でもある。人は言葉による裁きと刑罰を通じて神のものとされる。また言葉を用いて精錬し、裁き、露わにすることで、人の心にある汚れ、観念、動機、そして個人的な願望がすべて完全に暴かれる。人は贖われ、罪を赦されたが、それによって見なし得るのは、神は人の過ちを記憶せず、その過ちに応じて人を取り扱わないということだけである。しかし、肉体において生きる人間が罪から解放されていないと、人は罪を犯し続けることしかできず、堕落したサタン的性質をどこまでも示し続ける。これが人の送る生活であり、罪を犯しては赦されるという終わりのないサイクルなのである。人類の大多数は昼間に罪を犯し、夜になると告白するだけである。このように、たとえ罪の捧げ物が人のために永久に有効だとしても、それで人を罪から救うことはできない。救いの働きは半分しか完成していない。人にはいまだ堕落した性質があるからである。たとえば、自分たちがモアブの子孫であることに気づいた人々は、不満の言葉を述べ、いのちを追い求めることをやめ、すっかり否定的になってしまった。これは、人々がいまだ神の支配に完全に服従できないでいることを示しているのではないか。これがまさに、人々の堕落したサタン的性質ではないのか。あなたが刑罰を受けていなかったとき、あなたの手は他の誰よりも高く、イエスの手よりも高く上げられていた。そしてあなたは大声で叫んだ。「&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/tag/God-s-love&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の愛&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;する子になりたまえ。神と心を通わす者になりたまえ。サタンにひれ伏すくらいなら死ぬほうがましだ。あのいまいましい悪魔に対抗したまえ。赤い大きな竜に対抗したまえ。どうか赤い大きな竜が惨めにも完全に権力の座から落ちるように。どうか神が私たちを完全にするように」。あなたの叫び声は他の誰よりも大きかった。しかし、刑罰の時が訪れ、人間の堕落した性質が再び明らかになった。やがて人々の叫びは途絶え、彼らの決意は失われた。これが人間の堕落である。それは罪より根深く、サタンによって植えつけられ、人の奥深くに根ざしたものである。人が自分の罪に気づくのは容易なことではない。人には自分に深く根ざした本性を認識する術がなく、そうするには言葉による裁きに頼らなければならない。そうして初めて、人はその時点から次第に変わってゆくのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（４）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このような方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みは通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、徹底的に納得して神への服従に向かうようになり、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神はどのような手段で人を完全にするのか。それは神の義なる性質によって成し遂げられる。神の性質はおもに義、怒り、威厳、裁き、呪いから成り立っており、神はおもに裁きという手段で人を完全にする。中にはそれが理解できず、なぜ神は裁きと呪いによってしか人を完全にできないのかと問う人がいる。そのような人は「神が人を呪ったら、人は死ぬのではないか。神が人を裁いたら、人は断罪されるのではないか。それにもかかわらず、人はどうして完全になれるのか」と言う。神の働きを理解しない人はこのように言うのである。神が呪うのは人間の不従順であり、神が裁くのは人間の罪である。神の言葉は厳しく容赦がないものの、人の中にあるあらゆるものを明らかにし、そうした厳しい言葉を通じて人の中にある本質的な物事を露わにするが、神はそのような裁きを通じて肉の本質に関する深遠な認識を人に授け、そうして人は神の前で服従する。人の肉は罪から成り、サタンに属するものであり、不従順であり、神の刑罰の対象である。ゆえに、人に自分を認識させるには、神の裁きの言葉がその人に降りかかり、ありとあらゆる精錬が用いられなければならない。そのとき初めて神の働きは成果を生む。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神がこの時代に実行する働きは、おもに人間のいのちのための言葉を与えること、人間の堕落した性質および人間の本性の実質を暴くこと、そして宗教的観念、封建的思考、時代遅れの考え、さらに人間の知識と文化を一掃することである。これらのことはすべて神の言葉による暴きを通して清められなければならない。終わりの日において、神はしるしや不思議ではなく、言葉を用いて人間を完全にする。神は言葉によって人間を露わにし、裁き、罰し、人間を完全にし、それにより人間が言葉の中に神の知恵と愛らしさを見、神の性質を知り、神の業を目にするようにする。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「今日の神の働きを知ること」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神には人間を完全にする手段が多数ある。神はありとあらゆる環境を用いて人間の堕落した性質を取り扱い、様々な物事を用いて人間を暴き出す。神は、ある点に関しては人間を取り扱い、別の点に関しては人間を暴き、また別の点に関しては人間を明らかにし、人間の心の奥にある「奥義」を掘り出して明示し、人間にその数々の状態を明らかにすることにより本性を示す。神が実践的であることを人間が知ることができるように、神は暴露、取り扱い、精錬、刑罰など、様々な手段を通して人間を完全にする。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「実践に集中する者だけが完全にされることができる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人間はサタンの支配下において全生涯を過ごし、自分でサタンの影響から逃れられる者は一人もいない。人間はみなけがれた世界で、堕落と空虚の中、少しの意味も価値もないままに生きている。彼らは、肉や欲望のため、そしてサタンのために、そうした気楽な生活を送る。彼らの存在には何の価値もない。人間は自分をサタンの影響から解放する真理を見出すことができない。人間は神を信じ、聖書を読むにもかかわらず、サタンの影響による支配からどうやって自分を解放すればよいのか分からない。何時の時代も、この秘密を発見してそれを理解した者は稀である。それ故人間はサタンを憎み、肉を忌み嫌っているが、罠のようなサタンの影響から逃れる方法を知らない。現在、あなたがたは依然としてサタンの支配下にいるのではなかろうか。あなたがたは自分の不従順な行為を後悔せず、まして自分がけがれており、反抗的であると感じることなどはない。神に反抗した後、あなたがたは安心し、大いに落ち着くことさえある。あなたの落ち着きは、自分が堕落していることが原因ではなかろうか。こうした安心は、あなたの不従順から来るのではなかろうか。人は、人間地獄の中で生き、サタンの闇の影響下で生きている。全地で幽霊が人間と共に住み、人間の肉を侵害している。地上では、あなたは美しいパラダイスに住んでいるのではない。あなたが住む場所は悪魔の領域であり、人間地獄であり、冥府である。清められなければ、人はけがれた者である。人が神によって守られておらず、神に顧みられていないのであれば、その人は依然としてサタンの虜である。その人がもし裁きや刑罰を受けていないのであれば、その人にはサタンによる闇の影響の弾圧から逃れる術はないであろう。あなたが依然としてサタンの領域下で生活していることを証明するには、あなたが露わにする堕落した性質と、あなたが生きる不従順な振る舞いだけで十分である。あなたの心や思いが清められておらず、あなたの性質が裁きと刑罰を受けていないのであれば、あなたの全存在がいまだにサタンの領域に支配されており、あなたの心はサタンに支配され、思いはサタンに操られ、あなたの存在全てがサタンの手により支配されているのだ。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人は肉の中に生きるが、それは人間地獄の中で生きることであり、神の裁きと刑罰なくしては、人間はサタンと同様にけがれている。どうして人間が聖くなれようか。ペテロは、神の刑罰と裁きは人間のための最高の守りであり、最も素晴らしい恵みであると信じていた。人間が目を覚まし、肉を憎み、サタンを憎むことができるのは、神の刑罰と裁きによる他ない。神の厳しい鍛錬は、人間をサタンの影響から解放し、自分の狭い世界から解放し、神の顔の光の中で生きることができるようにする。刑罰と裁きよりも優れた救いはない。ペテロはこう祈った。「神よ、あなたが私を罰し、裁かれる限り、私はあなたが私を見捨てていないことを知るでしょう。たとえあなたが私に喜びや平安を与えられず、私を苦しみの中で生活させ、私に無数の懲らしめを科せられたとしても、あなたが私を見捨てない限り、私の心は安らぐでしょう。現在、あなたの刑罰と裁きは私にとって最高の守りであり、最も素晴らしい祝福となっています。あなたが私に与えられる恵みが私を守っています。現在あなたが私に授けられる恵みは、あなたの義なるご性質の表れであり、刑罰と裁きです。さらに、それは試練であり、なによりもそれは、苦難の生活です」。彼は肉の喜びを脇へ置き、一層深い愛と一層大きな守りを求めることができた。なぜなら、彼は神の刑罰と裁きから、極めて大きな恵みを得たからである。人生において、人が清められ、性質の変化を実現することを望み、有意義な人生を生き抜き、被造物としての自分の本分を尽くすことを望むのであれば、その人は神の刑罰と裁きを受け入れるべきであり、神の鍛錬と打ちのめしが自分から離れないようにし、そうすることで、サタンによる操りと影響から逃れて神の光の中で生きられるようにしなければならない。神の刑罰と裁きは光であり、人間の救いの光であり、人間にとって、それ以上の祝福と恵みと守りはないということを知らなければならない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Thu, 17 Dec 2020 22:34:17 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12162493</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><category>真理</category><category>神の愛</category><category>受肉</category><category>救い</category></item><item><title>キリスト教徒生活の証し 2020「名声と富からの解放」日本語字幕</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12111154</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/Kosta5Xw8XI&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/Kosta5Xw8XI/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34; style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;クリスチャンの&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/testimonies.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;証し &lt;/a&gt;2020「名声と富からの解放」日本語字幕&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 教会指導者である主人公は、本分のパートナーである夏姉妹が自分より&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の交わりが上手なのをみて嫉妬を覚えます。そして常に自分と夏姉妹を比較し、夏姉妹に負けるたび、否定的になり、いらだち、落ち込みます。そして神の御言葉の裁きと暴露によって評判や自分の利益、そして地位を求めることが間違いだと気づきます。評判や地位は、人を堕落させて束縛するためのサタンの手段であり、これにより自分が狭量で自分勝手で卑しい人間となり、まったく人間らしくない生き方をしていたことがはっきり自覚します。自らを嫌悪し、神に悔い改め、評判、利益、地位への欲望を捨て、地に足をつけて本分に取り組むようになった彼女は、自由と安らぎを得て、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/beholding-the-appearance-of-god-in-his-judgment-and-chastisement-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の裁き&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;と刑罰が人類への神の救済だということを真に経験します。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 16 Dec 2020 22:32:27 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12111154</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の裁き</category><category>真理</category><category>証し</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/Kosta5Xw8XI/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>クリスチャンの証し 2020「誠実さのみが人間らしさをもたらす」</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12039630</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/hcnaGejCAPY&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/hcnaGejCAPY/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;クリスチャンの&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/testimonies.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;証し &lt;/a&gt;2020「誠実さのみが人間らしさをもたらす」&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 主人公はオフィス家具販売業を営んでいます。商売を始めた頃は、誠実な取引を心掛け、顧客の注文通りの品物を発注していました。しかしある時、同業者である隣の店のオーナーが、自分よりはるかに大きな利益を得ていることを知り、そのやり方を真似て顧客を欺きはじめたことで、次第に最も基本的な良心さえも失っていきます。&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/only-christ-of-the-last-days-can-give-man-the-way-of-eternal-life-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;終わりの日&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/about-us-questions-3.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の働きを受け入れた彼女は、御言葉の暴露と裁きにより、神は誠実さを愛され、不実を憎まれることを理解します。さらに、うそをつき、人を欺き、不実であることの本質と末路をはっきりと理解します。その後、神に&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/testimonies/three-methods-on-how-to-pray.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;祈り&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;、御言葉に従って誠実な人間になるよう心掛けることを決意した主人公は、次第に人間らしい生き方ができるようになります。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Mon, 14 Dec 2020 21:53:38 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/12039630</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>全能神</category><category>祈り</category><category>終わりの日</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/hcnaGejCAPY/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>長年主イエスを信じ、熱心に自分を費やし、ひたすら働いてきた人たちは、主のために多くの苦しみを受けてきた。それは、終わりの日における全能神の働きを受け入れないせいで、救いと天国への入りを拒まれるというこ</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11993918</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;b&gt;参考聖書箇所&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp;「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;天国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』」（マタイによる福音書 7:21-23）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;神の言葉&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;わたしは、一人一人の終着点を、年齢や年功、苦しみの量、とりわけ憐れみを誘う度合いではなく、真理を自分のものにしているかどうかに基づいて決める。これ以外の選択肢はない。神の旨に従わない人はみな懲罰されることをあなたがたは悟らなければならない。これは不変の事実である。よって、懲罰される者はみな神の義ゆえに、その数々の邪悪な行為への報いとして懲罰されるのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「終着点のために十分な善行を積みなさい」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/the-truth-concerning-the-work-in-the-age-of-redemption.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;贖い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。事実、この段階は救いの働きの第二段階であるとともに征服の段階でもある。人は言葉による裁きと刑罰を通じて神のものとされる。また言葉を用いて精錬し、裁き、露わにすることで、人の心にある汚れ、観念、動機、そして個人的な願望がすべて完全に暴かれる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/gods-incarnation-2.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;受肉&lt;/a&gt;の奥義（４）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このような方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みは通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、徹底的に納得して神への服従に向かうようになり、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/only-loving-god-is-truly-believing-in-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神を信じる&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。もしこれらの真理を重要視せず、いかにこれらを避けるかや、いかにこれらとは関わりのない新しい逃げ道を見つけるかしか考えないのならば、あなたは恐ろしい罪人である、とわたしは言う。もしあなたに神への信仰があるのに、神の真理や心を追い求めず、またあなたを神に近づける道を愛さないなら、あなたは裁きを逃れようとしている人であり、偉大な白い玉座から逃げる操り人形であり裏切り者である、とわたしは言う。神の目から逃げる反抗的な者を神は誰一人として容赦しない。そのような人はさらに重い懲罰を受ける。裁かれるために神の前に来る人で、その上、清められた人は、永遠に神の国に住むであろう。もちろん、これは未来に属することである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人々は、神は義なる神であり、人間が最後まで神に従う限り、神は最も正しいから、人間に対して不公平なことは決してしないと言う。人間が最後まで神に従ったならば、神は人間を見捨てられるであろうか。わたしは全ての人間に対して公平であり、全ての人間をわたしの義なる性質によって裁くが、人間に対する要求には適切な条件があるので、全ての人間は、わたしの要求することを達成しなければならない。わたしは、あなたの資格がどれほど幅広いか、立派であるかということには気を留めず、あなたがわたしの道を歩んでいるか、真理を愛し渇望しているかどうかだけを考慮する。あなたに真理が欠けており、あなたがわたしの名を辱め、わたしの道に従って行動せず、注意や配慮なく、ただついて来るだけであれば、わたしはその時あなたの悪のためにあなたを打ち倒し、罰するであろう。その時、あなたは何と言うであろうか。あなたは、神は義ではないと言えるであろうか。現在、あなたがわたしが語った言葉に従うならば、あなたはわたしが認めるような人である。あなたは、神に従う最中常に苦しみ、どんなに道が険しくとも神に従い、良い時も悪い時も神とともにしてきたと言うが、あなたは神によって語られた言葉を実際に生きておらず、毎日神のために奔り回ることだけを望み、有意義な人生を生きることについて考えたことがない。またあなたはこう言う。「とにかく私は神が義であると信じている。私は神のために苦しみ、神のために奔走し、自分を神に捧げ、承認を受けないにもかかわらず懸命に労してきたのだ。――神は必ず私のことを覚えているはずだ」。神は義であるというのはほんとうだが、その義はいかなる不純物にもけがされていない。その義には人間の意志が一切含まれておらず、肉や人間の取引にもけがされてはいない。反抗的で敵対し、神の道を遵守しない者は皆、罰され、誰も赦されず、誰も容赦されないであろう。「今日、私はあなたのために走り回っていますが、終わりが来たとき、あなたは私に少しばかりの祝福を与えて下さるでしょうか」と言う人たちもいる。そこで、わたしはあなたに尋ねる。「あなたはわたしの言葉に従ったであろうか」。あなたの言う義は、取引に基づいている。あなたは、わたしが義であり、全ての者に公平であり、最後までわたしに従う者は、確実に救われてわたしの祝福を得るとただ考えている。「最後までわたしに従う者は、確実に救われる」というわたしの言葉には内なる意味がある。つまり、最後までわたしに従う者は、完全にわたしのものとなる人たちであり、わたしに征服された後に真理を求め、完全にされた者である。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; あなたはわたしがどのような人間を求めているかを知らなければならない。不純な人間は神の国に入ることを許されないし、また不純な人間が聖地を汚すことも許されない。あなたがたとえどれほど長くまたどれほど多くの働きを行なってきたとしても、最後のときになって未だ甚だしく汚れていれば、わたしの国に入ることは天の律法が許さないのである。世の初めから今日まで、人がいかに取り入ろうとも、人がわたしの国に入るのにわたしが便宜を図ったことはない。これは天の掟であり、誰にも破ることは許されない。あなたはいのちを追い求めるべきである。今日、神に完全にされるであろう人間はペテロのような人であり、自分の性質の変化を追い求める人であり、そして喜んで神を証しし、被造物の本分を尽くそうとする人である。そのような人だけが神によって完全にされるのである。もしあなたが見返りだけを求め、自分のいのちの性質を変えることを追い求めないのであれば、あなたの努力の一切は徒労に終わる。そしてこれは、不変の真理である。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 宗教的な教会にいる者の実践が旧態化していると言われているのは何故だろうか。それは、彼らが実践している事が、今日の働きから切り離されているからである。恵みの時代においては、彼らが実践していた事は正しかったが、その時代が過ぎ去り、神の働きが変化するにつれて、彼らの実践は次第に旧態化していった。それは新たな働きと光に置き去りにされてしまったのだ。聖霊の働きは、元来の基礎の上で、さらに何段階か深化している。しかし、それらの人々は神の働きの元来の段階のまま滞り、旧来の実践と古い光を未だに固守している。神の働きは3年ないし5年で大きな変化を遂げることがある。それならば、二千年の間に更に大きな変化が起こるはずではないだろうか。人間に新たな光も実践も無いならば、それは人間が聖霊の働きに追いつけないことを意味している。これは人間の失敗である。神の新たな働きの存在は否定できない。なぜなら、現在において、以前に聖霊の働きがあった者たちは、依然として旧式の実践を守っているからである。聖霊の働きは常に前進しており、聖霊の流れの中にいる全ての者たちもまた一歩一歩、さらに深く前進し変化すべきである。彼らは、ある段階で止まるべきではない。聖霊の働きを知らない者たちだけが、神の元来の働きの中に留まり、聖霊の新たな働きを受け入れない。不従順な者たちだけが聖霊の働きを得ることができないであろう。人間の実践が聖霊の新たな働きに追いつかないならば、人間の実践もまた今日の働きから分離していること、そして今日の働きと相容れないことは確実である。このような旧態化した人々は、まったく神の旨を成し遂げることができず、まして最後に神の証しに立つ人々となることなどとうていできないであろう。さらに、経営の働き全体は、これらの人々の一群の間では完結できない。嘗てヤーウェの律法を遵守していた者と、十字架のために苦難を受けた者たちにとって、終わりの日の働きの段階を受け入れられないなら、彼らが行った事は全て無に帰し、無駄になるであろう。聖霊の働きの最も明瞭な表出は、現状を受け入れることであり、過去にしがみ付くことではない。現在の働きに追いつくことができず、今日の実践から切り離されてしまった人々は、聖霊の働きに反抗し、それを受け入れない者たちである。このような人々は、現在の神の働きに背いている。彼らは過去の光にしがみ付くけれども、それは、聖霊の働きを知らないことを否定できることは意味しない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人間の実践」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神を信じているのであれば、人間は神の歩調に遅れることなく、一歩一歩ついて行かなければならない。人間は「子羊が行く所はどこへでもついて行く」べきである。彼らだけが真の道を求める人々であり、聖霊の働きを知っている者である。奴隷のように文字や教義に従う人々は聖霊の働きによって既に排除された者である。各期間において、神は新たな働きを開始し、各期間において、人間には新たな始まりがあるであろう。人間が「ヤーウェは神である」または「イエスはキリストである」というような一つの時代のみに該当する真理に従うだけであれば、人間は聖霊の働きに遅れずついて行くことは決してできず、聖霊の働きを得ることは永遠にできないであろう。神がどのように働くかに関わらず、人間はほんの僅かも疑うことなく、遅れずについて行く。このようにすれば、どうして人間が聖霊により排除されることなどあろうか。神が何を為すかに関わらず、それが聖霊の働きであることを人間が確信し、何も疑わずに聖霊の働きに協力し、神の要求を満たそうとする限り、どうして人間が罰されることなどあろうか。神の働きは一度も停止したことがなく、神の歩みは止まったことがない。また神の経営の働きが完成する前、神は常に忙しく、休んだことがない。しかし、人間は異なる。人間は、ほんの少し聖霊の働きを得ただけで、あたかもそれが決して変わらないかのように扱う。人間は、わずかに知識を得ただけで、より新しい神の働きの足取りに進んでついて行こうとしない。人間は、わずかに神の働きを見ただけで、すぐに神を一種の木の人形のように決めつけ、神は常に人間の見る形のままであり、過去も未来も常にそのような形であると信じる。人間は、表面的な知識だけを得て、誇らしくなって我を忘れ、全く存在しない神の性質や在り方をみだりに主張する。そして聖霊の働きの一つの段階について確信するあまり、神の新たな働きを宣べ伝えるのがどのような人であれ、人間はそれを受け入れない。彼らは聖霊の新たな働きを受け入れることができない人々である。彼らは保守的過ぎて、新しい事を受け入れられない。これらの人々は神を信じてはいるが、神を拒んでいる者たちである。人間は、イスラエルの民が「ヤーウェのみを信じてイエスを信じなかった」のは誤っていると信じるが、大多数の人々が「ヤーウェのみを信じてイエスを拒絶する」という役、そして「メシアの再来を切望するがイエスというメシアには反対する」という役を演じている。それならば、人間が、聖霊の働きの一つの段階を受け入れた後も、依然としてサタンの支配の下で生活し、依然として神の祝福を受けていないことに何の不思議も無い。これは、人間の反抗心の結果ではなかろうか。現在の新たな働きに追いつくことができない世界各地のクリスチャンたちは皆、自分達が幸運な者である、神は自分の一つひとつの願いをかなえるであろうという信仰にしがみ付いている。しかし、彼らは神がなぜ自分達を第三の天へと引き上げるのかを明確に述べることができず、イエスがどのようにして白い雲に乗って自分達を引き上げに来るかについても確信しておらず、ましてや自分達が想像している日に、本当にイエスが白い雲に乗って到来するかどうかを絶対の確信を持って言うことなどできない。彼らは皆不安であり、途方にくれている。彼らは、各教派から来る一握りの様々な人々を神が一人ひとり引き上げられるかどうかさえ知らない。神が現在行っている働き、今日人間が存在しているこの時代、神の旨―彼らはそれらを全く把握しておらず、その日を指折り数える事しかできない。最後まで子羊の足跡を追う者のみが、最終的な祝福を得ることができるのだが、最後までついて行けないにもかかわらず、自分が全てを得たと信じている「賢い人々」は神の出現を証しすることができない。彼らはみな自分が地上で最も賢い人間だと信じており、何の理由もなく神の働きの継続的な発展を中断させ、「神に至高の忠誠を示し、神に従い、神の言葉を守る」自分たちこそを神は天に引き上ると、絶対の確信を持っているようである。彼らは、神が語った言葉に対して「至高の忠誠」があるにもかかわらず、彼らの言動は極めて忌まわしい。なぜなら、彼らは聖霊の働きに逆らい、欺瞞や悪を犯すからである。最後まで従わない者、聖霊の働きに追いつけない者、旧来の働きにしがみ付く者は、神への忠誠を果たせなかったどころか神に逆らう者となり、新たな時代から拒否され、罰を受ける者となっている。これ以上哀れなことがあるだろうか。多くの者たちが、古い律法を拒否して新たな働きを受け入れる者は皆、良心が無いとさえ信じている。「良心」に関して話をするだけで、聖霊の働きを知らない人々は、最終的には自らの良心によって将来性を中断される。神の働きは教義に従うことがなく、またそれは神自身の働きであるが、神はそれに固執することがない。否定されるべき事が否定され、排除されるべき事が排除される。しかし人間は神の経営の働きのほんの一部に固執し、自ら神に敵対している。それは人間の愚かしさではなかろうか。それは人間の無知ではなかろうか。人間が神の祝福を得られないことを恐れて臆病になり、用心し過ぎればし過ぎるほど、より大きな祝福と、最後の祝福を得ることがますます不可能となる。奴隷のように律法を守っている人々は皆、律法に対して至高の忠誠を示している。そして律法に対してこのような忠誠を示せば示すほど、彼らは一層神に逆らう反逆者となる。というのは、今は律法の時代ではなく、神の国の時代であり、現在の働きと過去の働きを同じ言葉で語ることはできず、過去の働きを現在の働きと比較することもできないからである。神の働きは既に変化したので、人間の実践もまた変化した。それは、律法を守ることでも、十字架を負うことでもない。だから律法や十字架への人間の忠誠は、神の承認を得ないであろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人間の実践」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。人はこの真理を通していのちを得ることができ、この真理を通してのみ、神を知り、神に良しと認められる。終わりの日のキリストが与えるいのちの道を求めないなら、あなたは決してイエスに良しと認められず、天国の門をくぐる資格も得られない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり、歴史に囚われた人だからである。規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることができず、永遠のいのちの道も得られない。と言うのも、彼らがもっているのはどれも、玉座から流れるいのちの水ではなく、何千年も執着してきた汚水だからである。いのちの水を施されない者は永遠に死体であり、サタンの玩具であり、地獄の子である。そのような者がどうして神を目にできようか。ひたすら過去にしがみつき、足踏みしながら現状を維持しようとし、現状を変えて歴史を棄てようとしないなら、あなたは絶えず神に反することになるのではないか。神の働きの歩みは、押し寄せる波や轟く雷鳴のごとく広大で力強い。それでも、あなたは自分の愚かさに固執して何もしないまま、座して滅びを待っている。このままで、あなたは小羊の足跡に従う者だと見なされようか。あなたが神として固執するものが、常にあたらしく古びない神だと正当化できようか。あなたの黄ばんだ本の言葉があなたを新しい時代に運んでくれることがあろうか。神の働きの歩みをたどれるよう導いてくれようか。そして、それらがあなたを天国に引き上げられるだろうか。あなたがその手でつかんでいる物は、つかの間の慰めを与えられる文字でしかなく、いのちを与えられる真理ではない。あなたが読む聖句は、あなたの舌を肥やせるだけで、あなたが人生を知るうえで助けとなる知恵の言葉ではなく、ましてやあなたを完全にするよう導く道などではない。この食い違いを見て、あなたはよく考えてみようとは思わないのか。そこに含まれる奥義をあなたに理解させることはないのか。あなたは、自分で自分を天に引き上げ、神に会わせることができるのか。神が来なくても、あなたは自らを天に引き上げ、神と共に家族の幸福を楽しむことができるのか。あなたはいまだに夢を見ているのか。それなら、わたしは勧める。夢を見るのを止めよ。今働いているのが誰かを見よ。今、終わりの日に人を救う働きをしているのが誰かを見よ。そうしなければ、あなたが真理を得ることは決してなく、いのちを得ることも決してない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; キリストが語る真理に頼ることなくいのちを得たいと望む者は、地上で最も愚かな者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は、幻想の世界で迷子になった者である。ゆえにわたしは、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われると言う。キリストは、人が終わりの日に神の国へと入る門であり、それを迂回できる者は誰一人いない。キリストを通してでなければ、誰も神によって完全にされることはない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神の道に従わなければならない。真理を受け取ることも、いのちの施しを受け入れることもできないのに、祝福を得ることだけを考えることはできない。キリストは、自身を真に信じる者にいのちを施せるよう、終わりの日に来る。その働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道である。キリストを認められず、非難したり、冒涜したり、さらには迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそが聖霊の顕現であり、神の顕現であり、神が地上での働きを託した者だからである。したがって、終わりの日のキリストによってなされる一切のことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言う。聖霊を冒涜する者が受ける報いは、誰の目にも自明である。これもあなたに言っておくが、あなたが終わりの日のキリストに抵抗し、終わりの日のキリストを足蹴にするなら、その結末をあなたに代わって引き受ける人は誰もいない。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえ自らの罪を贖おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが抵抗したのは人ではなく、あなたが足蹴にしたのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからである。あなたはその結末がどのようなものか知っているのか。あなたが犯すのは小さな過ちではなく、重罪である。だから、わたしはすべての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりしてはいけない。あなたにいのちをもたらせるのは真理以外になく、あなたが生まれ変わり、再び神の顔を仰げるようにするものは、真理以外にはないからである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 13 Dec 2020 22:20:54 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11993918</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><category>天国</category><category>贖い</category><category>神を信じる</category><category>受肉</category></item><item><title>「人間関係の縛りを解き放つ」クリスチャンの証し 2020</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11980179</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/1HEBqzuGyXQ&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/1HEBqzuGyXQ/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/videos/branded-trailer.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;クリスチャンの証し &lt;/a&gt;2020「人間関係の縛りを解き放つ」日本語吹き替&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 教会の指導者を務める主人公は教会で行なわれた調査を通じ、李姉妹が本分を尽くす中で常に注意を怠っていると、他の兄弟姉妹が報告したことを知ります。その報告によると、李姉妹は真理を受け入れず、偉そうに説教し、その人たちを抑え込んでいるというのです。真理の原則に従えば李姉妹は職を解かれるべきであり、主人公もそのことはよく知っていましたが、「血は水よりも濃い」とか「人は木石にあらず」などといったサタンの哲学によって堕落させられ、その影響を受けていました。故郷が同じでいつも親密だったことを考えた主人公は、自分の感情にしたがって行動し、李姉妹を何度もかばって守ります。その後、神の御言葉の裁きと啓示があってようやく、感情に頼って行動することの本性と結果がわかるようになります。彼女はこうしたサタンの哲学をいくらか識別できるようになり、問題が生じたときに感情に頼らず、むしろ真理の原則に従って意識的に実践するようになるのです。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;もっと多くの映画を推薦しあなたに&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神教会&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の内容について理解させます。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;。&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sat, 12 Dec 2020 23:10:24 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11980179</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>クリスチャンの証し 2020「束縛からの解放」日本語吹き替</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/1HEBqzuGyXQ/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>キリスト教賛美歌「人に対する神の愛は真実にして現実である」（男性ソロ）日本語字幕</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11945880</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/mXvIKmFs4YE&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/mXvIKmFs4YE/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;キリスト教&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/hymns.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;賛美歌&lt;/a&gt;「人に対する神の愛は真実にして現実である」（男性ソロ）日本語字幕&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp;人類に対する神の愛はおもに&lt;/p&gt;&lt;p&gt;肉となり働くこと、自ら人を救うこと&lt;/p&gt;&lt;p&gt;人と向き合って語り、共に生活すること&lt;/p&gt;&lt;p&gt;少しも離れていないこと&lt;/p&gt;&lt;p&gt;何のふりもしないこと完全に現実であることに表われます&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神は人を&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/the-work-of-spreading-the-gospel-is-also-the-work-of-saving-man.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救う&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;ためには&lt;/p&gt;&lt;p&gt;肉となり、世の人々と共に&lt;/p&gt;&lt;p&gt;何年もの苦痛を受けるほどですが&lt;/p&gt;&lt;p&gt;それはみな人類への&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/tag/God-s-love&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の愛&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;と憐みの故です&lt;/p&gt;&lt;p&gt;それはみな人類への神の愛と憐みの故です&lt;/p&gt;&lt;p&gt;人に対する神の愛は&lt;/p&gt;&lt;p&gt;無条件であり、何の要求もしません&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神はその見返りとして人から何を受け取りますか&lt;/p&gt;&lt;p&gt;人は神に対して冷淡です&lt;/p&gt;&lt;p&gt;誰が神を神として扱いますか&lt;/p&gt;&lt;p&gt;人は神を少しも慰めず&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神は今日に至るまで人から真の愛を受け取っていないのです&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神はただ自らを無にして与え施すだけです&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神はただ自らを無にして与え施すだけです&lt;/p&gt;&lt;p&gt;人は神を少しも慰めず&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神は今日に至るまで人から真の愛を受け取っていないのです&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神はただ自らを無にして与え施すだけです&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神はただ自らを無にして与え施すだけです&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『小羊に従って新しい歌を歌おう』より&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 11 Dec 2020 23:04:46 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11945880</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>賛美歌</category><category>救う</category><category>神の愛</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/mXvIKmFs4YE/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>日々の神の御言葉「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」抜粋57</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11935359</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/-5-1za4z7d8&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/-5-1za4z7d8/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;b class=&#34;&#34;&gt;日々の神の御言葉「&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/only-christ-of-the-last-days-can-give-man-the-way-of-eternal-life-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;終わりの日&lt;/a&gt;のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」抜粋57&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。あなたが終わりの日にキリストが与えるいのちの道を求めないのなら、あなたは決してイエスに良しと認めてもらうことはできず、天の国の門をくぐる資格を得ることはない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり歴史に囚われた人だからだ。規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることはなく、永遠のいのちの道を得ることはない。なぜなら、彼らが持っているのは、玉座から流れるいのちの水ではなく、何千年も滞留したままの濁った水でしかないからだ。いのちの水を与えられない者は永遠に死体であり、サタンのおもちゃであり、地獄の息子たちである。そのような者がどうして神に会うことができようか。あなたが過去にしがみつき、足踏みをしながら現状維持しようとし、現状を変え歴史を棄てようとしないなら、あなたは神に常に反することになるのではないか。神の働きの段階は、押し寄せる波や轟く雷鳴のごとく広大で力強い。それでも、あなたは自分の愚に固執して何もしないまま、座して自滅を待っている。このままで、あなたが小羊の足跡をたどる者だと見なされることはあろうか。あなたが神として手放さずにいるものが、常にあたらしく、古くなることがないと証明できようか。あなたの黄ばんだ本の言葉があなたを新しい時代に運んでくれることがあろうか。神の働きはどのように進めるべきかを求めるように、それらがあなたを導いてくれようか。そして、それらがあなたを&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;天国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;に引き上げられるだろうか。あなたの手につかんでいる物は、つかの間の慰めを与えられる文字でしかなく、いのちを与えられる真理ではない。あなたが読む言葉は、あなたの舌を肥やせるだけで、あなたが人の人生を知るうえで助けとなる知恵の言葉ではなく、ましてやあなたを完全にするように導いてくれる道などではない。この食い違いを見て、あなたはよく考えてみようとは思わないだろうか。そこに含まれる奥義を理解させてはくれないだろうか。あなたは、自分で自分を天国に引き上げ、神に会わせることができるのか。神が来なくても、あなたは自らを天国に引き上げ、神と共に家族の幸福を楽しむことができるのか。あなたは未だに夢を見ているのか。それなら、わたしは勧める。夢を見るのを止めよと。そして誰が今働いているのかを見よと。誰が今、終わりの日に人を救う働きをしているのかを見よと。そうしなければ、あなたは決して真理を得ることはなく、決していのちを得ることもない。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; キリストが語る真理に依り頼むことなくいのちを得ることを望む者は、地上で最も愚か者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は幻想の世界で迷子になった者だ。だから、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われるとわたしは言う。キリストは、終わりの日に神の国への門となる存在であり、誰も迂回することはできない。キリストを通してでなければ、誰も神に完全にしてもらうことはできない。あなたは神を信じているのだから、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を受け入れ、神が用意する道を受け入れなくてはならない。真理を受け取ったり、いのちの供給を受け入れることなく、祝福だけを得ようと考えたりすべきではない。キリストは、神を真に信じる者がいのちを得ることができるように終わりの日に来る。神の働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道だ。あなたが神を認めず、神を非難したり、冒涜したり、さらに迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそ、聖霊の現れであり、神の顕現であり、神が地上で業を行うために託した者だからだ。だから、あなたが終わりの日のキリストがする全てのことを受け入れられないなら、あなたは&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/what-is-the-work-of-the-holy-spirit.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;聖霊&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を冒涜しているとわたしは言うのだ。聖霊を冒涜する者が受けなければならない罰は、誰の目にも明らかだ。そして、あなたが終わりの日のキリストに敵対し、否定するなら、誰もその結末をあなたに代わって引き受けることはできないともわたしは言おう。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえあなたが自らの罪を贖おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが敵対したのは人ではなく、あなたが否定したのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからだ。あなたはこの結末に気づいているのか。あなたが犯したのは小さな過ちではなく、重罪だ。だから、全ての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりすることのないように。あなたにいのちを与えるのは真理以外にはなく、あなたを生まれ変わらせ、神の顔を仰ぐことができるようにしてくれるものは、真理以外にはないからだ。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 11 Dec 2020 12:59:00 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11935359</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><category>天国</category><category>真理</category><category>終わりの日</category><category>聖霊</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/-5-1za4z7d8/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>日々の神の御言葉「肉なる者は誰も怒りの日から逃れられない」抜粋204</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11885027</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/6RbHI1PvQHk&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/6RbHI1PvQHk/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;日々の神の御言葉「肉なる者は誰も怒りの日から逃れられない」抜粋204&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 今日は、あなたがた自身が生き残るために、わたしの働きが順調に進み、全宇宙にわたるわたしの幕開けの働きがより適切に、また完全に実現するように、すべての国家の人々に対するわたしの言葉、権威、威厳、裁きを明らかにし、あなたがたに警告を与える。あなたがたの間でわたしが実行する働きは、わたしの全宇宙にわたる働きの始まりである。今はすでに終わりの日であるが、「終わりの日」は時代の名前であり、この言葉は律法の時代や恵みの時代とまったく同じように時代を意味し、最後の数年間や数カ月ではなく、時代全体を表すことを知りなさい。ただし、終わりの日は、恵みの時代や律法の時代とはまったく異なる。終わりの日の働きはイスラエルで実行されるのではなく、異邦人の間で実行される。それはわたしの玉座の前でのイスラエル以外の全ての国々と人々に対する征服であり、これにより全宇宙にわたるわたしの栄光が宇宙全体に満ちるのである。これは、それによりわたしがさらに大きな栄光を得、地上のすべての被造物がすべての国家にわたしの栄光を、世代を超えて引き継ぎ、天と地のすべての被造物が、わたしが地上で得たすべての栄光を見ることができるようになるためである。終わりの日に実現される働きは、征服の働きである。これは地上のすべての人間の生活に対する導きではなく、人類の絶えることのない地上での数千年にわたる苦難の生活の結末である。そのため、終わりの日の働きは、イスラエルでの数千年にわたる働きや、ユダヤでの十年間の働き、それに続く、神の第二の&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/what-is-incarnation.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;受肉&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;まで数千年続いた働きとは異なる。終わりの日の人々が出会うのはただ受肉した贖い主の再現であって、この人々は神から自ら働きと言葉を受ける。終わりの日が終結するまでに二千年はかからない。イエスがユダヤで恵みの時代の働きを実行したときと同様に、終わりの日は短い。これは、終わりの日は時代全体の結末だからである。終わりの日は六千年にわたる神の経営（救いの）計画の完了と終結であって、これによって人類の苦しみの人生の旅路が終わる。終わりの日は、人類のすべてを新時代に連れて行ったり、人類の生活を続けさせたりするわけではない。それはわたしの経営（&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/tag/the-salvation-of-God&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の）計画や人類の存在にとって何の意味もない。人類がこのようであり続けるなら、遅かれ早かれ悪魔によって完全に食い尽くされ、わたしに属する魂は最終的に悪魔の手によって取り去られるだろう。わたしの働きは六千年しか続かない。そしてわたしは人類全体に対する悪い者の支配もまた、六千年より長くは続かないと約束した。もう時間はない。わたしはこれ以上続けたり遅らせたりはしない。終わりの日に、わたしはサタンを打ち負かし、わたしの栄光をすべて取り戻し、わたしに属する地上のすべての魂を取り戻して、これらの苦悩する魂が苦しみの海から逃れられるようにする。これにより地上におけるわたしの働き全体が結末を迎えるのである。この日より先、わたしは地上で再び受肉することはなく、すべてを支配するわたしの霊が地上で働くことは決してない。わたしが地上で行うのはひとつのことだけである。わたしは人類を、聖なる人類に造り直す。それは地上におけるわたしの忠実な都である。わたしは世界全体を滅ぼしたり、人類すべてを滅ぼしたりはしないことを知るべきである。わたしはその人類の残りの三分の一、わたしを愛し、完全にわたしに征服された人類の三分の一を保ち、イスラエル人が律法の下でそうであったように、この人類の三分の一を、多くの羊と家畜、そして土地のすべての実りにより育み、豊かにし繁栄させる。この人類はわたしのもとに永遠にとどまる。ただし、この人々は今日のどうしようもなく汚れた人類ではなく、わたしに得られたすべての人の集まりである。この人類はサタンにより傷つけられ、混乱させられ、包囲されることはない。彼らはわたしがサタンに勝利した後も地上に存在する唯一の人類となる。これは今日わたしに征服され、わたしの約束を得た人々である。そのため、終わりの日に征服された人間は、永遠に続くわたしの恵みも受ける。これはサタンに対するわたしの勝利の唯一の証拠であり、わたしのサタンとの戦いの唯一の戦利品である。これらの戦利品はサタンの支配下からわたしにより救われたのであり、わたしの六千年にわたる経営（救いの）計画の唯一の結晶であり実りである。この人々はあらゆる国家と教派から、また全宇宙のあらゆる場所と国から来る。彼らはさまざまな人種、さまざまな言語、習慣、肌の色を持ち、地球のあらゆる国家と教派、世界のあらゆる場所に広がっている。彼らは、完全な人類、サタンの力が及ばない人間の集合を形成するために集まって来る。人々の内でわたしに救われ征服されていない者は、海の深みに音もなく沈み、永遠にわたしの焼き尽くす火により焼かれる。わたしは、エジプトで初子と牛、羊の初子を滅ぼし、子羊の肉を食べて子羊の血を飲み、かもいに子羊の血を塗ったイスラエル人だけを残したのとまったく同じように、この古い、きわめて汚れた人々を滅ぼす。わたしに征服され、わたしの家族である人々はまた、子羊であるわたしの肉を食べ、子羊であるわたしの血を飲み、わたしに贖われ、わたしを礼拝する人々でもあるのではないか。このような人々は常にわたしの栄光に伴われていたのではないのか。子羊であるわたしの肉を持たぬ者はすでに、海の深みに音もなく沈んだのではないか。今日、彼らはわたしに反対し、わたしの言葉はちょうどヤーウェがイスラエルの子孫に語った言葉のようである。あなたがたの心の深みにある頑なさによりわたしの怒りが蓄えられ、あなたがたの肉体にさらなる苦しみが生じ、あなたがたの罪に対してさらなる裁きが、不義に対してさらなる怒りがもたらされる。今日わたしをこのように扱うなら、誰がわたしの怒りの日に赦されるというのだろうか。わたしの刑罰の目を誰の不義が逃れられるだろうか。誰の罪が全能者であるわたしの手を避けられるだろうか。誰の反逆が全能者であるわたしの裁きを逃けられるだろうか。わたしヤーウェが異邦人の家族の末裔であるあなたがたに話す。わたしがあなたがたに語る言葉は、律法の時代と恵みの時代のすべての言葉を超えるものである。しかしあなたがたは、エジプトのすべての人々よりもさらに頑なである。わたしが穏やかに働いている間にも、あなたがたはわたしの怒りを蓄えているではないか。どうやってあなたがたは、全能者であるわたしの日から無事に逃れられるというのか。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;もっと多くの映画を推薦しあなたに&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の内容について理解させます&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 09 Dec 2020 23:08:29 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11885027</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>受肉</category><category>救い</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/6RbHI1PvQHk/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>ある人は言う。十字架にかけられた主イエスが「すべてが終った」と言ったのは、神の救いの働きが完成したことを示しているのではないか、と。それならば、終わりの日に再臨した神はなぜ、神の家から始まる裁きの働き</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11875670</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&lt;b&gt;参考聖書箇所&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」（ヨハネによる福音書 16:12-13）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/special-topic/three-stages-of-work/index.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救う&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;ためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」（ヨハネによる&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/books.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;福音書&lt;/b&gt;&lt;/a&gt; 12:47-48）&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;「さばきが神の家から始められる時がきた」(ペテロの第一の手紙 4:17)&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである」（ヘブル人への手紙 9:28）&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』」（ヨハネの黙示録 14:6-7）&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;「そして、わたしに仰せられた、『事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう』」（ヨハネの黙示録 21:6）&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&lt;b&gt;関連する&lt;/b&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34; style=&#34;&#34;&gt;神の言葉&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; 人の見るところ、神の磔刑はすでに神の受肉の働きを完結させ、全人類を贖い、神がハデスへの鍵を握るようにした。誰もが神の働きは完全に成し遂げられたと考えている。だが実際のところ、神の視点から見れば、働きのほんの一部が成し遂げられたにすぎない。神が行なったのは人類を贖うことだけで、人類を征服してはおらず、ましてや人のサタンのような顔つきを変えてなどいない。そのため神は「受肉したわたしの肉は死の苦しみを経験したが、それだけがわたしの受肉の目標ではなかった。イエスはわたしの愛する子で、わたしのために十字架に釘で打ち付けられたが、わたしの働きを徹底的に完了させたわけではない。その一部を行なったに過ぎないのである」と言う。したがって、神は計画の第二弾を開始し、受肉の働きを続けたのである。神の最終的な意図は、サタンの手中から救われた人々を残らず完全にし、自分のものとすることであり、そのため、神は肉において到来するという危険を再び冒す準備をした。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること（６）」より引用&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;最初の受肉は人を罪から贖うもの、つまりイエスの肉体によって人を罪から贖うものだった。言い換えると、イエスは十字架から人を救ったが、堕落したサタン的性質が依然として人の中に残っていたのである。二度目の受肉はもはや罪の捧げ物として仕えるためのものでなく、罪から贖われた人たちを完全に救うものである。そうすることで、赦された人は罪から解放され、完全に清められる。そして変化した性質を獲得することでサタンの闇の影響から自由になり、神の玉座の前に戻るのである。この方法でしか、人は完全に清められない。律法の時代が終わりを迎えて恵みの時代に入った際、神は救いの働きを始めた。それは、神が人間の不従順を裁いて罰し、人類を完全に清める&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/only-christ-of-the-last-days-can-give-man-the-way-of-eternal-life-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;終わりの日&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;まで続く。その時初めて、神は救いの働きを完結させ、安息に入る。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（４）」より引用&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。事実、この段階は救いの働きの第二段階であるとともに征服の段階でもある。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（４）」より引用&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;イエスが現れたとき、イエスは神の働きの部分も行い、言葉も話した。しかし、イエスが成し遂げたおもな働きは何であろうか。イエスがおもに成し遂げたのは磔の働きであった。イエスは磔の働きを完成し全人類を贖うために罪深い肉の似姿になった。そしてイエスが罪の贖いの供え物となったのは、全人類の罪のためであった。これが、イエスが成し遂げたおもな働きであった。最終的に、イエスは後から来る人たちを導くために、十字架の道を与えた。イエスが現れたとき、それはおもに贖いの働きを完了するためであった。イエスは全人類を贖い、天の国の福音を人にもたらし、そして天の国へ至る道をもたらした。その結果、その後に来た人は皆、「我々は十字架の道を歩き、十字架のために我々自身を犠牲にすべきだ」と言った。もちろん、最初イエスは、人に悔い改めさせ罪を告白させるための他の働きも行い、そのための言葉も語った。しかし、イエスの職分はやはり磔であり、イエスが道を説きながら費やした三年半は、その後に起こるべき磔への準備であった。イエスが何度か祈ったのも磔のためであった。イエスの普通の人としての生涯と地上での三十三年半は、おもに磔という働きを完成するためであった。それはこの働きに取り組む力をイエスに与えるためであり、その結果として神はイエスに磔という働きを託した。今日、肉となった神は、どのような働きを成し遂げるのであろうか。今日、神はおもに「言葉が肉において現れる」という働きを完成するために、言葉を用いて人を完全にするために、そして人が言葉による取り扱いと精錬を受け入れるように、肉になった。神の言葉において、あなたは神に施され、いのちを与えられる。神の言葉において、あなたは神の働きと業を見る。神はあなたを罰し精錬するために言葉を用いる。したがって、もしあなたが苦難に会うなら、それはまた神の言葉によるものである。今日、神は事実でなく言葉を用いて働く。神の言葉があなたに届いてはじめて、聖霊はあなたの中で働きをすることができ、あなたに苦痛を感じさせたり甘美さを感じさせたりすることができる。神の言葉だけが、あなたを現実に至らせることができ、神の言葉だけが、あなたを完全にすることができる。したがって、終わりの日に神が行う働きはおもに言葉を用い、すべての人を完全にし、人を導くことであることを、せめてあなたは理解しなければならない。神はその働きのすべてを言葉を通じて行なう。神はあなたを罰するために事実を用いない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「すべては神の言葉が達成する」より引用&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 終わりの日はすでに来ている。すべての被造物は種類ごとに選り分けられ、その本性を基にして異なる種類に分けられる。その瞬間、神は人の結末と終着点を明らかにする。もし人が刑罰と裁きを受けなければ、その人の不従順と不義を暴く術はない。刑罰と裁きを通じてでなければ、すべての被造物の結末を明らかにすることはできない。罰せられ、裁かれて初めて、人は本当の姿を示す。悪は悪と共に、善は善と共に置かれ、すべての人は種類ごとに選り分けられる。刑罰と裁きを通じ、すべての被造物の結末が明らかにされ、それによって悪人は罰せられ、善人は報いられる。そして、すべての人が神の支配に従属することになる。この働きのすべては義なる刑罰と裁きを通じて達成されなければならない。人の堕落は頂点に達し、人の不従順は極度に深刻になってしまったので、おもに刑罰と裁きから成り、終わりの日に明らかにされる神の義なる性質だけが、人をすっかり変えて完全な者とすることができる。この性質だけが悪を暴き、よってすべての不義なる者を厳しく懲罰することができる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン（３）」より引用&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人が征服される終わりの日の段階は、サタンとの戦いの最終段階であり、また、人をサタンの領域から完全に救う働きでもある。人の征服の秘められた意味は、サタンの化身、つまりサタンに堕落させられた人間が征服に引き続いて造り主に戻ることであり、これにより人はサタンを見捨て、完全に神に戻る。このようにして、人は完全に救われるだろう。したがって、征服の働きはサタンとの戦いにおける最後の働きであり、サタンを打ち負かすための、神の経営における最終段階である。この働きがなくては、人の完全な救いは最終的には不可能で、サタンの完全敗北もまた不可能になるであろう。そして、人類は決して素晴らしい終着点に入ることができず、サタンの影響から自由になることもできないだろう。従って、人の救いの働きを、サタンとの戦いが終結する前に完了することはできない。というのは神の経営の働きの核心は人類の救いであるからである。最初の人類は神の手の中にあったが、サタンによる誘惑と堕落によって、人はサタンに縛られ、悪しき者の手中に落ちてしまった。こうしてサタンは、神の経営の働きにおいて、打ち負かす対象となった。サタンは人間を自分の所有物としたが、人は神の全経営の資本であるので、人が救われるには、サタンの手から取り戻されなければならない。すなわち、人間はサタンの虜となった後に連れ戻されなければならないのである。かくして、サタンは、人間の古い性質の変化、人間の本来の理知を回復する変化によって打ち負かされなければならず、こうして、虜となっていた人間をサタンの手から取り戻すことができる。もし人がサタンの影響や束縛から自由になると、サタンは辱められ、人は最終的に取り戻され、サタンは打ち負かされるであろう。そして人はサタンの暗闇の影響から解放されたので、人はこのすべての戦いの戦利品となり、この戦いが終わるとサタンは懲罰の対象となるそのとき、人類を救う働きのすべてが完了するのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く」より引用&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 08 Dec 2020 22:51:39 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11875670</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><category>真理</category><category>福音書</category><category>救う</category><category>終わりの日</category></item><item><title>クリスチャンの証し 2020「死の試練の中で」</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11857422</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/VG-vdrbV7AY&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/VG-vdrbV7AY/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;クリスチャンの証し 2020「死の試練の中で」&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 1991年、受肉した人の子、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/about-us-questions-3.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;が、神の家にて裁きの働きを開始し、家庭教会で&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;をあらわにした。神の選民は、毎日、神の御言葉を読み、の働きを享受する。彼らはみな、その人生において天国に入れるのは&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の民だと信じて疑わない。よって、彼らは熱心に駆け回り、自分たちを費やすのだった。本作の主人公も例外ではない。祝福を受ける喜びに包まれる彼らだが、そこに全能神が御言葉を発する。その御言葉は、サタンがどれだけ人間を堕落させているか、人間が、横柄さ、ずる賢さ、利己主義、強欲といったサタン的性質にどれだけ満ちているか、どれだけ頻繁に嘘をつき、罪を犯し、神に抵抗しているかをあらわにしていた。さらに全能神の御言葉は、人間のいのちの性質が変わらなければ、大災害が起きた時に必ず死に直面すると述べる。神に選ばれた人々の、生きているうちに天国に入るという夢は打ち砕かれる。彼らは将来への希望を失い、胸は痛みに引き裂かれ、神に不平さえ言うようになる。しかし神の御言葉による裁きと啓示を経験することで、祝福を受けたい、天国に入りたいという自身の行き過ぎた欲、そして自らの観念と想像についていくらか理解するように。神の性質は聖く義であり、背きを許さないのだ、自分たちはサタン的性質に満ちているために天国に入るに値しないのだと知る。その後、祝福を受けたいという動機を捨て、神の支配と采配に服従し、真理の追求に専念し始める選民たち。やがて、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/beholding-the-appearance-of-god-in-his-judgment-and-chastisement-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の裁き&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;と試練は、人間を完全に清め、救うためのものだと知るのだった。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Mon, 07 Dec 2020 23:02:49 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11857422</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の裁き</category><category>全能神</category><category>真理</category><category>神の国</category><category>聖霊</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/VG-vdrbV7AY/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>日々の神の御言葉「人類の経営の目的」抜粋313</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11840028</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/CnBk6ZerOi8&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/CnBk6ZerOi8/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34; style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;日々の神の御言葉「人類の経営の目的」抜粋313&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人々が本当に、人生の正しい道と神による人類の経営（&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/tag/the-salvation-of-God&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;）の目的とを明確に理解できるなら、個人的な将来や運命を宝として心に抱くことはないだろう。そして豚や犬よりも劣る両親に仕えたいとはもう思わなくなるだろう。人の将来や運命はまさに、ペテロのいわゆる「親」の現代版ではないか。それはまさに人の身内のようなものだ。肉の終着点や将来とは、一体どんなものなのか。生きながら神を見ることなのか、あるいは死後に魂が神と出会うことなのか。肉は明日患難の巨大な炉に落ちるのか、あるいは大火で尽きることになるのか。人の肉が不幸や苦しみを被るのかどうかに関するこのような問いは、この流れの中にあって、頭脳と分別をもつ人がもっとも関心を寄せているものではないのか。（ここで、苦しみを被るとは祝福を受け取ることであり、将来の試練が人の終着点にとって有益であることを意味している。不幸とは堅く立てないことや惑わされること、あるいは不運な状況に見舞われて災害のさなかで命を落とし、その魂に適切な終着点がないことを意味する）。人は健全な理知を持っているが、おそらく人の考えることは、彼らの理知に備わっているべきものと完全には一致していないのだ。それは、人が皆相当混乱していて、物事に盲目に従っているからである。人はみな自分が何に入るべきかを完全に把握していなければならないし、特に患難の時（つまり炉における精錬の間）何に入るべきなのか、そして火の試練の際に何を備えているべきなのか整理しておかねばならない。豚や犬のような、蟻や虫よりも劣る両親（すなわち肉）に、いつも仕えることはやめなさい。それについてくよくよと悩み、必死に考え、頭を悩ませることに何の意味があるのか。肉はあなたに属しておらず、神の手の中にある。神はあなたを管理するだけでなく、サタンをも支配している。（これは肉がもともとサタンに属しているということだ。サタンも神の手中にあるのだから、このようにしか表現できない。そのほうが説得力があるからだ。それは人が完全にサタンの支配下にあるわけではなく、神の手の中にあることを示唆している。）あなたは肉の苦しみの下で生きているが、肉はあなたに属しているだろうか。あなたの支配下にあるだろうか。なぜそのようなことに頭を悩ませるのか。とうの昔に断罪されて呪われ、汚れた霊によって汚された、悪臭を放つ肉のために、執拗に神に嘆願するのはなぜなのか。何の必要があっていつもサタンの仲間をそんなにも大事にするのか。肉があなたの実際の未来や素晴らしい希望、そして人生の真の終着点を、台無しにする可能性があることは心配しないのだろうか。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』より引用&lt;/b&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34; class=&#34;&#34;&gt;日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉：第二十一章」抜粋369&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;もっと多くの映画を推薦しあなたに&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神教会&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の内容について理解させます。&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 06 Dec 2020 21:43:10 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11840028</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>救い</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/CnBk6ZerOi8/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>クリスチャンの証し 2020「本分を尽くすことで得られる報い」日本語字幕</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11836124</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/orP9D24yqsc&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/orP9D24yqsc/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;b&gt;クリスチャンの&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;証し &lt;/a&gt;2020「本分を尽くすことで得られる報い」日本語字幕&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; かつて工場を所有していた楊明珍は、友人や家族たちからスーパーウーマンだと称されています。&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/what-do-you-know-of-faith.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;信仰&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を得てからは熱心に追求し、教会での本分も積極的に尽くし、神への服従も幾分か実現できていると信じてきました。しかし、兄弟姉妹を彼女の家で世話するように教会から任じられると、しぶしぶ外見上は同意しますが、心の中では動揺し、抵抗を感じます。お世話をする本分は低レベルな気がして、周りから見下されるのではないかと感じていたのです。望まない本分に直面し彼女は、心から従うことができるのでしょうか？　最後にどんな報いを受けるのでしょう？&lt;a href=&#34;https://youtu.be/n9LVVcs6jLw&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;&lt;a href=&#34;https://youtu.be/n9LVVcs6jLw&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;クリスチャンの証し 2020「正しい道に戻る」&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;もっと多くの映画を推薦しあなたに&lt;b&gt;&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;神の国&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;の内容について理解させます。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sat, 05 Dec 2020 22:42:21 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11836124</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>証し</category><category>信仰</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/orP9D24yqsc/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>1. 人類はなぜ神を信じるべきか</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11820843</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;b class=&#34;&#34;&gt;関連する&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/all-is-achieved-by-the-word-of-god.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;神の言葉&lt;/a&gt;：&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;神は万物を支配し、管理している存在です。神は存在するすべての物事を造り、管理し、支配し、それらに施します。これが神の地位であり、また神の身分です。万物、そして存在するすべての物事について、神の真の身分はあらゆる被造物の&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/authority-of-the-Creator.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;創造主&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;であり、支配者なのです。それが神の所有する身分であり、神は万物にあって唯一無二の存在なのです。神の被造物のうちひとつとして、人類の中にあるか、あるいは霊界にあるかを問わず、何らかの方法や言い訳を使って、神の身分と地位を装ったり、神の代理となったりすることができる人はいません。なぜなら、被造物を支配する身分、力、権威、そして能力をもつ存在はただひとつだけであり、それは唯一無二の神自身だからです。神は万物の中で生き、動いています。神は万物のうえ、最も高い場所へと昇ることができます。また神は、血と肉のある人間のひとりに身をやつし、人々と向き合って苦楽を共にすることもできます。それと同時に、神は存在するすべてのものを支配し、その運命と進む方向を決定するのです。さらに、神は人類全体の運命と方向性を導きます。このような神は、あらゆる生物が崇め、付き従い、知るべき存在です。したがって、人類のうちどの集団、どの種類に属しているかを問わず、あらゆる個人、あらゆる生物にとって、神を信じ、神に付き従い、神を畏れること、また自分の運命に対する神の支配と神の采配を受け入れることが、唯一かつ必然の選択肢なのです。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 10」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 広大な宇宙と天空において、数えきれない被造物が生き、再生し、生命の周期の法則に従い、一つの不変の規則を守っている。死ぬ者は生きる者の物語を抱えて行き、生きている者は死んだ者と同じ悲劇的な歴史を繰り返す。そこで、人類は自問せずにはいられない。なぜわたしたちは生きるのか。そして、なぜわたしたちは死ななければいけないのか。誰がこの世界を支配しているのか。そして、誰がこの人類を創ったのか。人類はほんとうに大自然の生み出したものなのか。人類はほんとうに自分の運命を支配しているのだろうか。……数千年にわたり、人類はこうした問を何度も何度も発している。残念ながら、人類がこうした問に頭を悩ませれば悩ませるほど、ますます科学への渇望が強くなった。科学は、ささやかな肉の欲求の充足と、つかの間の肉の楽しみを与えるが、人類を魂の奥底にある孤独や寂しさ、かろうじて隠している恐怖と無力感から解放することなど到底できない。人類はただ心を麻痺させるために、肉眼で見、脳で理解できる科学的知識を用いている。しかしそのような科学的知識は、人類が奥義を探ることを止めるのに十分ではない。人類は、宇宙と万物の支配者が誰であるかをまったく知らないし、ましてや人類の始まりも未来も知らない。人類はこの法則の中で否応なしにただ生きている。誰一人、逃れることができないし、誰もこれを変えることはできない。あらゆる物事の間と天において、永遠から永遠にすべてを支配しているのは、ただお一方だけだからである。それは、かつて人間が見たことがないお方、人類が知ることもないお方、その存在を人類は信じたこともない。しかし、それは人類の祖先に息を吹き込み、人類にいのちを与えたお方である。人間の生存のために施し、養い、今日まで導いて来たお方である。さらに、人類が生き残るために依存する唯一のお方なのである。彼は万物を支配し、天の下のすべての生ける物を支配している。彼は四季を支配し、風と霜、雪、雨を呼ぶ。彼は人類に陽光を与え、夜の訪れをもたらす。天と地とを整え、人間に山々と湖、川、すべての生き物を与えたのは彼である。彼の業はあらゆるところにある。その力はいたるところにある。その知恵はいたるところにある。その権威はいたるところにある。その法則や規則の一つひとつは彼の業の具現であり、その一つひとつが彼の知恵と権威とを明らかにしている。誰が彼の支配を免れることができようか。また、誰が彼の采配から逃れることができようか。万物は彼の眼差しの下にあり、さらに、彼の支配の下で生きている。彼の業と力の前に人類は、彼が実際に存在し、万物を支配していると認めざるを得ない。神を除いては、他の何も宇宙を支配できず、まして、やむことなく人類に施すこともできない。神の業を認識できるかどうか、神の存在を信じているかどうかにかかわらず、あなたの運命は神の定めるところであって、神が永遠にあらゆるものの支配権を持ち続けることに疑いはない。神の存在と権威とは、人間に認められ理解され得るかどうかによって左右されるものではない。神だけが人間の過去・現在・未来を知り、神だけが人類の運命を定めることができる。この事実を受け入れられるかどうかに関りなく、人類は近い将来、これらのことすべてをその目で見ることになる。そして、これは神が間もなく実現する事実である。人類は神の目の下で生き、死ぬ。人類は神の経営のために生きているのであり、その目が最期に閉じる時もまた、神の経営のためなのである。人間は何度も何度も来ては去り、行き来を繰り返す。例外なく、これはすべて神の支配し、定めていることである。神の経営は常に前進しており、やむことがない。神は人類に自身の存在を知らせ、神の支配を信じさせ、神の業を見させ、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の国&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;に戻らせる。これが神の計画であり、何千年にもわたって神が行なってきた働きなのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の経営の中でのみ人は救われる」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神はこの世界を創造し、神が命を授けた生きものである人間を世にもたらした。次に、人間は両親と親族を持つようになり、もはや孤独ではなくなった。人間は、最初にこの物質的世界に目を向けて以来、神の予定の中で存在するように定められてきた。神から出る命の息は、成人へと成長する間ずっとあらゆる生きものを維持する。この過程で、人は神の配慮のもとに成長していると感じる者はいない。むしろ、人は両親の愛情のこもった世話のもとで成長し、人の成長を促すのは自身の生命本能だと思う。それは、人間は誰が自分に命を授けてくれたのか、どこからそれが来たのかを知らず、ましてや、生命本能がどのようにして奇跡を生み出すのかなど知るよしもないからである。人は食物が生命維持の基礎であり、根気が人間生存の源であり、頭の中にある信念が人間の生存を左右する資本であるということだけを知っている。神の恵みと施しにはまったく気づかないので、神によって授けられた命を人は浪費する……。神が日夜世話しているこの人類のうち、一人として自主的に神を礼拝しようとはしない。神は計画通りにひたすら人に働きかけ続けるだけで、人には何も期待しない。人がある日夢から覚めて、命の価値と意義、人に与えた全てのもののために神が支払った代価、そして人が神のもとへ戻ってくるのを待つ神の切なる心遣いを突然悟ることを願いつつ、神は働き続けている。人間の生命の起源と存続をつかさどる奥義を探究した者はいない。これら全てを理解している神だけが、神からあらゆるものを受け取ったにもかかわらず感謝することもない人間から受ける傷や打撃に黙って耐える。人間は命がもたらす全てのことを当然のことと考えている。そして同様に、神が人間によって裏切られ、忘れられ、ゆすり取られるのも「当然のこと」とする。神の計画が本当にこれほど重要であると言えるだろうか。人間、すなわち神の手から出たこの生きものが本当にそれほど重要だと言えるだろうか。神の計画は確かに重要である。しかし、神の手で創造されたこの生きものは、神の計画のために存在する。それゆえ、この人類に対する憎しみ故に神は自らの計画を台無しにすることはできない。神が全ての苦痛に耐えるのは、神の計画のためであり、また神が吐いた息のためであり、人間の肉のためではなく、人間のいのちのためである。神がそうするのは、人の肉ではなく、神が吐き出したいのちを取り戻すためである。これこそが神の計画である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; この世に生まれて来る人間は皆、生と死を通らなければならない。そして、その大多数は死と再生の周期を経てきた。生きている者はやがて死に、死者もやがて戻ってくる。これは全て生きものそれぞれのために神によって用意された命の過程である。けれども、この過程と周期こそが人が目を向けるようにと神が願っている真実である。それは、神が人に授けたいのちは無限であり、肉体、時間、空間により制限されないということである。これこそが神によって人に授けられたいのちの奥義であり、いのちが神から来た証拠である。多くの人はいのちが神から来たことを信じないかもしれないが、神の存在を信じるか否定するかにかかわらず、人間は神から出る全てのものを必然的に享受する。ある日突然、神が心変わりし、世界に存在する全てのものを取り返し、自らが与えたいのちを取り戻すことを望むならば、万物は存在しなくなる。神は自らのいのちを用いて全てのもの、生きているもの生きていないものの両方に施し、神の力と権威により全てを秩序正しく整える。これは誰にも想像することも理解することもできない真実であり、これらの理解し難い真実は、まさに神のいのちの力の表れであり、証しである。今あなたに秘密をひとつ告げよう。神のいのちの偉大さとその力は、いかなる被造物にとっても計り知れないものである。過去と同様、現在もそうであり、来たるべき未来もそうである。わたしが伝える第二の秘密はこうである。形や構造がどのように異なっていようとも、全ての被造物のいのちの源は神である。あなたがどのような生命体であっても、あなたは神によって定められたいのちの軌道に逆らうことはできない。いずれにせよ、わたしが唯一望むのは、人間が次のことを理解することである。神の配慮、加護、施しがなければ、人間はどれほど勤勉に努力しても、どれほど熱心に奮闘しても、人が受けるように定められている全てのものを受けることはできない。神からのいのちの施しがなければ、人間は生きる価値や命の意義を失ってしまう。神のいのちの価値を勝手気ままに浪費する人が、これほど何も気にかけないことをどうして神が許すだろうか。前にも言ったように、神があなたのいのちの源であることを忘れてはならない。神が授けた全てのものを人が大切にしないならば、神は始めに与えたものを取り返すだけではなく、人間からの代償として与えた全てのものの代価の二倍を要求する。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神は人間のいのちの源である」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神はこの世界を創造し、この人類を創造し、さらに神は古代ギリシア文化ならびに人類の文明の設計者でもあった。神のみがこの人類を慰め、神のみが日夜人類のことを思いやる。人類の発展と進歩は神の統治と切り離すことはできない。また、人類の歴史と未来は神の計画から切り離せない。あなたが真のクリスチャンならば、あらゆる国または民族の興亡は、神の意図に従って起こるということを必ず信じているであろう。神のみが国や民族の運命を知っており、神のみがこの人類の進むべき道を制御する。人類が良い運命を望むなら、また国が良い運命を願うなら、人類はひれ伏して神を礼拝し、神の前で悔い改め、罪を告白しなければならない。さもなければ人類の運命と終着点は避けることのできない災難となる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; ノアが箱舟を造った時代を振り返って見なさい。人類はひどく堕落し、人々は神の祝福から迷いはぐれ、もはや神の配慮は得られず、神の約束を失ってしまっていた。闇の中を神の光なしに生きていた。そして人の本性は放縦となり、おぞましい堕落に身を任せた。このような人々はもはや神の約束を受けることはできなかった。彼らは神の顔を見るにも、神の声を聞くにも相応しくなかった。なぜなら彼らは神を見捨て、神から与えられたものすべてを放棄し、神の教えを忘れてしまったからである。彼らの心は神から遠く離れて行くばかりで、それにつれてあらゆる理知と人間性を失い堕落し、邪悪さを増していった。そして彼らは死に歩み寄り、神の怒りと罰を受けた。ノアだけが神を礼拝し、悪を避けたので、神の声を聞くことができ、神の指示を聞くことができた。ノアは神の言葉の指示に従って箱舟を造り、あらゆる種類の生物をそこに集めた。こうしてひとたびすべての準備が整うと、神は世界に破滅をもたらした。ノアとその家族七人だけが破滅を逃れて生き残ったが、それはノアがヤーウェを礼拝し、悪を避けたからであった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; それでは現代に目を向けてみなさい。ノアのように神を礼拝し、悪を避けることのできる義人はいなくなってしまった。それでもなお、神はこの人類に恵み深く、この終末の時代においても人類の罪を赦す。神の現われを切望する人々を神は探し求める。神の言葉を聞くことができる人々、神の任務を忘れず、心と体を神に捧げる人々を神は探し求める。神の前で赤子のように従順で、神に抵抗しない人々を神は探し求める。あなたが何の勢力にも妨げられずに神に献身するならば、神はあなたを好意の眼差しを注ぎ、祝福を授ける。たとえあなたが地位が高く、名声があり、知識が豊富で、有り余るほどの資産の持ち主で、多くの人々の支持を得ていたとしても、それらのものが、あなたが神の前に出て神の召命と任務を受け、神の命じることを行う妨げにならないならば、あなたの為すことはすべて地上で最も意義深い行いであり、人類の最も義なる事業となる。もしあなたが地位や自分自身の目標のために神の召命を拒むならば、あなたの為すことはすべて神にのろわれ、さらには忌み嫌われるであろう。あなたは大統領かもしれない、あるいは科学者、牧師、長老かもしれないが、あなたの地位がどんなに高くても、自分の知識と能力を頼りにして事業に着手するならば、あなたは必ず失敗し、必ず神の祝福をのがすことになる。神はあなたの為すことは何も受け入れず、あなたの事業が義であるとは認めず、あなたが人類の益のために働いているとは見なさないからである。あなたの為すことはすべて、人類の知識と力を用いて人から神の保護を奪い、神の祝福を否定するために行われると神は言う。あなたは人類を暗闇の方向へ、死の方向へ、人が神と神の祝福を失ってしまった終わりなき存在の始まりへ導いていると神は言う。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 人類が社会科学を考案して以来、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それから科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや神を礼拝するための充分な余地は人にはなくなり、神を礼拝するための好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められた。心の中に神が無いまま、人間の内面世界は暗く、希望も無く、空虚である。そのため、人類の心と精神を満たすために多くの社会科学者や歴史家、政治家が登場し、社会科学の理論や人類進化の理論、神が人を創造したという真理に矛盾するその他の理論を発表した。こうして、神が万物を造ったという&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/reality-of-the-truth-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;真理&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数はさらに増加した。神の働きの記録と旧約聖書の時代の神の言葉を神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに、神が存在し万物を支配しているという信条に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや人にとって重要ではなく、人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている。……神が今日どこで働きを行っているのか、あるいは神が人の終着点をいかに支配し、定めているのかを自らすすんで探し求める人はほとんどいない。こうして、人間の文明は、人間の知らないうちに、ますます人の望みどおりには行かなくなり、こんな世界に生きている自分達はすでに亡くなった人々に比べて不幸せだと感じている人さえ数多くいる。過去に高度の文明を築いた国々の人たちでさえそのような不満をあらわにしている。なぜなら、神の導きなしには、支配者や社会学者が人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どのような社会学的理論も人を悩ませる虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適さなどは、人間につかの間の慰めしかもたらさない。これらのものがあっても、人は必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのものは、人の探求への渇望や欲求を抑えることはできない。人は神によって造られたからであり、人の無意味な犠牲や探索はさらなる苦悩につながるだけで、人類の将来にどのように向き合うべきか、目の前にある進路にどのように対峙すべきか分からないまま人を常に恐怖に怯えたままにさせるからである。人は科学や知識を恐れるまでになり、空虚感をそれ以上に恐れるようになる。この世であなたが自由な国に住んでいようと、人権のない国に住んでいようと、人類の運命から逃れることは決してできない。あなたが支配者であろうと、被支配者であろうと、人類の運命、奥義、そして終着点を探求したいという願望から逃れることは到底できない。ましてや、途方にくれるほどの空虚感から逃れることなどできない。全人類に共通するこの現象を社会学者は社会現象と呼んでいる。しかし、このような問題を解決できる偉人が現れることはない。人間は結局、人間に過ぎず、神の地位といのちに取って代われる人間はいない。誰もが食べる物があり、平等で自由で公平な社会だけが人類に必要なのではない。人類に必要なのは神の救いと神によるいのちの満たしである。神の&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;といのちの満たしを受けて初めて、人間の必要、探究心、そして霊的空虚感が解決されるのである。一つの国や民族の人々が神の救いや配慮を得ることができなければ、その国や民族は暗黒に向かって、破滅への道を突き進み、神によって滅ぼされる。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; この広大な世界で、数え切れないほどの変化が起こっている。大海は変じて田園となり、田園は変じて大海となり、これが何度も繰り返されている。宇宙の万物を統治する方を除いては、この人類を導き案内できる者はいない。この人類のために労したり備えたりできる力ある者は存在せず、ましてや人類を光の終着点へと導き、この世の不正から解放できる者などいるはずもない。神は人類の未来を嘆き、人類の堕落を悲しみ、人類が一歩一歩、滅びと戻ることのできない道に向かって進んでいることに心を痛めている。神の心を引き裂き、神を棄てて邪悪な者を求めた人類、このような人類がどこに向かっているのかを考えたことのある者がいるだろうか。まさにこれこそが、誰も神の怒りを感知せず、誰も神を喜ばせる道を求めようともせず、神のもとへ近づこうとすることもなく、さらには、誰も神の悲しみと痛みを理解しようとしない理由である。神の声を聞いた後でさえ、人は自分の道を歩み続け、頑なに神のもとから離れ去り、神の恵みと配慮を避け、神の真理を避けて、神の敵であるサタンに自身を売ることの方を好む。そして、人がこのまま頑なであり続けるなら、後ろを振り向くこともなく神を見捨てたこの人間に対して神がどのようにふるまうかについて、誰が考えたことがあるのか。神が繰り返し人に思い起こさせ、勧告する理由は、人間の肉体と魂にはとうてい耐えられないような、未だかつてない災難を神はその手に準備しているからだということを知る者はいない。この災難は単に肉体の懲罰だけではなく、魂の懲罰でもある。あなたは知らなければならない。神の計画が無駄になり、神の喚起と勧告に反応が無いなら、神はどのような怒りを注ぐであろうか。それは今までどんな被造物も経験したことも聞いたこともないようなものである。だからわたしは、この災難は前例がなく、二度と繰り返されることはないと言う。なぜなら、神の計画とは今回一度だけ人類を創造し、一度だけ人類を救うことだからである。これが最初であり、また最後である。それゆえ、今回人類を救おうとする神の苦心や切なる期待を理解できる者は一人もいない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神は人間のいのちの源である」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 全能者のいのちの供給から離れた人類は、存在の目的を知らないが、それでも死を恐れている。支えもなく援助もないが、人類は依然として目を閉じようとせず、自らの魂を感じることもない肉の塊として頑なにこの世における下劣な存在を引きずっている。あなたはこのように何の希望もなく生き、他人も何の目的もなく生きている。伝説のあの聖なる者だけが、苦しみにうめきながら彼の到来を待ち焦がれる人たちを救う。この信念は知覚のない人々においてはまだ実現していない。しかし人々はまだそれを切望している。全能者は深い苦しみの中にあったこのような人々に慈しみを抱く。同時に、全能者は何の知覚もないこのような人々にうんざりしている。なぜなら、人間から答えを得るのに、あまりにも長く待たねばならなかったからである。全能者は探したい、あなたの心と霊を探し、あなたに水と食料を施したい、あなたを目覚めさせたいと思っている。それにより、もはやあなたが渇きと飢えを感じないようにである。あなたが疲れているとき、この世の荒廃のようなものを感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見守る者がいつでもあなたが来るのを抱擁して迎えるからである。彼はあなたのそばで見守り、あなたが立ち返るのを待っている。あなたが記憶を突然回復する日を待っている。すなわち、あなたが神から来たのであり、いつであったかは不明だが道に迷い、いつであったかは不明だが路上で気を失い、いつであったかは不明だが「父」ができたことに気づく日を。さらに、全能者がずっと見守ってきたということ、とても長い間あなたが帰ってくることを待っていたということに気づく日を。全能者は切実な思いで見守り、そして答えのない応答を待っている。全能者の見守りはきわめて貴重であり、それは人間の心と霊のためである。この見守りは無期限かもしれないし、それは終わりの段階にあるのかもしれない。しかし、あなたは自らの心と霊がたった今どこにあるのかを正確に知らなくてはならない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「全能者のため息」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 04 Dec 2020 22:31:07 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11820843</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の言葉</category><category>真理</category><category>創造主</category><category>神の国</category><category>救い</category></item><item><title>クリスチャンの証し 2020「神に仕えることは私の幸運」</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11817267</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/4zDPs0ArRAo&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/4zDPs0ArRAo/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;クリスチャンの&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/testimonies.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;証し &lt;/a&gt;2020「神に仕えることは私の幸運」&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 祝福を得て天国に入るのは多くの信者が追い求める目標であり、この動画の主人公も例外ではありません。神による終わりの日の働きを受け入れたあと、彼は信仰に満ち溢れて神のために自分を費やし、自分は神の前に引き上げられる最初の人たちの一人で、きっと天国に入って神と祝福を享受できると信じています。しかし、中国の選民は効力者で、ひとたび奉仕が終われば底なしの穴に放り込まれ、そこで滅びると暴き出す新たな言葉を、神が発するとは想像もしていませんでした。祝福されて天国に入るという彼の夢は即座に打ち砕かれ、激しい苦しみと精錬に圧倒されてしまいます……主人公はいかにして自分の消極性を捨て去り、神の支配と采配に従うのでしょうか。また、どのようにして喜んで神に奉仕するようになるのでしょうか。『神に仕える私は幸運』をご覧になってその答えを見つけてください。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;&lt;a href=&#34;https://youtu.be/VG-vdrbV7AY&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;クリスチャンの証し 2020「死の試練の中で」&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;もっと多くの映画を推薦しあなたに&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の内容について理解させます&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 04 Dec 2020 13:24:07 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11817267</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>証し</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/4zDPs0ArRAo/hqdefault.jpg"></enclosure></item><item><title>主の再臨はなぜ雲に乗って公然と降臨することだけでなく、秘かに降臨する受肉を伴うのか。</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11785216</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;参考&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel-categories/inside-story-of-the-bible.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;聖書&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;箇所&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;「見よ、わたしは盗人のように来る」（ヨハネの黙示録 16:15）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; 「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした」（マタイによる福音書 25:6）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」（ヨハネの黙示録 3:20）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」（マタイによる&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;福音&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;書 24:36）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」（マタイによる福音書 24:30）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」（ヨハネの黙示録1:7）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;関連する神の言葉&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;終わりの日の働きとは、すべての人をその性質に応じて区分し、神の経営（&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/gospel/salvation-1.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;救い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の）計画を締めくくることである。時が近づき、神の日が来たからである。神の国に入る人すべて、すなわち神に最後の最後まで忠実な人すべてを、神は神自身の時代に連れて行く。しかし、神自身の時代が来る前は、神の働きは人間の行いを観察したり、人間の生活について調べたりすることではなく、人間の不服従を裁くことである。神の玉座の前に来る人すべてを、神は清めなければならないからである。今日まで神の足跡に従ってきた人はすべて神の玉座の前に来る人であり、これゆえに、最終段階の神の働きを受け入れる人の一人ひとりは神の清めの対象である。言い換えれば、最終段階における神の働きを受け入れる人は誰もが、神の裁きの対象なのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &lt;b&gt;&amp;nbsp;中略&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;裁きの働きは神自身の働きであり、そのため当然ながら神が自ら行わなければならない。それは神の代わりに人が行うことはできない。裁きとは真理を用いて人類を征服することなので、この働きを人のあいだで行うために神が受肉した姿で再び現れることは疑いもないことである。つまり、終わりの日においてキリストは真理を用いて世界各地の人々を教え、彼らにあらゆる真理を知らしめる。これが&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/beholding-the-appearance-of-god-in-his-judgment-and-chastisement-selections.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;神の裁き&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の働きである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」より引用&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;終わりの日において、神は人を完全にするのに、おもに言葉を用いる。神は、人に圧力をかけたり人を確信させたりするのに、しるしや不思議を用いない。それは、神の力を明らかにしない。もし神がしるしや不思議を示すだけならば、神の実在性を明らかにすることは不可能である。したがって、人を完全にすることも不可能である。神は、しるしや不思議によって人を完全にせず、人を潤し牧養するのに言葉を用いる。そしてその後、人は完全な従順と神についての認識を達成することができる。これが、神が行う働きと神が話す言葉の目的である。神は、人を完全にするのにしるしや不思議を示すという方法を用いない。神は言葉を用い、多くの異なる働きの方法を用いて人を完全にする。それが精錬であろうと、取り扱い、刈り込み、あるいは言葉の施しであろうと、神は、人を完全にするために、人に神の働き、神の知恵や驚くべき力についてのより大きな認識を与えるために、多くの異なる観点から話す。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「すべては神の言葉が達成する」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;十字架につけられたのはイエスの肉、罪のための捧げ物としてイエスが捧げた肉体である。普通の人間性をもつ肉体という手段によってイエスはサタンに勝利し、人間を完全に十字架から救った。そして、二度目に受肉した神が征服の働きを行い、サタンを打ち負かすのは、完全な肉の体としてである。完全に普通で現実的な肉だけが征服の働きをその全体におよんで行い、力強い証しを示すことができる。つまり、人間の征服は、受肉した神の現実性と正常さによって効果的になるのであって、超常的な奇跡や啓示によるのではない。この受肉した神の職分は、話すことであり、それによって人間を征服し、完全にすることにある。つまり、肉として現れた霊の働き、肉の務めは、話すことで、それによって人間を征服し、顕示し、完全にし、淘汰することである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の宿る肉の本質」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;神が肉として到来するのは、おもに神の実際の業を人々が見ることができ、形のない霊を肉において実体化し、人々が神を見たり触れたりできるようにするためである。このようにして、神によって完全にされる人々は神を現すように生き、神のものとされ、神の心に適うものとなる。神が天において話すだけで、実際に地上に来なかったのなら、人々はまだ神を知ることができず、空虚な理論を使って神の業を説くことができるだけで、現実として神の言葉を持つことができない。神が地上に来たのは何よりも、神に獲得されるべき人々の模範、手本として行動するためである。このようにしてのみ、人々は実際に神を知り、神に触れ、神を見ることができ、そうして初めて神のものとして獲得されるのである。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;『言葉は肉において現れる』の「実際の神は神自身であることを知るべきである」より引用&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 神は中国本土、つまり香港や台湾の同胞が言うところの「内地」において受肉した。神が天から地上に来た時、天地の誰もそれに気づかなかった。これが、神が隠れて戻る本当の意味だからである。神は長い間、肉において働き、生活してきたが、誰もそれに気づかなかった。今日に至ってさえ、誰もそのことに気づいていない。おそらく、これは永遠に謎のままだろう。神が今回肉において来たことは、誰一人気づけることではない。聖霊の働きの影響がいかに大規模で強力だとしても、神はいつも平然としており、決して何もさらけ出さない。神の働きのこの段階は、天の領域で行なわれているも同然だと言うことができる。そのことは、目が見える全員にとって明白なのだが、誰もそれに気づかない。神がこの段階の働きを終える時、全人類がそれまでの態度を捨て去り[1]、長い夢から目覚める。かつて神が、「今回肉において来たのは、虎のねぐらに落ちるようなものだ」と言ったことをわたしは覚えている。これが意味するのは、今回の神の働きにおいて神は肉となり、そしてさらに、赤い大きな竜の住み家で生まれるので、今回地上へ来たことで、神は以前にも増して非常な危険に直面するということである。神が直面するのはナイフと銃、そしてこん棒である。神が直面するのは試みである。神が直面するのは殺意に満ちた顔つきをしている群衆である。神は今すぐにも殺される危険を冒している。神は怒りを携えてきた。しかし、神は完全化の働きを行なうために来た。つまり、&lt;a href=&#34;https://jp.kingdomsalvation.org/the-truth-concerning-the-work-in-the-age-of-redemption.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;贖い&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の働きの後に続く自身の働きの第二部を行なうために来たのである。この段階の働きのために、神は精一杯考え、配慮し、考え得るすべての手段を用いて試みの攻撃を避けており、謙虚に身を潜め、決して自身の身分を誇示しない。……夜が明けるころ、神は大衆に知られることなく地上に来て、肉における生活を始めた。人々はこの到来の瞬間に気づかなかった。みなぐっすり眠っていたかもしれないし、注意深く目を覚ましていた多くの人が待っていたかもしれない。そして多くの人が天の神に無言で祈っていたかもしれない。しかし、これら多くの人の中に、神がすでに地上へ到着していることを知る者は一人としていなかった。神は自身の働きをより円滑に実行し、よりよい結果を達成するために、このようにして働きを行なったのであり、それはさらなる試みの機先を制するためでもあった。人が春の眠りから覚める時、神の働きはそのずっと前に終わっており、神は地上を歩き回って逗留する生活に終止符を打ち、旅立つだろう。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること（４）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; ユダヤで働きを行なっていた当時、イエスは公然とそうしたが、今、わたしはあなたがたのあいだで秘かに働きを行ない、そして語る。未信者はまったくこれに気づいていない。あなたがたのあいだにおけるわたしの働きは、部外者には閉ざされている。これらの言葉、刑罰、そして裁きはあなたがただけに知らされており、他は誰も知らない。この働きはすべてあなたがたのあいだで実行され、あなたがたにしか明かされていない。未信者の誰もこれを知らない。まだ時が来ていないからである。ここにいるこの人たちは刑罰に耐えた後、完全にされつつあるが、部外者はこのことを何一つ知らない。この働きはあまりにも隠されている。彼らに対し、受肉した神は隠されているが、この流れにある人たちには、神は明らかにされたと言うことができる。神においてはすべてが明らかで、何もかもが明かされており、すべてが解放されているが、これは神を信じる人にだけ当てはまり、その他の者、未信者に関する限り、何も知らされていない。現在、あなたがたのあいだで、中国において行なわれている働きは、彼らが知ることのないよう厳しく封じられている。その働きに気づくようなことがあっても、彼らはそれを断罪し、迫害の対象とするだけで、信じることはないだろう。最も進歩の遅れたこの場所、すなわち赤い大きな竜の国で働くのは決して簡単なことではない。もしこの働きが知られたら、続けるのは不可能だろう。この段階の働きをこの場所で実行するなどとうていできない。もしこの働きが公然と実行されたなら、どうして前進することが許されるだろうか。それはこの働きをもっと大きな危険に晒すことにならないだろうか。この働きが隠されておらず、イエスが見事に病人を癒やし、悪霊を追い出したときのように行なわれたなら、とうの昔に悪魔の「虜にされて」いたのではないだろうか。悪魔は神の存在を我慢できるだろうか。今、わたしが人に説教をし、教えるために会堂へ入って行こうとしたら、とっくの昔に粉々に砕かれていたのではないだろうか。だとしたら、わたしの働きをどうして続けられようか。しるしや不思議が公然と明かされない理由は、隠すためである。だから、わたしの働きは未信者に見られることも、知られることも、発見されることもない。この段階の働きが恵みの時代におけるイエスの働きと同じように行なわれたなら、それは今ほど安定したものではなかっただろう。だから、このようにして密かに働きを行なうのは、あなたがたにとっても、働き全体にとっても有益なのである。地上における神の働きが終わるとき、つまりこの密かな働きが終わるとき、この段階の働きは一気に公にされる。中国に勝利者の集団がいることを、すべての人が知るだろう。肉となった神が中国にいて、その働きが終わったことを知るだろう。その時初めて、人は理解し始める。なぜ中国はいまだ衰退や崩壊の兆しを見せていないのか。実のところ、神が中国でその働きを自ら実行し、人々の集団を完全にして勝利者にしたのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 肉となった神は、その働きを自ら実行する間、自分に付き従う人にだけ自身を示すのであり、すべての被造物に示すのではない。神は働きの一段階を完成させるためにだけ肉となったのであり、人に自身の姿を見せるためではない。しかし、神の働きは神自身によって実行されなければならず、よって神が肉においてそうすることが必要なのである。この働きが終わると、神は人間の世界から去る。来たるべき働きの妨げにならないよう、人類のあいだに長期間留まることはできないのである。神が大衆に示すのは、神の義なる性質と神のすべての業だけで、二度肉となったときの姿ではない。なぜなら、神の姿は神の性質を通じてのみ示すことができ、受肉した肉体の姿がそれに取って代わることはできないからである。神の肉体の姿は限られた数の人たちにだけ、つまり神が肉において働く際、神に付き従う人たちにだけ示される。これこそ今、働きが秘かに行われている理由である。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義（２）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 今日、神はパリサイ人とは関わらず、世界が知ることを許してもいない。そして神を知るのは、神に従うあなたがただけである。なぜなら、神が再び十字架にかけられることはないからである。恵みの時代、イエスは自身の福音の働きのために全土で公に教えを説いた。イエスは磔刑の働きのためにパリサイ人と関わった。もしもイエスがパリサイ人と関わり合いにならず、権力者たちがイエスのことを知らなかったならば、どうしてイエスが断罪され、そして裏切られて十字架にかけられるということがあり得ただろうか。したがって、イエスは十字架にかけられるためにパリサイ人と関わったのである。今日、神は試みを避けるべく秘密裏に働きを行なう。二度にわたる神の受肉において、その働きと意義は異なっており、設定も異なっているのだから、どうして神の行なう働きがまったく同じであり得るだろうか。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン（３）」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; わたしはあなたがたに言う。しるし故に神を信じる者は、滅ぼされる部類であることは確かである。肉に戻ったイエスの言葉を受け入れることができない者は、地獄の子孫であり、天使長の末裔であり、永遠の破滅を逃れることのできない部類である。多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることを知るべきである。それは神の経営（救いの）計画の終わりの時であり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。「白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ」という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し真のいのちの道を解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。&lt;/p&gt;&lt;p style=&#34;text-align: right;&#34;&gt;&lt;b&gt;『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」より引用&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;脚注&lt;/p&gt;&lt;p&gt;１.「過去の態度を逆転させる」は、いったん神を知ると神についての人々の観念や考えがどのように変化するかに言及している。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 01 Dec 2020 22:54:10 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11785216</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>神の裁き</category><category>贖い</category><category>福音</category><category>聖書</category><category>救い</category></item><item><title>クリスチャンの証し 2020「知識は本当に運命を変えるのかす」</title><link>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11783254</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://youtu.be/3eii1hVC4pY&#34;&gt;youtu.be&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/3eii1hVC4pY/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;クリスチャンの&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/testimonies.html&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;証し &lt;/b&gt;&lt;/a&gt;2020「知識は本当に運命を変えるのかす」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;貧しい農家に育った主人公は、「知識は人の運命を変える」という言葉を胸に生きてきました。大学進学の夢が潰えた時、自分の願望を娘に託し、厳しい勉強スケジュールを娘に押し付けます。しかし娘は成績へのプレッシャーで次第に殻に閉じこもるようになり、ある夜とうとう家を飛び出してしまいます。娘はいったいどうなるのかと不安になり、その考えに苛まれる主人公は&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の御言葉を読み、「知識は人の運命を変える」という考え方が自分と娘に苦痛しかもたらしていないことに気づきます。そして神の御言葉を読むことで、知識の正しい扱い方、娘を人生の正しい道に導く方法を理解するようになるのです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;もっと多くの映画を推薦しあなたに&lt;a href=&#34;https://jp.godfootsteps.org/&#34; target=&#34;_blank&#34; class=&#34;u-lnk-clr&#34;&gt;&lt;b&gt;全能神教会&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;の内容について理解させます。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 01 Dec 2020 12:40:54 +0000</pubDate><guid>https://almightygodsalvation.amebaownd.com/posts/11783254</guid><dc:creator>bible-book</dc:creator><category>全能神</category><category>証し</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://i.ytimg.com/vi/3eii1hVC4pY/hqdefault.jpg"></enclosure></item></channel></rss>